第107話 第7章「森の中へ」その22
堅柳宗次は北方側の大門を抜けようとしていた。
彼がふと見上げると、頭上に白く分厚く弧を描く大門の開口部が青空を遮り迫って来ていた。
南側、北練井側の大門とまったく同じかたち、同じく巨大な建造物だった。
前史文明とはおそろしいものだな、と宗次は思う。
北の大門も大橋も、もしかしたら数千年以上昔に建造されたかもしれないが、まったく古びた様子がない。
後世の人間がそれを塞ぐと何百年も経ってからそれを吹き飛ばし、元に戻してしまう。
現在に生きる蛇眼族にも常人にもそのからくりだか呪術だかがどのようなものか、何もわからない。
だが、いまは歩くのみ。
宗次は北の大崖を渡り切り、大門の真下まで来た。
見上げるのを止め、いまはただ前を見据えている。
眼前には地面があり、その先はただ暗い森が広がっていた。
宗次はついに大門を抜けた。
大門と森との間に広がる褐色の地面の上に立つ。
それまで険しい表情をしていたのが、思わず大きく息をついていつもの不敵な笑みを浮かべる。
結局無事に大橋を渡りきることができたのだ。
宗次は自分の来た道を振り返った。
北方側の大門の開口部越しに、随分と小さく北練井側の大門が見える。
その開口部から黒点かなにかのように佐之雄勘治らが見える。
勘治は懸命に手を振り続けているようだ。
宗次の無謀なまでの単独行が心配で気が気でないのだろう。
相変わらずだな、と宗次は思わずつぶやくと笑って手を振り返した。
そしてまた北方に広がる森へ向き直る。
人の気配はない。…ように思われた。
予定にはなかったが、宗次は森へ踏み込みたくなった。
振り返ると橋の向こうの勘治に向かって、
「少し森に入ってみる。すぐ戻る」
と大声で言う。
勘治は手を振り続けていた。
距離があるので宗次の声が聞こえたかどうかはわからなかった。
宗次は左の腰に差した長刀に触れてその具合を確認するとまた歩き始めた。
森に近付く。
近付いてみると、そこに細い道があるのに気付いた。
けものみちのようだが、少し違う。人の道だ。
やはり人の出入りはあるのだ。少なくともここまでは。
しかし難しいな、と宗次は思う。
北の大門が開くことによって大軍の移動が想定できるようになった。
問題はその後、北の大橋を渡ったあとだ。
この森を抜けることが必要になる。高い針葉樹林の下はろくに草も生えていない、湿っぽい地面が暗く広がっている。
一旦隊列を解いて各々(おのおの)木々の間を進むことになるか、と思う。
敵の待ち伏せが個々の兵に襲い掛かるのが心配だが、仕方がない。
帰って改めて作戦を練らなければならないが、それにはもう少しこの森の状況を知る必要がある。
宗次は道らしきものをたどり、森に踏み込んだ。
穏やかな陽光が遮られ、途端に薄暗くなる。
宗次はさらに少し歩き、周囲を見渡した。
杉のような針葉樹がほとんどだが、その木々の間隔を確認してみる。
うむ。これなら大丈夫そうだ。進軍できる。
いずれにせよ近い将来、我々はここに広い道を拓き北街道を延伸させるだろう。
宗次がそう思ったとき、彼は木々の向こう、太い幹のすき間から白く浮かび上がって何かが見えるのに気付いた。
何だろうか?
宗次はまず一度振り返って大門と橋のある方向を確認した。
わかっているつもりでも気が付いた時には方角に迷ってしまうのが森だ。宗次は経験からそれを知っていた。
ここからはもう橋の向こうの部下たちは見えない。
彼らは気が気でないのではなかろうか。
あの白いものを確認したらすぐ帰ろう。
宗次は慎重に森の間を進んで行った。
近づくと、それがなにかはっきりしてきた。
それは石像だった。
二人の人物像が並んで立っているように見える。
それは宗次の身長と同じぐらいの高さがあった。
苔の生える地面が広場のように周囲に広がっている。
木は生えていないのでそこだけ陽光が地面まで届いている。
それが白い石像に当たって浮かび上がるように見えたのだった。
宗次は周囲に人の気配がないかどうか注意しながら森の中にぽっかりと空いた地面に進み、石像にさらに近づいた。
手を伸ばし、それに触れてみる。
思っていたより滑らかだった。
どうやら男と女が手を取り合って向き合っている像のようだ。
単純な削り出しのような彫刻だった。
彼はもうひとつよりやや高い、男の像の胸に紋章のようなものが彫られているのに気付いた。
とぐろを巻き、鎌首をもたげた蛇の紋章…
伝統的な蛇眼族の紋章だった。
「それは蛇眼族の男と常人の女ですな」
不意に森の中から声が響いた。
宗次はその瞬間に長刀を抜き、中段に構えた。
「誰だ!」
石像を背にして森を素早く見渡しながら宗次は叫んだ。




