六
日曜日の朝、トムは起きて朝食の準備をしていた。目玉焼きを二つ焼いていたが片方の形が崩れてしまったので綺麗な方をエリーの分にした。テレビのニュースでは昨日、港でカルテルとギャングの銃撃戦があった事を伝えていた。エリーが起きて頭を掻きながらキッチンに出て来た。
「おはようトム」
「おはようエリー。ご飯にしよう」
「うーん、顔洗って来る」
エリーは寝ぼけ眼のまま洗面所に行った。洗面所からのあくびが聞こえるとトムは笑いながら目玉焼きを皿に移した。トムのスマホが鳴った。アレックスと表示された画面が振動している。トムは皿を運びながらタップしてスピーカーにした。
「やあアレックス、珍しいな朝から。どうした?」
「トム、いきなりで悪いが頼みがあるんだ。ちょっと出て来てくれないか」
アレックスのいつもの明るい感じではなく、どこか焦ったような声に眉をひそめた。
「ああ。いいけど。今からか?」
「二時間後でいい。頼む、お前しかいないんだ」
顔を洗って来たエリーを見ながらスマホを取り、音声を切り替えて答えた。
「ああ、分かった。場所は?」
「教会が見える丘覚えてるか? 子供の時によく抜け出して一緒に行った所だよ。あそこに来てくれ」
「たしか五年前に道路ができた所だな、誰も使ってないけど」
「ああ。あそこがちょうどいい。それと……この事は誰にも言わないでくれ」
「え? ああ、まあいいけど」
「すまん」
通話が切れた。スマホを置いてパンを取り、エリーが冷蔵庫からジャムを取り出してテーブルに座った。
「誰? お友達?」
「ああ。幼馴染みなんだ、頼みたい事があるって。食べたら出かけるよ、なんだか深刻そうなんだ」
「うん。じゃあ私は少ししたら帰るわね」
「ああ。悪いね、あっジャム僕にも貸して」
「はい」
「ありがとう」
エリーのスマホも鳴った。
「ジェシカだ……もしもし?」
「エリー、マックス知らない?」
「え? どうかしたの?」
「まだ帰って来てないのよ。電話にも出ないの」
「失礼します」
警察署長室の扉を閉めたアルベルトはオフィスに戻って来ると、コーヒーメーカーの前で部下に話し掛けられた。
「どうでした?」
「だいぶ署長に絞られたよ。仕方のない事だが」
部下はコーヒーを飲みながら笑った。
「いやいや。隊長は悪くないでしょう! そもそも隊長がいなかったら銃撃戦で毎回犠牲者が出ます。昨日も銃撃戦になった時点でシルフに気付かれる。そうしたらコンテナぶん投げられて今頃全員お陀仏ですよ」
「まあ……それはそうかもしれないが」
アルベルトもコーヒーを淹れ一口飲むと、部下と話しながら自分のオフィスへと歩いた。
「しかしウンディーネ関係の物が取引材料だった可能性が高いと分かっていたんだ。ウンディーネが出て来るのは十分に予想できた。俺の鎧だけではなく他に対策を考えておくべきだった」
アルベルトは部屋に入って椅子に座ると溜息をついた。部下も客用の椅子に座った。
「しかしノームの鎧も効かないとはな。今回は矛の勝ちか」
「何の事です?」
「矛盾の話だよ。最強の矛と最強の盾をぶつけたらどうなるって話だ。俺のノームの力、野菜を刃に変える能力で作ったサーベルはどんな物も斬る事ができる。そして野菜を含んだ液体を防護鎧にかけて力を使えばどんな物も通さない鎧を作れる」
「たしかその鎧はサーベルでも斬れないんでしたね」
「ああ。俺の力で作った矛と盾では盾が勝つんだ。どんな物でも斬れるサーベルを防げるんだからウンディーネの槍も防げると思っていたが……能力を過信し過ぎた。俺のミスだよ」
部下はアルベルトの机の上にあるウンディーネの写真を手に取って眺めた。
「彼女の槍の能力は血液一滴さえあれば発動できる、そして新しい犠牲者の血液から更に何発も同時に発動できる訳ですからね」
「最初の一発を撃つために本体が近くにいる必要も無い。実際に港から三十キロ以上離れたアントニオの屋敷の中にいるのは確認済みだからな。実に厄介な能力だ。一度発動したら手が付けられん。本体を暗殺する以外防ぐ手段は無いのかもしれない」
「これほど裏社会に適した人材はなかなかいないでしょうね」
部下がアルベルトにウンディーネの写真を返した。
「ウンディーネか」
自分の娘と同じくらいの年頃の女だ、子供にしか思えないがその凶悪さは折り紙付きで警察も最重要人物として常にマークしている。
「まあいい。今はとりあえず商品の追跡を続けてくれ。それとシルフだ。ウンディーネに負傷した事を知られたらシルフは始末されるだろう。その状態で表立って動く事は考えにくい……が何を考えるか分からない連中だ。警察への報復があるかもしれん。しばらく監視してほしい」
「分かりました」
レストランの元従業員、フェルナンドは男の悲鳴で目を覚ました。隣の部屋のホセの声だろう。
椅子に縛り付けられ体が動かない。顔が腫れあがり、まだ塞がってない方の目で周囲を見ると、暗い部屋で入れ墨がびっしり入ったタンクトップの男達が三人椅子に座っている。二人はタブレットやパソコンを操作していて、一人は銃を撫でまわしている。パソコンからケーブルが伸びていて、フェルナンドのスマホと繋がっている。銃を持つ男がこちらを見ると口を開いた。
「設計図はどこだ?」
「だから……売っちまって知らないんだよ」
「設計図の情報は誰から聞いたんだ?」
「ユージーンだよ、情報屋の。何度も言ってるじゃねえか。俺は金塊だと思ってたんだ」
男が立ち上がり銃をテーブルに置いた。ゴトリと音がした。テーブルの上には金槌やペンチ、ノコギリ、ナイフ……拷問に使う道具が揃っている。
「誰に売ったんだ?」
「マーケットだよ! あんたらも知ってるだろ!? あそこで売ればそれで終わりなんだ! その先は知らないんだよ!」
「昨日ウンディーネが十秒暴れたんだ。何人死んだと思う?」
「……」
「四十三人だ。十秒で四十三人だぞ? 分かるか? ウンディーネを裏切った奴が無事で済むと本気で思ってるのか? お前の家族や親戚も全員あの世行きがとっくに決まってる。まだシラ切って長生きしようってのか?」
「本当なんだ! 俺のスマホ見たろ!? あいつからの情報なんだ! メールが来たんだよ! ウンディーネの店の金庫には金塊が入ってる! 店を襲撃したふりをしてコロンビア野郎のせいにしてそれを売っちまえば一生食うに困らない金が手に入るってよ! いざ開けてみたら変な書類が入った封筒しか無かったからさっさと売っちまったんだよ! 大した金にならなかったからあの後分け前で揉めてたくらいなんだ!」
「だから金がもっと欲しくなってマックスって仲間が持ってっちまったんだろ? ほとぼりが冷めたらまた高値で海外に売ろうってんだ。それともマックスに裏切られちまったかな? マックスが行きそうな場所を言えよ」
「だから知らねえって! 誰なんだよマックスって!」
パソコンを操作している男がマウスをクリックしていたが不意に手を止めた。
「そいつの言ってる事は本当かもしれないな」
「何?」
「見ろ」
パソコンには三年前のストリートギャングの抗争の記事が映っていた。男は画面をスクロールして写真を見せながら話を続けた。
「三年前のギャング達の抗争の記事だ。ミゲルとペドロが対立して、ユージーンとディージェイはそれぞれの部下で敵同士だった。それ以来二人は仲が悪くて有名だったらしい。マックスってガキはディージェイのパシリだ。ユージーン側のそいつと組んで仕事をするってのは考えにくい」
「えっじゃあ何か? レストランを襲ったのは本当にこのアホ野郎とその辺のケチな情報屋で企んだ事で、マックスってガキはウンディーネに脅されたのに金と封筒持って消えちまったってのか?」
「その情報屋を捕まえりゃ分かるだろ」
タブレットを操作していた男がショッピングモールの防犯カメラの映像を見ている。
「ほらいた、こいつだ。どこにでもいるマヌケ野郎だぞ」
「アントニオの屋敷にも来た事がある。スラムじゃそれを自慢にしてるっていう小物中の小物だ」
「驚いたな。なんでこんな奴からウンディーネの店を襲おうなんて話なんか出たんだ?」
「まあいい。じゃあとっ捕まえて続きを聞こう。こいつ等の処分はその後だ。他のゴロツキ共の尋問も一旦止めておけ。ったく、マックスってガキもとんだ命知らずだな」
ため息をつきながら男が出て行った。
窓ガラスが割れ、銃弾が撃ち込まれている不審な車が市立図書館に放置されていると警察に通報があったのはその日の昼の事だった。図書館の職員が朝から注目していたが、昼になってもまだ駐車してあったので不審者が近くにいるかもしれないと怖くなり通報したと記録されている。警察署にジェシカが訪れたのと同じタイミングで車の持ち主がマックスである事が分かると、マックスの失踪届が受理された。