*13* 一人と一匹、新入りとオヤツを片手に。
「えぇと……先程は取り乱してお恥ずかしいところをお見せしました。改めてお帰りなさい」
そう頬を掻きながら苦笑するチェスターを前にして、こちらも「こっちこそ驚かせて悪い。あれは誰でもびっくりするよな」と苦笑を返す。
ほんのついさっきまで森の緑と土の匂いを感じていたはずが、今は室内で来客用ソファーに座り、お高そうな紅茶と甘い焼菓子の香りに包まれているのだから、人生は何周しても慣れることはなさそうである。
あの後、腰を抜かしたチェスターがぶちまけた書類を拾い集めてソファーに座らせ、立てない彼の代わりにエッダ達が従業員に頼んで、ここ執務室にお茶の準備をしてもらったのだ。
ただ出かけていたはずのエッダ達が執務室から現れたことに、お茶の準備を頼まれた従業員もチェスターに負けず劣らず驚いていたので、彼の尊厳は守られたっぽくて安心した。
「でも正直私達も直前まで森にいたから、いきなりここに飛ばされて何がなんだかさっぱりなんだよ。な?」
紅茶とクッキーを勧めてくれるチェスターに忠太が会釈し、両隣に座るエッダとデレクに同意を求める。チェスターの物言いたげな視線が首周りに注がれている気がするが、今は受け流す。たとえネズミより大きな生物の舌に舐められ続けた頬がしっとりとしていてもだ。
すると同じくスルー勢の二人も「そうそう、いきなりピカッとした思ったら、次に目蓋開けたらここやもん」「ま、でもあそこから歩いて戻るのもダルいし、ちょうど良かったッスよ」と言いながらカップに手を伸ばした。
ラルーはクッキーに載っているクルミを、忠太は不貞腐れた顔でクルミを剥がれたクッキーを齧り、レオンはじっと宙を飛ぶ小虫を見つめていたが……舌を伸ばして器用に捕食。お茶のお供は人それぞれだ。
誰一人として進んでチェスターの質問攻撃を受けたくないため、しばし紅茶と焼き菓子に熱中していたものの、私の首に巻き付いていたそれがテーブルに下りてクッキーを食べる。
その姿に流石に痺れを切らした彼が「こちらは?」と口を開いたので、帰還前の約束通りエッダとデレクが、森での出来事(謎の卵の出現前後辺りから)を簡潔に説明してくれたのだが、話を聞く間に段々と前のめりになってきたチェスターは、報告を聞き終えた瞬間「まさか、こんなことが」と声を震わせた。
「いいですか皆さん、落ち着いて聞いて下さい。わたしの勘違いでなければですが……この子は、カーバンクルの幼体です」
その単語は聞いたことがある。ゲームでだけど。興奮気味に頬を染めるチェスターから視線をずらし、忠太と一緒にクッキーの屑を口の周りにつけたイタチを見る。
小首を傾げるイタチは確かに可愛いけど、私の知っているカーバンクルといえば、某パズルゲームに出てくる黄色いウサギみたいな形で、赤い宝石を額に持っているカレー好きなやつだ。イタチじゃなかった。スマホで検索していた忠太が出してきた画像も正にそれだし。
でも考えてみれば、前世でカーバンクルの実物を知ってる人間なんて誰もいなかったから、本物がイタチじゃないとも言い切れないが――。
「あー、そうそう、それ!! 何かそういう名前やった気がするわ。思い出せてすっきりしたぁ。でもカーバンクルって卵生やったんやねぇ」
「故郷の村にいた猟師のオッサンが、昔酒場で酔うと『若い頃に見たことがあるんだ! 今の俺になら狩れるのによぉ』って言ってたやつかな? でもそもそも実在するとは思ってなかったッス」
よかった、どうやらこっちでも同じような扱いらしい。忠太達みたいな小さい神様の存在を信じるくらいだから、そんなもんなのかと思っていると、チェスターがダンッと力強くテーブルを叩いた。そして――。
「三人とも、カーバンクルの幼体ですよ? もっと驚きませんか普通。この種が大陸で目撃されなくなってから、もう百年以上は経っています。それにカーバンクルについては謎が多くて、書物では成体状態の表記しか見たことがありません。卵生というのは新事実ですよ。学会に報告したらどうなるか……」
そこからはもうチェスターによる絶滅した伝説級魔獣の授業。その剣幕に怯えて再び首に巻き付いてきたイタチを横目に熱弁する様は、誰がどう見てもオタクでしかなかったが、エッダとデレクはこういうことに慣れているのか、明らかに右から左に流している。
チェスター曰く、カーバンクルは額の石に自然界に漂う魔力を貯め込み、魔法も使えるらしい。あとは他の生き物の悪意にかなり敏感で、真偽は不明だが額の魔石で未来視をするという。
反面その魔石のせいで周囲の魔力を取り込みすぎ、酷い場合は森が枯渇することもあるとかないとか。ここ最近の森の不調も、カーバンクルの卵が自然と均衡を保つ精霊達を摂り込んでたせいで、魔力が乱れていたのが原因かもしれないと言う。
ただここでカーバンクルという魔物の存在自体が、駄神の同僚が作った謎生物かもしれないということに思い至り、材料にされた小さい神様達のことを考えて少し気持ちが重くなる――と。
「も〜! 勉強大好きなんは分かるけど、マリかて帰ってきてすぐにこんな長話疲れるやんなぁ?」
「雇われてるオレ達と違って、マリは協力してくれただけなんスから。一応気になってた問題は解決したんだし、あとの細かいことはうちの仕事ッスよ」
「や、気を使わせて悪い。そういうわけじゃ――」
【ありますね まり つかれてます おはなしは あす いこうに】
「ちょい忠太、まだ話の途中だぞ」
「いいえ、確かにお二人とチュータの言う通りですね。昔から気になることがあると周りが見えなくなってしまって……申し訳ない。今日はこれくらいにしましょう。ですが謝礼のお話がありますので、明日以降また訪ねて来ていただけますか?」
いきなりわっと賑やかになった執務室内に、イタチの「キュクルルッ」というご機嫌な声が重なる。イタチのハミング。
尻尾をバサバサ振るところは犬っぽいけど、そんな姿も可愛い。そして親愛の証なんだろうが、額にある石のせいで頭突きが痛い。まぁ見かねた忠太が「ヂヂヂッ!」と威嚇したら止めてくれたけど。
その後は簡単に今回の報酬の話をし、三日後に報酬の受け取りと報告を聞く約束を取り付けて、今日のところは一旦解散ということに。
エッダ達が残ったお茶菓子をお土産に包んでくると離席して、執務室にチェスターと私達だけだけになると、彼はイタチと私と忠太の順に視線をやり、躊躇いがちに口を開いた。
「あの……あまり脅すようなことは言いたくないのですが、今後この子を使役するのなら身の安全確保が大事ですよ。額の魔石目当てに狩られ尽くしたという話は有名です。それに額の魔石だけでなく、毛皮も爪も牙も血も、身体中が魔力を帯びると言われている幻獣ですからね」
「ん、分かった。取り敢えず石が見えないようにハンカチを巻いとくわ」
「そうして下さい。いくらチュータやその子が魔法が使えると言っても、血眼になった腕利きの冒険者が束になって襲ってきたら……」
そこで一度言葉を区切ったチェスターに、忠太が【まりは かならず まもります】と打ち込んだスマホを見せた。小さな身体の大きな決意に若干こそばゆい気持ちになったけど、チェスターは目を細めて「ふふ、そうですね。では、心配は無用ということで」と応じる。
そうしてお土産のお茶菓子を受け取り見送られた私達が次に向かう先は、チェスターが手配してくれた宿屋ではなく。
【さて おにきすに はなしを ききにいきましょうか】
「駄神の被害者が他にいることに感謝するってのもあれだけど、この街に頼りになる先輩がいてくれて良かったよな〜」
笑いながらそう話す私と忠太に「クルルル?」と、小首を傾げるイタチを首に巻いたまま道すがら、お土産に持たされた焼き菓子を使ったジャンクなオヤツを考えるのだった。