★9★ 一人と一匹、謎解きに出向く。
水の匂い。
土の匂い。
草の匂い。
風の匂い。
マリの肩の上で立ち上がって鼻をひくつかせると、そこかしこから程々にではあるものの下級精霊……小さな神様の気配を感じる。けれど不思議とどれも薄い。まるで決め手に欠ける焼き菓子のようだ。
二日前、あの愚か者が診療所の前で義眼を引っこ抜いて謝罪し、さらにそれを換金して得た金で一回分の治療費をエリックに支払った。小さな天才は尊大な態度で彼を許し、許された彼は正式にエリュシオン工房側からの依頼として、エリックと契約書を交わした。
内容はエリックがエリュシオン工房の創設者であるカミラの治療を行い、快癒させれば今後診療所で必要になるであろう手術用の道具を、工房が存続する限り無償で提供するという両者にとって破格のものだった。
あとから何も状況を知らずにドン引きしていたエッダとデレクに聞けば、あれはその辺に出回っているガラスや水晶を使った義眼ではなく、カミラが自らの莫大な魔力を込めた、いわば魔力の塊そのもののような魔宝飾具だそうだ。
魔道具には魔力を分解して気体状にする機材もあるそうなのだが、最高クラスのものでも爆発させてしまうほどらしい。しかし驚くべきはその性能か。
空の眼窩にあの義眼を装着すれば、脳から伝達される信号を探知して、無事である方の瞳の視力を五〜六割コピー出来る代物。足りない分の視力をモノクルで補っていたわけだ。
一般の魔宝飾具師が作れるような代物でもなければ、一般人は勿論のこと、ダンテのような他国出身の傭兵に買える代物では絶対にないとか。けれどそれをもってしてもエリックの治療一回分だとは恐れ入る。彼を手懐けているマリはもっと凄いということだ。
——とはいえ、今はダンテとカミラのことなどどうでもいい。
エッダ達が籍を置く商会の採取地であるここオルドの森は、聞いていた通り確かに奇妙な状況のようだ。そんな二人はわたし達の前方を歩いて、最近良く素材を採取する地点へ案内してくれている。
マリは精霊の気配を感じることは出来ないが、それでもわたしの反応から「あのさ、何か森としては匂いが薄い気がするよな?」と小声で尋ねてくる。この違いを分かってくれるなんて流石はマリ。
頷くと目の前にスマホが差し出された。肩口から落ちないよう後ろ脚の指に力を込め【きめてにかける やきがし みたい】と打ち込めば、それを見たマリは目を細めて「食いしん坊の言い分だけど、同感だ」と笑った。
「小さい神様達の声は聴こえるか?」
【きこえますが ことばと いうには ばらばらすぎ】
「ふぅん……匂いが薄いのと何か関係あるのかな?」
【ありえますね】
「そっか。ま、でも異変を感じたら髪を引っ張ってくれたら立ち止まるからさ。遠慮しないで引っ張ってくれよ」
【まりに そんな やばんなこと しません ないておしらせ します】
「野蛮って……ちょっと髪を引っ張るくらいで大袈裟だなぁ忠太は。まぁでも可愛い声で知らせてくれるならその方が良いか。よろしく頼むな?」
そう笑う彼女に胸を叩いてみせ、再び意識を集中させて森の気配を探る。見た目だけならどこにでもある森だ。おかしなところは何もない。けれど森特有の匂いがしないということはどこかに理由がある。ここはまるでマリの世界で万能に使われていたプラスチック製。
今この森は形はあるのに命がない。原因は恐らくこの地に存在していた精霊達が、何らかの理由で弱るか離れてしまっているからだと考えられる。けれど本来下級精霊に自我らしい自我はない。不満を持って離れたとは考えにくい。
考えられることがあるとすれば——……この森に下級精霊の力を吸い上げている存在がいる、だろうか。周囲に危険と呼べるような気配はまだない。
先を歩くエッダの肩に乗ったラルーがこちらを振り返ったので、まだ反応がないことを示すべく首を横に振る。すると賢い彼女は頷くような素振りを見せて前を向いた。上空からの警戒も出来る彼女は頼りになる。
デレクの背中はここからは見えないものの、全員がチェスターから支給されたラーナとサーラお手製の護符を持っているし、先頭のデレクにはマリお手製の魔物避けの笛もある。この森にいる程度の魔物なら何とか回避可能なため、比較的安全に進むことが出来る。
とはいえ油断は大敵。戦闘特化の金太郎がいないので、もしも魔物に襲われた場合にはわたしの攻撃魔法しかない。けれど気を引き締めていこうと思った矢先、先頭を歩いていたデレクから「もう森に入ってから二時間くらいッスから、この辺で休憩しましょ〜」と声がかかったのでそれに従う。
休憩場所は開けた場所に丸太が二本対面に転がされていて、真ん中には切り株のテーブルがあった。たぶん丸太は元々この切り株の主だろう。一目で誰かが休憩するために配置したものだと分かる。
ただここに設置されてからそれなりの時間が経っているのか、苔むしている表面はしっとりとしていてそのまま座ってはお尻が湿気ってしまう。そこで三人とも各々の鞄の中から適当な布を引っ張り出して敷いた。
片方の丸太にエッダとマリ、向かい側の丸太にデレクとレオン、切り株のテーブルにはマリがハンカチを敷いてくれたので、わたしとラルーも湿気ることなく腰を落ち着けることが出来た。会話に交ざれるようスマホも目の前に置いてもらい、休憩の準備は万端だ——が。
「「それで、この森が今どんな状況なのか何か分かった!?」」
リュックから取り出した水筒に口をつけようとしていたマリに、二人が興奮気味に身を乗り出してそう尋ねた。尋ねられたマリは一瞬ぽかんとしていたものの、すぐにわたしに視線を向けてくる。頷き返せば彼女も頷き、咳払いを一つ「あー……まぁ、ちょっと気配が薄い、かな」と頭を掻いた。
「薄い? 薄いってことは小さい神様がもうおらんってこと?」
「じゃあこの森を手に入れるために払った採取地登録金が、実はまったくの無駄でした〜っててことっスよね……うわぁ」
「やっと手に入れた採取地やったのに、スカ掴まされたとか嘘やん〜」
マリの発言に明らかに落ち込む二人。ラルーはそんな相棒を慰めるべくテーブルから飛び降り、そのどんよりとした様子を見た彼女が気まずそうにこちらを見るが、現状では気配が薄いという説明が一番近い。
とはいえもっと詳しい情報が欲しいのだろう。ここでマリの期待に沿わねば守護精霊の名が廃る。
そう思いこれまで周囲の警戒に割いていた魔力を、ほんの少し同胞の声を拾う方へと回したその時、スマホが震えて。
【*****である第*難関〝?????〟が発生しました】
――画面に絶望的な内容が浮かび上がった。