*8* 一人と一匹、先輩と孫に弄ばれる。
「さっきは気分の悪い思いさせてごめんなエリック」
「気にするなマリ。あんなのは良くあることだから……それに、満腹でこのフカフカとクッションに埋もれてたらどうでもよくなる」
胃袋に大量のジャンク飯を詰め込み、尻の下にドーナツクッション、背面に巨大化した忠太という最強の布陣で脳を溶かされているエリック。上半身のほとんどは忠太のモフ毛に覆われて見えない。
見ようによっては忠太の脇腹に口があって、捕食されている風でもある。実際ダンジョンにこんな可愛い罠があったら、宝箱型のミミックよりもずっと引っかかってしまいそうだ。
室内はそんな忠太から広がる、太陽光をたっぷり吸ったおふとぅんの香りで満たされている。本当なら巨大化のことはオニキスにだけ教えるつもりだったものの、うっかり前回教わった引っかけを回避した守護ポイントで何を手に入れたかを、忠太が披露させられてるところに入室してしまったのだ。
サイラスとは違い無償での助言ではなかったという……ね。かくして哀れ忠太はフワフワシルキーな貴人用ソファーになってしまった。
でも考えてみれば、準高位精霊の先輩の圧を受けてテンパっていた忠太はともかく、オニキスは絶対にこちらの気配に気付いていたはず。恐らく食事の他にエリックの癒やしになりそうなものを求めて狙っていたのだと思う。孫が可愛い権力者みたいだな。
ちなみに本日はほぼほぼ具が入っていない代わりに、米だけ大盛りの業務用冷凍チャーハン。そこに味の◯の香味ペーストと、フォークで潰した惣菜の出汁巻き、焼豚の切り落としを漬けダレごとぶち込んで強火で炒め、上からさらに湯煎タイプの八宝菜をドバッ。なんちゃって風あんかけチャーハンだ。
エリックのようなお育ちの良い生意気なのが、行儀作法も忘れてジャンク飯をがっつく姿というのは癖になる。もっと前世の味付けに沈めてがっつかせたいという内なる欲求が膨らむし、相手が医者だと思うとさらに背徳感がある。
ただ医者の不養生は格好がつかない。不健康になっても困るから、時々は野菜をメインで考えないと駄目か。野菜料理か……野菜って一種類でも高いからあんま使えなくてパッと思いつかないけど。
そんなことを考えている私とは違い、全身全霊でだらける教え子の姿を見つめるオニキス。表情こそないが雰囲気が柔らかい気がする。少なくともさっきまでのモンペ蔓的な刺々しさはない。
「す〜……ふはぁ〜……それにしても、チュータは凄いな。職人の従魔というのはこんな進化もするのか」
「あ、いや、それに関しては忠太がちょーっと特殊な感じっていうか。これはオニキスの時と同じで私とエリックだけの秘密な?」
忠太の腹毛の中で深呼吸したらしいエリックの言葉に、すかさず指摘を挟む。これが通常の従魔だと思われたら大変だ。とはいえ通常の従魔というのがポ○モンみたいに進化しないものなのか、そこらへんは私も知らないけど。
たぶんしない――と、思う。自信はないけど。これまで見てきた大型の個体は大抵元からその大きさの個体だ。その点でいくと忠太の場合は巨大化だから当てはまらない。
けれど忠太の腹毛に埋まったエリックから返ってきたのは「わたしとマリだけ? デレクとエッダの二人も知らないのか?」という、やや驚きを含んだ問いかけだった。
「ん? ああ、そうだ。あの二人も忠太が大きくなれることは知らない。私の他の知り合いだとサイラスくらいかな。あとはエリックとオニキスだけだ」
絵面が微妙に間抜けだけど、出来るだけ真剣に聞こえる声音でそう答えたところ「そうか……うん。分かった。マリとチュータの秘密なら、絶対守り通してみせるぞ」と返ってきた。心なしか声が弾んで聞こえる。まぁもたれてる忠太の腹肉に反響してるだけかもだが。
紅い双眸は目蓋の下に隠れているけど、ピンク色の耳が時折こちらの声に反応してぴくぴく動くのが可愛い。ヒゲはしょんぼりと下がって床に先がついている状態。汗ばむ季節なのに離れないエリックにも根性を感じるものの、ダンテ達が追い返された時から気になっていることを質問してみることにした。
「そういえばさ、今更な質問で悪いんだけど、医療魔術って結局どういう感じで効くものなんだ?」
「先程我が投げ飛ばした男はどちらかの瞳が義眼ないし、それに準じた魔道具だっただろう」
「え、そうなのか? 全然気付かなかった」
オニキスの返答に脊髄反射で答えると、忠太に埋もれていたエリックが身動いだ。今度こそ食後初めて顔を出して……こないな。でもモフモフの向こうから「流石はオニキス様です」という嬉しそうな声が聞こえた。
「あの男の受け身の取り方は目の照準が合っていない人間のそれだった。それはともかく、仮に義眼ではなく眼球に視神経が残っている状態で、腐っていなければ視力の回復も望める。そうだなエリック?」
「はい、その通りです。あ、だけどなマリ、その分どこかから生命力を削るぞ。無から有は作れないんだ」
尊敬するオニキスからの説明に嬉しそうにそう答えるエリック。ただし上半身がモフ毛で覆われて見えないので、どこまでいっても拭いきれないクソコラ感か、進行不能なゲームのバグっぽさがある。会話中だけどついスマホで写真を撮ってしまった。あとで忠太に見せよ。
「成程ね。でもそれなら確かに最初に会った時に言ってたみたいに、弱った身体で使うと危険なんだな」
「そうだぞ。とはいえかなりな禁じ手にはなるが、親子や兄妹だと片方が健康な場合素材として使える。これを言うとクズ共がこぞって愛人との子供を使おうとするから、極秘だけどな」
「そりゃ最悪だ。聞かなかったことにしとく」
「ふふ、そうしてくれ」
「でもそれじゃあダンテを叩き出した時に自信満々だったのは何でだ?」
「うん? それは簡単な話だぞ。医療魔術師はその辺に溢れかえっている医者もどきや詐欺師とは違う。あの程度の治療でも、翌日には気休めではない効果を確実に実感出来るんだ。本当に彼女が大切なら頭を下げて金を積む。出来なかったらそれまでの関係なんだろう」
そう言って脚を組み直すエリック。声音に愉悦がくっきり表れていることからも勝ち確定だと思われる。明日のダンテの土下座は不可避っぽいな。タイミングが良ければ見られるかもしれない。是非見たいものだ――と。
しなやかな尻尾が助けを求めるように足首に巻き付いてきたので、宥めるために忠太の鼻先まで回り込めば、ひくりとピンク色の鼻が動いて目蓋が持ち上がった。紅い南天色の双眸が潤んでいる。大きくなりすぎた手ではスマホが使えないから、言語化出来ないことに気を揉んでいるらしい。
寛いでいるエリックには悪いが、忠太がもう限界みたいだから元の大きさに戻しても良いか尋ねようとしたものの、休診中の診療所の方から『あんた何しとんねん!?』というエッダの声が聞こえてきて。
その声に「ふむ、思ったより早かったな」とオニキスが呟き、やっと忠太のモフ毛から顔を出したエリックが「謝罪に指でも詰めたか。指より現金が良いんだが」と怖いことを曰う。
そんな殺伐とした雰囲気の中で元の大きさに戻った忠太が、よたよたとスマホに打ち込んだのは【まり おなかすきました】という非常に不憫可愛い一文だったので。残しておいたチャーハンの山にダイブさせてやった。