*6* 一人と一匹、診療しましょ?
――結論から言おう。
王都までの残り二週間の移動距離は消滅した。
本当に大手の力は凄い。何かしらの移動手段くらいあるだろうとは思っていたけど、まさか本当に通された小部屋の床一面に描かれた魔法陣からひとっ飛び出来てしまうとは……言ってみるもんだよな。
ちなみに現金なエッダとデレクの機嫌は急上昇。そんな二人は一旦チェスターに帰ってきたことを報告しに商会へ戻り、私と忠太は当初の目的通りエリュシオンの王都本店から直接エリックの診療所へ向かうことに。
一応他と比べれば治安の良い方ではあるが、スラムには違いないのでダンテという男性が同行を申し出てくれた。本店の工房の準代表者だそうだ。けれど職人ではないし、人種もこちらでは初めてお目にかかる黒人系。
特徴的なドレッドヘアを後ろで纏めてオールバックにした、推定身長二メートルの成人男性。左目にモノクルをかけているから経理畑かと思えば、見たままがっつり武闘派らしい。まぁそうだろうな。
エドよりもデカくて厳ついのはちょっと驚いたものの、寡黙だけど人見知りという風ではない彼は、あまりそういうことに明るくない私でも分かるほどカミラを大事に想っているようだった。
そしてそれは彼女の方もそうなようで、彼が同行すると言い出した際に一度は「き、君がいないと、店で何かあった時に皆が困るよ」と断ったカミラに「貴女に何かあったとしても皆が困る」と返し、工房の職人達からささやかな拍手を送られていた。年齢も近そうなことからしても工房公認なんだろう。
そんなこんなで、緊張と興奮で身を固くしているカミラの乗る車椅子をダンテが押し、久々の訪問用に嵩張らなそうな手土産をこっそりスマホで購入して診療所に向かう。
今日も診療所のベンチには心付けを入れる籠と貢物の野菜やらが載っている。相変わらず高齢者が多い地域のお地蔵さん前みたいだ。あの赤い前掛けとかいつの間にか綺麗になってるんだよな。
そしてそんな診療所の前にはこちらに背を向けて〝休診中〟の札をかける人物が一人。美形って後ろ姿だけでも分かるのって何でだろう。髪の艶だけでもう勝てない。遠目にでもこの前会った時より背が伸びているように見える。
すぐにでも診療を頼みたそうにしているダンテとカミラをその場に留め、先に忠太と一緒にその背中に声をかけにいく。けれど声をかける前にこちらの気配に気付いた相手が振り返り、微かな驚きのあとにパッと笑顔になった。
「よ、また急に訪ねて来て悪いなエリック」
「いいや、マリ達のそういうところには慣れてきたから別に構わない。それに今日は患者も少ないからちょうど今から早めの休憩時間なんだ!」
「そっか、そりゃちょうど良いな。暑い時期なのに熱中症の患者が少ないってことは、エリックの教えた病気の予防とかがだんだん地域に広がってきたってことだよな。凄いじゃん」
「そ、そうか? 正直自分ではまだまだ不十分だと思っているのだが」
「そんなことないって。意識なんて一朝一夕に変わるもんじゃないんだから。充分凄いよ。な、忠太?」
肩に乗る相棒にそう尋ねれば、産毛に覆われた薄ピンク色の尻尾で器用に丸を作り、両手の親指(?)を立てる二段構えの褒め。私でなくても見逃さない大絶賛を見たエリックは嬉しそうに「なら、もっと頑張るぞ」と気合い充分に頷く。こういうところデレクと並んで弟分みがあるな。
「ふむ……エリック、ちょっと見ない間に背が伸びたか?」
「ふふん、当然だろう。確実にチュータの尻尾分は伸びたぞ。マリの身長なんてあっという間に追い越してやる。大体前に二人が遊びに来たのが三月頃だったから五……いや、ほぼ半年ぶりだからな。もっと頻繁に遊びに来い」
「え、もうそんなになるっけ?」
「なる。毎日暦に印をつけてるから間違いない!」
そう言って自信満々に言い切るエリックに向かい、忠太がゆっくりと頷きながら両手をぽてぽてと叩く。文字入力はしなくとも【おかわいらしいこと】くらいは思っているに違いない。ハツカネズミに先輩風を吹かされてら。
「そっか、そりゃ悪かったな。このところちょっと色々忙しくてさ」
「べ、別に、わたしだって忙しかったからな。仕方ない。それにマリとチュータならいつでも歓迎するぞ。オニキス様は奥におられる。お前達が来たと知ればお喜びになるぞ。さぁ裏口に回ってくれ」
近々で忙しかったのは主に駄神のせいだが、地底にしばらく缶詰になったことを話して分かってもらえそうなのって、実質オニキスとサイラスくらいしかいないから、まだ自宅に帰れない今めちゃくちゃオニキスに愚痴りたい。そしてあわよくばまた忠太と昭和の親子会話してほしい。
だからそんなエリックの魅力的な発言に全力で乗っかりたいところだけど、肩の上の忠太から【まり そろそろ ほんだい】と促され、致し方なく切り出そうとしたその時、ふと年相応な表情を浮かべていたエリックが、少し離れた場所からこちらを見ている二人に気付いて笑みを消した。
「あー……悪い。普段見かけない人間がいたら警戒するよな。本題に入るのが遅れたけど、あの二人は私達の知り合いで怪しい奴じゃない。エリュシオン工房の職人とその護衛だ」
「は? エリュシオンと言えばこの国で一番の工房だぞ。そんな金銭に困っていない人種がなんだってうちみたいな小さな診療所に」
「まぁ待て待て。今日はエリックの診療所で使ってもらおうと思って、医療機具の試作品を持ってきたんだ。ここに来る患者に役立つと思う」
「へぇ……マリの作った医療器具の試作品か。それは興味深いな。けどそれとあの二人は何の関係があるんだ?」
「ん、試作品を売ってくれって言われたけど断った。いくら身体が不自由でも、金持ちは一番最初に私の試作品を必要としてる人種じゃないからな。てことで、ここからが相談なんだけどさ――」
ようやく本題に入れたことに胸を撫で下ろしつつ、訝しむエリックに今日ここを訪れた理由と、忠太のカミラに対する看立ての件について話せば、そういう理由ならと休憩時間にも関わらず診察を快諾してくれた。
ただし念の為オニキスは裏の住居スペースに隠れてもらうことにして、その旨の言付けを忠太に頼んで私とカミラ達は診療所の方へ案内されたのだが……。
「ではカミラ殿。まずは脚の筋力の衰え具合を見たいから、診察台に上がって下の服を脱いでくれ」
瞬間、殺気だったダンテの吊し上げをモンペな牡鹿の蔓がはたき落としたのだった。