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◤幕間◥地底に輝く太陽は。

 淡い光に包まれた客人達が夢のように消える。あとに残った光の粒子がすべて暗闇に溶けて消える頃には、ここに吾輩達の他に誰かがいた形跡など、何もなくなってしまった。


 随分と悪くなってしまったこの目を焼くような生命力の輝き。数百年前に捨てたやかましい外界が、人の姿を得て飛び込んできた。そんな荒唐無稽なことを考えてしまうくらいに強烈でキテレツな子らだった。だが吾輩はこの静かな地下迷宮での生活を気に入っている。


 ここには知識に貪欲な吾輩のような者を迫害してくる無知な輩はおらず、転生してから今日までずっと寄り添ってくれる愛しい妻も、望めないものだと思っていた彼女との娘達もいるからだ。


 けれど妻は肩を落として俯きがちに沈んでいる。きっと数百年ぶりに吾輩がかつての同族と語らうのを見ていて、何か思うところがあったのだろう。昔から気持ちの優しい彼女らしい。そして吾輩も数百年を経て、ようやく人間らしい機微が分かるようになった。


「やれャれ、賑やかナ子たちだったネ。これデやっと君との静かナ生活に戻れルというものダ。そゥは思わなィかね?」


 そう言いつつ吾輩よりも頭一つ半ほど背の高い妻の顔を見上げれば、彼女は薄らと濡れたように輝く黒目だけの瞳でこちらを見下ろし、躊躇いがちにゆるゆると首を横に振った。そうして吾輩の肩に触れて一回撫でさする。


 肯定や賛同意見の時は上下に二回。否定や反対意見の時は上下に一回。他にも種類はあるものの、これが声を持たない妻と吾輩の会話方法だ。彼女に触れられるのはとても心地良い。


「フむ、そゥかね。君はああィう騒がシいノは嫌いヵと思っていたが、存外好きだッたのか。こレは新しィ発見だ」


 わざとらしくおどけてそう返すと、妻の華奢な手の内の一本が吾輩の額に押し当てられる。これは図星の時の照れ隠しだ。それ以外の手は人を模した上半身の腹部で固く組まれている。


 黄金を生み出すことよりも人の心を理解し、寄り添うことの方がよほど難しいものだ。そんな当たり前のことを知ったのが、人間の見目から遥かに離れた今になってからだというのも皮肉だが、思うほど悪くはなかった。


「フフフ、冗談だとモ。子供が手ヲ離れるトいゥのは、コういゥ気持ちなのだネ。存外と寂しィものダ」


 どうやらこの答えで正解だったらしい。妻は嬉しそうに何度も頷く。甘い芳香がより一層強く香りここが地底であることを忘れさせてくれる。


「さてサて、それデはこノ非才な身で、君の喜ぶことヲ考えねばナ。どれ、少しダけ待ッてくれ給えよ」

 

 勿論この姿になってお互いに失ったものは決して少なくない。彼女は空を自由に飛べる翼を失い地を歩むことになったし、吾輩も明るい時間に地上に出て空を見上げられる目と早く走れる脚を失った。

 

 手に入る道具は極々限られてはいるものの、素材は外界……とりわけ独善的な価値観に凝り固まった連中のいる窮屈な街などよりは、よほど多く手に入る。この姿になったおかげで寿命という問題に研究を脅かされることはない。故に探究心が衰えることも未だない。


 もうあんなにまでこだわった〝錬金術師〟の肩書きにも興味はなく、黄金を生み出す研究は使いどころもないために、これから先の研究はすべて妻の健康と娘達の寿命を延ばすことに捧げるつもりだ。


 過去に遡ってこの巣の元の持ち主たる彼女に再度問われたとて、きっと吾輩は同じ答えを出すだろう。姿の違い、種族の違い、言語の違い、どうでもよろしい。そんなことはどれも些末なことだ。


 この後も続くであろう数百年を嘆く気などさらさらない。同じ姿形の者達に理解出来ないと声高に罵られ続けた。吾輩もそんな連中を理解したいとは思わなかった。しかし彼女に愛想をつかされることだけはごめんだ。


 娘しかいない吾輩にとって、先程光の中に消えていったチュータは助手兼息子のような存在になった。その彼にかつてどうやって妻を喜ばせ、関心を持ってもらおうか、そればかりを考えていた頃の自分を見た気がして、つい色々と口を出しては煙たがられたが。


 チュータさえ邪魔をしなければマリに探りを入れられたというのに、近年の若人は恋愛に消極的なのかもしれん。そんな益体(やくたい)のないことを考えてしまうほどには、彼女達に肩入れしてしまったのだろう。


「ゥむ……そうだナ、あの子ラにもらった乗り物デ巣の中ヲ探検しないか。こノ姿になッてもう随分経つが、ァまりこの部屋ノ外へは出ないだろゥ。娘たチのおかゲで昔ョりかなり広くナったはずダ。仕事に励厶子ヲ褒めルのは親の持つ最上ノ喜びではナいかネ」


 ふとしたただの思いつきではあるものの、その提案は妻の心を掴んだらしい。頭上で忙しなく動く艷やかな触角が、彼女の最大限の喜びを現していることでこちらまで嬉しくなってしまった。こうなればもう少し良いところを見せてみねばなるまい。


「今日かラ吾輩は科学者ダ。久々に未知なるもノに脳が刺激サれて気分ガよろシい。ァの臭ィ水のよゥな燃料や、摩訶不思議ナ車の仕組みにつィても調べてみようジャないヵ」


 どちらかが飛ばずとも、走れずとも、負い目に感じる必要などないのだ。地上に這い出てはいけないというこれも、もう姿も思い出せない、かつてこちらに吾輩を喚んだ高位精霊にかけられた〝恐怖〟と言う名の枷でしかない。


 前世学問を志す者として嫌った言葉に〝もしも〟と〝いつか〟があった。それは美しい解を汲み取ろうと藻掻く最中に現れる逃げ水のようなものだと。何百年もずっとそう思っていた。


「そゥすれバいつか――……この日常に家族とノ夜の散歩モ取り入れラれよゥ。そして君とノ最後ヲ迎える時には娘たチにここを任セて、二人地上デ空を見て死のゥじゃなィか。なァ、ジェシカ」


 まるで二度目の求婚の言葉のようになってしまったが、彼女は二度上下に吾輩の肩を撫でてから、少し屈んで退化した翼に手を添えて毛に覆われた頬に口づけを落としてくれる。彼女こそがこの地底で死に急ぎやすい吾輩を照らす、絶対的な命の光だ。

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