*30* 一人と一匹、ただいまお日様。
ドーナツクッションの素材として蝙蝠男が提案してきたのは、キノコ本体というわけではなく、キノコが育つ際に出す分解酵素でもろもろになった木屑を使ってみてはどうかということだった。
要するにキノコは生物で腐るから、特殊な製法でおが屑化されたものを使えということらしい。確かにキノコの下から彼によって掘り出された木屑は、水分はほぼないのに不思議と仄かに熱を発していて弾力がある。
強く握るとひとつの塊になるものの、体温というか、熱源や湿度を感じている限りは発酵途中のパン種の硬さで、蝙蝠男曰く逆に冷えるとカッチカチになってしまうらしい。そうなってしまった場合もお湯に浸すか抱きしめて一晩眠れば、またパン種のようになるのだという。便利すぎる。
これもまた理屈を聞いたんだけど、この巣に棲み着いている特殊な土壌細菌と、地上の森から持ち込まれる落ち葉やら何やらがウンタラカンタラで、ナンチャラカンチャラだという説明を受けたものの、一つも意味が分からなかったので理解を投げた。最初から理解させる気がないとしか思えない。
しかしこれなら尻の下に敷くことで圧力と体温を加えられるので、ドーナツクッションにもってこいの素材だ。ただ一つ問題なのは、この木屑、ここでしか作れないのである。
何故なら分解してくれるキノコがここにしか生えていないから。従って駄神がいうところの〝素材が見つかったら即帰還〟というわけにはいかないのだ。あいつを信じたことなんて一度もないが、どれだけ穴だらけな脳みそしてるんだとは思う。むしろ心配してすらやれる境地。
そんなわけでこのキノコの副産物である木屑を、如何にキノコの手(菌糸)を借りずに生み出すかという実験が始まった。
そもそも今栽培しているキノコは元からこの巣に自生していたものではなく、愛しい妻と彼女が産む卵達のために蝙蝠男が一から試行錯誤し、湿度や温度の調整と落ち葉のブレンドが生み出した至極の一品。そんじょそこらのキノコとは違うブランドキノコなのだ。
忠太は熱弁する蝙蝠男の講義を興味深そうに聞いていたが、私は元守護精霊の奥さんと持っていた飴玉の残りを舐めてその光景を見ていた。奥さんは人型とは言い難い見目であっても、動きは不思議と女性的だ。
新しい飴玉を差し出せば小さく手を合わせてお礼を表現してくれるし、食べるのが早いことを恥ずかしがってもじもじするし、フェロモンとはいえ甘くて良い匂いもする。見習うべきかもしれない。
結局この夫婦が人畜無害だと分かったため、拠点に戻る必要はないと判断して、木屑の再現が成功するまでこちらのお宅にお泊りすることになった。蝙蝠男は賢い忠太をいたく気に入ったようで、ずっと忠太に何かしら問題を出したりしては遊んでいる。
奥さんは旦那の楽しそうな姿が嬉しいのか、私と蜂蜜湯を飲みながら触覚をぴこぴこさせて見守っているしで……場所や見た目の情報がここまでやかましくなかったら、何だか普通の団欒風景みたいだ。
そんな環境で一日、二日、三日、四日と木屑作りに必要な土壌細菌を再現するためのトライ・アンド・エラーが続いた。
二日目まではこの部屋に食事を運んできた蟻が驚くこともあったものの、それ以降は親の客人として認知されたらしく、彼女達から向けられる気配も穏やかになったように感じた。こちらもこれまでかけた迷惑のお詫びに、昆虫用のゼリーなどを大量に差し入れた。
するとそれまでキノコしか食べたことのなかった彼女達にとって、昆虫用ゼリーの味はかなりの衝撃だったらしい。未知の美味しさに狂うその様子はさながら猫にマタタビか○ャオ○ゅ〜る。
おかげで夫妻からは「君たチが去ったあトに、普段ノ食事に戻れナくなるだろゥ」とお叱りを受け、仕方なく差し入れを控えたら露骨にがっかりされたので、袋に表示されている原材料名を蝙蝠男に伝え、再現するに至った。長年の食卓に革命が起こった瞬間である。
ちなみに聞けば彼女達は働き蟻という区別があるわけではないそうで、どの娘も皆等しく可愛い娘だそうだ。しかも寿命も三十年ほどとそこそこ長い。要するにこの巣はただの仲良し大家族。悩んだ時間を返してほしい。
巣が馬鹿みたいに広いのも単純に家族が多いから、終わることなき工事でサグラダ・ファミリア化しているのだという。まぁあれも巨大蟻塚みたいなものだから似たようなものか。
開発に行き詰まったら、部屋の外に停めたスーパーカブの後部座席に蝙蝠男を乗せて通路を爆走。身体の構造上早く歩くことが不可能な彼は、あっという間にスピードの虜になった。
そんな蝙蝠男に乞われて乗り方を教えれば、引き籠もり気味な奥さんと短いツーリングデートに出かけ、仕事中の娘達を驚かせていた。名残惜しそうに降りる姿が哀愁を誘うものだから、忠太と相談した結果、いずれガソリンが切れることを伝えて譲った。錬金術師ならバイオ燃料とか作れそうだし。
――そうして賑やかな種族を超えた疑似家族生活を過ごすこと七日。
鋭い爪の目立つ手から受け渡された瓶。その中にはキノコと同じ分解酵素を含んだ土壌細菌入りの土が詰まっている。それと当面のクッション製作に困らなさそうな量の木屑も持たされた。甘い香りと共に周囲を取り巻くのは、新生活が始まる時期のテレビCMみたいな空気感だ。
「ふゥむ……どうかネ、このまマここに移住しテきてハ」
「教授のご提案は大変ありがたいのですが、わたし達はまだ旅の途中ですので」
「ここは思ってたより居心地が良かったし、そう言ってくれるあんたの気持ちも嬉しいんだけど……ごめん。それから、ありがとう」
三日前から投げかけられる優しい問いへの私と忠太の答えは変わらない。それが分かっていながら投げかけてくるのは、恐らく私達が再びここへ来ることが叶わないことに気付いているからだろう。
ここに転送されたのは駄神の気紛れで、スマホのマップにここの情報は反映されていなかった。一度訪れたことのある場所でも、塗り潰された場所にはピンを立てられない。他の上級精霊から隠れる者のことなど、駄神にとってはどうでもいいのだ。
「フフ、少しは迷ッてみるくらィの可愛げがほしいもノだ」
そう言って笑う蝙蝠男――ロバートの隣では、妻のジェシカが悲しげに俯いている。たったの一週間。異形の姿をした夫婦と過ごした時間はほんのそれだけなのに。同じ世界から飛ばされてきた転生者というだけではない親近感を抱いている自分がいる。
「あのさロバート。最後にこの板を使って、あんたの生きてた時代がその後どうなったか調べられるけど、何か知りたいこととかあるか?」
「フむ? 過去ヲ振り返ルなど吾輩には似合わヌが」
こちらの質問に芝居がかった仕草で戯けるロバート。けれどその肩をジェシカに叩かれて思い直したのか、うんと小さく頷いて。
「デはひとツだけ尋ねるとしよゥ。吾輩たチは、君の時代に何ト呼ばれルものになっただろうヵ」
偶然か必然か。その問いを選んでくれたことに忠太と笑みを交わして、彼の望む最適解を用意した。
「錬金術師が詐欺師でも異端でもなくなった時代では、科学者って呼ばれるようになったんだ。金は生み出せなかったけど、この世界で言う魔法に一番近付いた! 好きなものを貫いたあんたの勝ちだ!!」
そう伝えた瞬間、私と忠太の身体を淡い光が包む。連れて来られた時と同じ駄神の転移魔法に掻き消される刹那。ジェシカに支えられたロバートが、乱杭歯を剥き出して「ギャギャギャッ、そウか! やッと時代が我輩に追ィつきおったナ!!」と笑い飛ばす姿を見た。
――……次に目を開けた時、私と忠太は二週間前の同じ時間の同じ場所にに立っていて。きらきらと木々の間から降り注ぐ太陽の眩しさに思わず目を細めていたら。
「うわ、マリやる気やな〜! いつの間にそんなに素材見つけたん?」
「あ、本当だ。てか遅れてるなら言って下さいよー!」
前方に時差ボケしている頭に響く元気な声を上げるエッダとデレクがいて。何事かとこちらを窺っている案内人達にも聞こえるくらい大きな声で「悪い、すぐそっち行く!」と返した。