*27* 一人と一匹と、ある男の話。
今回は少々センシティブな表現が入るので、
苦手そうだなと感じた読者様は2話ほど休んでお読み下さい(*´ω`*)
どうぞと入室を進められた部屋は当然と言うべきか、眼前に近付けた自分の手すら見えないくらいに真っ暗だった。駄神の真っ白な空間も嫌だけど、これはこれで嫌だ。両極端すぎる。
食事を運んできた蟻は、こちらの会話が始まった時点で自分の仕事が終わったと感じたのか、ゆっくりと暗闇の中を引き返していく。振り返ってその姿を見送る通路の先には、忠太の残した明かりが小さく見えた。
改めてバイクを部屋の入口に停めて室内に照明を向けると、蝙蝠男(仮)が「ソのライトは吾輩にハ明るスぎル。こちらデ用意しタものを点けルかラ消シてもらェるヵね」と言うので、照明を落として入口で忠太と立ち止まる。
ただ甘い匂いに満ちたその空間で暗闇に呑まれていたのはほんの一瞬で。すぐにシュッとマッチをする音が暗闇からして、ぼんやりとした心許ない蝋燭の光が辺りをぬるりと照らし出す。
室内の壁は室外の通路と同じく滑らからしく、蝋燭の明かりが表面を舐めるみたいに広がるため、壁の近くに置けばそれなりに周辺の物の輪郭くらいは見えるようになった。
「さ、コれで良いダろゥ。ォ入り」
部屋の奥でニタリと笑う男の蝙蝠男は、ビジュアル的に海外のホラーゲームの住人のそれだ。明らかについて行って良い相手ではない。けれど忠太が精霊の気配だと言った人物の正体も気になる。
意を決して忠太と手を繋いで足を踏み入れると、部屋のドアが自動で閉じ始めた。慌てて外に出ようとした私の服を引っ張った忠太が、入口の壁にある凹みを指差して「これが開閉ボタンになっているみたいです」と言う。確かに凹んでいたその部分が凸の状態になった時、ドアがぴったりと閉じた。
「心配シなくとモ、出る際ハ言いたまェ。オ客人」
「あぁ、その……悪い。こっちの世界では初めて見たから少し驚いただけだ」
「ほゥ、こちラでは初めテと言うことハ、君の世界でハこのからクりは珍しくなィものナのかネ」
「まぁそうだな。一般的な家では使わないけど公共の施設とか、一部の商店では当たり前に使われてるよ」
「ナんとなんト、そレは実に興味深ィ。ちョうど昼食も今運ばれテ来たところダ。こちらデ聞かセてくれタまェ」
自動ドアへの食いつきぶりから見るに、この蝙蝠男はそういったものに興味があるようだ。気持ち嬉しそうにそう言うと、さっき蟻から受け取ったらしい大きな葉に包まれた塊を手に、さらに部屋の奥へと誘われた。
入口からでは分からなかったが、この部屋かなり奥行きがある。もう本当に海外のホラーゲーム。個人宅にしては雰囲気ありすぎだろう。前世でうちの近所にあったゴミ屋敷でもここまでではなかったぞ。
せめてもの救いは、暗闇から襲ってくる魔物の気配が今のところないことくらいか。一応こちらに合わせて一定の距離で蝋燭は点けてくれるものの、それでも段々と天井が高くなってくると不安の方が増す。
すると忠太が無言で腰につけた蛍光塗料の入った風船の口をほどき、指で中身を壁にこすりつけていく。子供の視線の高さに描かれるのは矢印。方向は入口の方を指している。これがあればもしもの時も迷わないだろう。
有能な相棒の手を握ると、ふと壁から視線をこちらに戻した忠太が、人差し指を唇の前に立てて微笑む。蝙蝠男の手前あまり喋るなということだろう。蝋燭の明かりに光を反射する白髪と紅い双眸が、忠太を神聖なものに見せた。
「さァ好きナ場所にかケなさィ」
その言葉と共にただ倒れただけに見える石の机(?)に蝋燭を置き、同じく砕けただけに見える石の椅子(?)を勧めてくる蝙蝠男。この特殊すぎる限られた状況で好きな場所とは? とは思ったが、比較的表面が尻に優しそうな石に腰をおろした。忠太は座る気になれないのか、私の背後に立っている。
「ォや、そちラの彼は座らナいのかネ?」
「ええ、立っているのが好きなので。勧めていただいたのに恐縮ですが」
「ゥむ、吾輩も若ィうちハそうダったからな、立っタまマで構わなイ。そうダ、君たチ何か飲むかネ?」
「あー……せっかくだけど、喉は渇いてないんだ」
「デは食事ハどうだネ? 彼女たチが選んだモのだ。味は保証しよゥ」
蝙蝠男が鉤爪のように鋭い爪で器用に大きな葉を開くと、中から出てきたのは原型のないグチャグチャの果物だった。果物は腐りかけが一番美味いとは聞くけど、これは正真正銘腐っている。
甘い香りを撒き散らかしてはいるが、この部屋を覆う匂いとは違うっぽい。鼻が馬鹿になってるからたぶんだけど。蝙蝠的にはご馳走で間違いないだろうが人類には無理そうだ。当たって腹を壊す未来しか見えない。
「残念だけどさっき昼飯を食べたところだ。それよりも聞きたいことがあるんだけど、構わないだろうか」
「ふ厶、本来ナらこちラから聞キたいところだガ、若者の瑞々シぃ探究心ヲ潰すのも忍びなイ。良かろゥ。何が聞きタいのかネ?」
果実の入った包みを押しのけてそう尋ねてくる琥珀の瞳は、相変わらずその口と同じく半月状に歪み、白く鋭い小さな歯を剥き出して笑う様は見た目も相まって悪魔のようだ。しかしこの表情に飲まれていては話が進まない。
一息吸って、一息吐く。深呼吸というには浅すぎるその一拍の後、唇を一舐めしてから開いた。
「どうしてこんなところに一人で棲んでるんだ?」
「最初は必要に迫らレてだネ。今は一人でモなけれバ、必要に迫らレてとィうヮけでモない」
「一人でないというのは、あの蟻達のことか? あれは魔物だろう。襲ってこないというのもどういう関係なんだ? それに必要に迫られていたのに、今は違うというのも気になる」
「一人でなィといゥのは、正しク彼女たチのおかげダとモ。魔物とィう呼称ハ人類ガ勝手にツけたものダ。あレも人も本質はかヮらヌょ。必要でなィとの言葉ハ、そのママだとモ。もゥ全テは終わったこトだ」
「それに私のことを〝異界渡り〟と呼んだな。あれは一体どういう意味だ」
「異界渡りハ、異界渡リだとモ。吾輩もかつテはそゥ呼ばレた」
今の会話のどこにおかしい要素があったのか、ギャッギャッギャと不快に笑う蝙蝠男。背中の翼を動かすのは、人間でいうところの手を叩くのに近いんだろうと思う。石のテーブルを引っ掻く鉤爪は、それこそ肉を断てるほど鋭い。
異様な気配と甘い匂いに思考が呑まれてもつれる。追い打ちのように甲高い耳鳴りまでしてきた。
まだ質問を続けたいのに、これ以上続けられる気がしない――と。背後から肩を優しく叩かれて振り返れば、忠太が「マリはお疲れのようです。選手交代しましょう」と微笑んだ。
促されるまま席から立ち上がり、忠太と場所を交代する。今度は石の机を挟んで蝙蝠男と忠太が顔を突き合わせる構図だ。蝙蝠男は着席を断られたことを当て擦って「ぉや、もゥ座るのかネ?」と煽る。けれど忠太は天使のように笑うと「ええ、人の身に貴方の催眠は効きすぎますから。それを増幅させるこの甘ったるい香りもです」と答えた。
さいみん……さいみんね……さいみんって……さい、みん……? なにをいってるんだ、忠太は。わたしのいしきは、こんなに、しっかりしてるのに。あれ、なんで忠太にさわられたかたが、し気ってる。湿けって、鉄のにおい、なんだこれ……血?
「やァやぁ、やハり君は守護精霊ヵ。そうデはないかト思ってィたが、自身の血液で吾輩ノ催眠を破ルとは、見事なものダ」
「それはどうも。けれど少々悪趣味が過ぎますね。わたしは貴方が元守護精霊だと思っていたのですが……どうやら逆のようだ」
忠太の声がやけにつめたいな。初たい面の人には丁ねいな子のはずだよな。机の上で握りしめられたちいさな拳のしたに、ろうそくに照らされて染みのようなものがひろがる。
「――……貴方は自身の守護精霊を食べたのですね」
目の前にいるのに、遠くにきこえる、忠太のその重苦しい声に、こうもり男はどこかたのしそうに「左様」と答えた。