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*26* 一人と一匹と、異形の住人。

 働き蟻の速度に遅れない程度にバイクを走らせること二十分。その間に他の坑へと伸びる通路は一本もない。これまでなら二つは坑を見つけられた距離なのに。この道が最深部へと通じる通路なのだという確信が強くなる。


 自分の心音が速くなるのを感じて唾を飲むと、腰に回される忠太の腕にも力が込もってきた。さらにそのまま少し走らせていたら、通路の両側からの発光がほとんどなくなった。もう周囲を照らすのはバイクの照明しかない。


 けれど蟻は気にした様子もなくどんどん進んでいく。暗闇に対する本能的な恐怖に一瞬バイクの速度を落としかけたものの、背後から「大丈夫ですよマリ。ハツカネズミは夜目が利くんです」と声がして、次いでパシャンッと何かが地面に弾けた。


 サイドミラーで後方を確認すると、淡く輝く蛍光色の水溜まりが遠ざかっていくのが見える。それからもパシャンッ、パチンッ、と一定間隔で音がする度に出現する蛍光色の水溜まりと背中に感じる温もりが、暗闇に怖気づきそうになる私を勇気づけた。


 蟻と出会ってから手許のスマホで三十五分。まずまずの距離を潜った先でようやく蟻が足を止めた。こちらもバイクを停車させ、照明で蟻の立ち止まった先を照らすものの――よく見えない。周囲が暗すぎる。


 ただ坑が広がっていたら闇の中に光が吸い込まれていくので、光が留まっているところを見ると壁か何かだと思う。実際に暗すぎて蟻の全体を目視は出来ないものの、障害物を引っ掻いているのか硬質な音が聞こえてくる。


 しかもこのタイミングで、甘い匂いが濃くなりすぎて少々胸焼けまでしてきた。三叉路のあとは一本道だったし、ゲームとかだと明らかに引き返して装備を見直すべきだと思う。


 背後の忠太も「装備が心配なようなら、ここで引き返して明日来てはどうでしょう」と提案してくる。参謀もこう言っているのだし「じゃあそうするか」と、バイクを方向転換させかけたその時だ。


 ――ガコンッ、ゴゴゴ……ゴン。


 蟻の頭がある方向から、暗闇の中で岩を引き摺るような音がした。瞬間あの甘い匂いが暴力的なまでに強くなる。前世でいうところの臭害レベルだ。ひたすら甘ったるい香水を全部混ぜてぶちまけたみたいな酷い臭いに、思わず忠太と揃って口と鼻を覆った。けれど――。


「ォやおャ……また食事かィ? さっキ朝食を食べたとコろダと思ってィたのに、モう昼食ノ時間なのヵ。そレに珍しィこともあルものダ。お客様かナ?」

 

 耳に入ってきた言葉と奇妙に抑揚のついた耳障りなその声に、私の中にあった緊張感が一気に爆発。咄嗟にバイクを発進させようとエンジンをふかしたのだが、忠太が「声の主から精霊の気配がします」と言ったので、ぎりぎりその場に踏み留まった。


「あァ、ウム……成程そうヵ。このトころ吾輩の家でさゎィデいたノは、君たチだな。彼女たチから、聞いてぃルよ」


 そう答えた相手の言葉に頭上を覆う巨大な蟻が、この人物との意思疎通が図れているのだという事実に気付く。同時に高いのか低いのか分からない、錆びた鍵を無理やり抉じ開けようとしたような、切れたゼンマイを延々巻き上げるような声に、首筋がチリチリした。


 でもそれよりも気になったのは、蟻を親しげに彼女達と呼び、ここを棲家にしているらしい発言だ。忠太の発言からも人語を話すからといって、絶対に普通の人間じゃないだろう。


「ここへ、ぉ客が来ルのはいッぶりだろぅカ。どうダろゥ、お客人。こンなところに現れタのも、何かの縁だ。吾輩の部屋デお茶でモ如何だね?」


 声は最初と同じくらいの距離から聞こえている。こちらへ近付いてくる足音もしていない。今なら逃げられる。ただ得体がしれないものの、話の内容を聞き取る限り知恵はありそうだ。


 後部席の忠太を振り返る。その紅い双眸が私の目を見つめて燦めいた。ここでドーナツクッションのためだけに危険を冒すのは馬鹿げているが、そこで問題になるのも、やはりドーナツクッションの素材を見つけなければ帰れないというジレンマ。


 今の私達は悔しいことに駄神の掌の上だ。地上のエッダ達と合流するためにはここで素材を見つけるしかない。不安な気持ちを腹立たしい気分で上書きして、ひっそり忠太と頷き合う。


「す……少しだけ、なら構わない」


 得体のしれない相手に答える声が僅かに上擦る。でもそのことを情けないと感じる余裕はない。こちらの答えに「おャ、そうかイ? それは嬉しいネぇ。それデは、吾輩ノ部屋に案内しよゥ」と返す声の主の方向に、勢い良くバイクの照明を向けた。


「ふふふ、やァ、ここまで眩しイのは久しいナ」


 そんな声と共に真っ暗な闇を切り裂いて照らし出されたそれは、正しく異形の姿。腕の先だけ肥大化し、その先は黒い毛皮に覆われ、背中には大きな蝙蝠の羽が一対ついている。昔テレビで観た果物が大好きな大蝙蝠を彷彿とさせるのに、そのシルエットは……半分人間で。


「ようコそ、吾輩の城へ。久方ぶりノ異世界渡りノ君よ」


 そう言って笑う琥珀の瞳の瞳孔は縦に分かれ、ニイィッと半月状に持ち上がった唇からは、白く鋭い小さな歯が溢れんばかりに覗いていた。

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― 新着の感想 ―
カラーボール?蛍光塗料?で帰り道対策の忠太、た、頼りになる〜〜! 吾輩の家、吾輩の部屋というフルーツバット獣人さん(仮)、何者なんだとか女王蟻はどうしたとか、半分人間ってどこからどこまでだろうとか、ま…
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