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*24* 一人と一匹、甘い香りに誘われて。

 洞窟と見紛う蟻の巣内に、前世で世界を圧巻したマシンのエンジン音が反響する。ガソリンの臭いとシートから尻に伝わる振動に、魔法のない世界の文明の利器に懐かしさを感じた。


 でもこう……排気ガスの臭いって本当に身体に悪そうな感じが凄いな。今更だけど蟻達に少し申し訳ない気がしてきた。窓とかないから空気の逃げ道が純粋に通路だけなんだもんな。


 岩壁から離れたら薄暗い蟻の巣の通路は、新聞配達をしていた早朝三時の道路に似ている。ところどころ緩く盛り上がった路面も、真っ暗な世界に一本走るライトが作り出す頼りない光の道も。


 前世で夜と朝のあわいを走るあの時間は、いつも言いようがないやるせなさが募ったけど、今は背中に必死にしがみついてくる忠太のおかげでそれもない。中古のエンジンの調子も上々。久々の運転なのに昨日まで乗っていたような気さえする。


「よーしよし、良い感じだ!! 忠太、ちゃんとくっついてるかぁ?」


「だ、だい、じょーーーぶっ、でっ、うぃああああぁぁあ゙!?」


「ん、くっついてるな。小さい神様達は次どっちだって?」


「み、みぎゅ、右手のっ、四番目の、坑で、っすぅぅぅぅぅ~!!!」


「オッケー、右手四番目な! しっかり掴まってろよ!」


 ハンドルを握っている私と違い遠心力に弄ばれている忠太。最初の頃こそ腰にしがみつく手に遠慮があったが、今はしっかり私の胴に腕を回している。背中が子供体温でちょうど良い温かさだ。


 忠太の指示にクラッチを操作して一気に加速する。勢い込んだせいでタイヤが僅かに空転してギュリリリィッと、リノリウムの床を上履きでスライディングした時のような音と、ゴムの焦げた臭いがした。


 レベッカのとこの馬車(?)は御せないから駄目だけど、自分で運転出来る分にはスピードがあっても良い。住人(蟻)が大きいせいで通路から次の部屋までが遠いから特に。


「――っとぉ、またお出ましかっ!」


 曲がり角を曲がったところで、ここに飛ばされてから二時間、二十七匹目の巨大蟻とエンカウント。結構大きな巣だということは分かっていたものの、この大きさの生き物がわらわら出てくるとなると相当奥が深いだろう。


 すれ違う瞬間蟻が振りかぶった脚の下をくぐり抜ける。見上げるその巨体はまるで鉄橋だ。でも継ぎ目が虫らしくグロイ。


 振りかぶった脚が空振ったと分かると、すぐに次の脚が襲ってくる。通路に上りと下りで二匹並んだ蟻達は、お互いが邪魔で素早く動けないだけで、外部からの侵入者への攻撃の意思はあるらしい。新しく襲ってきた脚は仲間の身体の下を通してきたもう一匹の蟻のものだ。


 ここに来るまでの連中もそうだったが、連携が取れるくらいには頭が良い。でも小回りはこっちの専売特許だ。ジグザグに脚の間を走りながら後ろの席を振り返る。


「派手にぶちかましてやれ忠太!」


「お、おまかせ、下さい!」


 声をかけられる前に取り出したのか、すでにその小さな手には葡萄のように連なる爆竹がとチャッカマンが握られている。忠太は賢いから大丈夫だけど、本来子供に最も持たせちゃいけない取り合わせだ。


 一気に着火されたそれを蟻の足下にぶん投げると、直後に激しい炸裂音と煙を撒き散らかす。中国の旧正月ってこんな感じなのかもと思わせる光景に、一瞬本能的な恐怖にブレーキをかけそうになってしまった。


 作戦を考えて実行に移したこっちがそうなのだから、耳が多い蟻達は前後不覚に陥って、お互いにぶつかり合いながら通路でもつれるように倒れる。長い脚がからまって立ち上がることが出来ずにもがく姿は、虫嫌いが見たら泣くこと請け合いだ。


「ぃよぉっし! ナイスアシストだ忠太!!」


「まだまだ、ですっ! ψ₪▼▲₡₡¤(鋭き棘よ)!」


「お、容赦がなくて良いねぇ相棒」


 まだ中性的な子供の声で唱えたそれは、的確に倒れた蟻達の腹の中心線目がけて突き立った。とはいえ身体が硬いので致命傷にはならない。精々が爪と指の隙間に棘が刺さるくらいの痛みだろう。いや、まぁ、考えただけで痛いな。


 そこへさらに駄目押しのお酢入りの水風船爆弾。聴覚と嗅覚のダブルパンチ。その脇をすり抜け、左手の方に見える坑は無視して右手に見える坑を数える。一、二、三と口を開けている坑を通り越し、小さい神様達のナビ通り四番目の坑に飛び込んだ。


 足の裏をベタ付けにして、スライディング気味に入った車体を立て直しつつ勢いを殺す。刑事ドラマの犯人みたいに半円を描いて止まったものの、もう限界だったらしい忠太がシートから転がり落ちる。


「おわっごめん、勢い殺しきれなかったか。大丈夫か忠太?」


「は、はひ……らいじょうぶ、れす。わたしが、力なくて、情けない、だけ、なので」


「何言ってるんだ。子供の握力で充分頑張ってくれてたよ。ほら、立てるか? どこも擦りむいたり捻ったりしてない?」


 そう声をかけながらスタンドを下ろしてカブを停め、しゃがんで尻もちをついていた忠太の両脇に手を入れて立たせる。目立った外傷はなさそうなことにほっとしていると、頭の少し上から「マリ、これくらいで過保護です」という声。顔を上げるとやや拗ねた表情の忠太。


 青年の時の美貌は天使みたいな可愛さに変換されるのか。これくらいと言いつつ少し涙目になっているのは、スピードが怖かったのかもしれないな。


「大事なものを心配するのは過保護とは言わないんだ。相棒に怪我がなくて良かったよ」


 真っ白で柔らかい髪を撫でて立ち上がれば「――その言い方は、何だかずるいです」と服の裾を掴む忠太。こう……何かに目覚めそうになるから止めて欲しい。扉が開く前にこの感情を葬り去ろう。


 頬の内側の肉を噛んで「ずるくない」と否定し、気を取り直して坑の内部を歩いてみる。ここに来るまで覗いた坑は五個。これまでに分かったのは、この巣に棲んでいる蟻達は肉食ではあるものの、肉はあくまでも副菜で、主食はそれ以外のものを食べているのでは? ということだった。


 一つ目の坑も、二つ目の坑も、何かを持ち出した形跡があって、持ち出された坑の中には植物の汁と思しきものが多く残っていたからだ。汁の匂いは様々で青臭かったり、スパイシーだったり、フローラルだったり。良さそうなものは小瓶に取っておいた。あとで鑑定するつもりだ。


 さらに不思議なことに薄明るい坑の中は実験場か、研究室みたいな独特な雰囲気があった。明らかに何かを試しているっぽいのだ。本当に知恵がある。


「さてと、今回はどんな痕跡があるかな……と、何だこれ」


 点々と足下に落ちていたのは何かの殻。中は空っぽだ。ボーリングの玉くらいの大きさで、見た目はライチに似ている。鼻を近付けてみると、ほんのりバニラのような香りがする。美味しそうな匂いだ。


「見たところ何かの果実ですね。けれど小さい神様達はこの実ではなくて、この香りの元を探すように言ってます」


 そう小さな鼻をひくひくさせた忠太が指差すのは、この坑の外。まだ下へと伸びていく通路だ。ふわりと甘く誘う香りにひとまず今日の捜索を打ち切ることにして、忠太には可哀想だが再び行きと同じ悲鳴を上げてもらった。

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― 新着の感想 ―
マリと忠太のお互いに互いがとっても大事なところ本当にキュンときますね……忠太のかわいさに密かにやられてるマリも良い…… 副菜が肉な蟻さん……実験……研究……果物…… 今後展開も大変わくわく楽しみにして…
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