*11* 一人と一匹、懐かしむ。
空っぽになった寸胴鍋に水を張り、簡易店舗のカウンターに【カレー完売しました】の札を立て、冒険者ギルドから来てもらっていた護衛に、まだ残っているポーションの売り子を頼んで出店の列から一抜けする。
近隣の出店者からは「うちも人気にあやかりたいねぇ」や「食いっぱぐれたお客はうちがもらっとくよ」という軽口が飛んできたが、概ね友好的だ。こういう祭りに慣れている人が多いらしい。護衛の人達も似たりよったりの雰囲気なのでギスギスしないのは助かる。
金太郎にはレベッカの泊まる馬車まで伝言を頼んで送り出した。そもそも領主夫婦とそのご子息を馬車の荷台を使った宿に宿泊させるとか、普通に考えれば不敬だし安全面で心配なんだけど、護衛兼子守に金太郎の妹分のベルを連れて行くということで、この旅行をもぎ取ってきたそうだ。
おそらくウィンザー様なりに、レベッカの育児ストレスを発散させてやろうという家族サービスだったに違いない。当の本人が寝てるから憶測だけど、当たらずとも遠からずなんじゃないだろうか。とはいえ――。
「いやー……カレーが売り切れたら祭りを見て回ろうって誘うつもりだったけど、思ったよりだいぶ早く売り切れたな」
【まさか りょうしゅふじんに しょくれぽ さいのう あるとは】
「わたしは何もしていないわ。ちょうどお腹が空いていてマリが飲食店の屋台を出しているんだもの。そんなの食べないはずがないでしょう。あ、だけどもしかしてもう少し長く出店していた方が、話題作りになったのかしら?」
「いや、早く売り切れるのはありがたい。売れ残るよりはよっぽど良いからな。でも普通の貴族はあの見た目のものを躊躇せずに食べたりしないぞ。もしも知らない人間からあんなの手渡されても、絶対に口に入れるなよ?」
「あら、そんなのは当たり前よ。子供ではないのだから。マリが作ったものなら美味しいだろうと思って。食べてみたらやっぱり正解だったわ」
「そこまで信頼されてるのは嬉しいけど、もしもウィンザー様がここにいたら卒倒してるところだぞ」
「ふふふ、その時は一緒に食べるわよ」
レベッカの登場から僅か一時間。たったそれだけの時間で、寸胴鍋の中にまだかなりの量があったはずのカレーが売り切れた。決め手は領主夫人のグルメ漫画顔負けの食レポ。
まぁ実際はそうそう領主夫人の顔を知ってたりはしないので、ただただ凄い美人がヘドロ色の食べ物をベタ褒めするだけという――少々どころか、かなりなホラーな絵面だったわけである。でも話題性というか、インパクトはこれ以上ないくらいバッチリだった。
当初の予定だと見た目のこともあるため、売り切れるのは早くても三時くらいだと踏んでいたのに、現在時刻は十二時半。祭りが九時から始まったので、なんと三時間半で完売してしまったことになる。現在簡易店舗のカウンターにある売り物は、ポーションの瓶が二十本残っているのみだ。
ちなみにこちらはお値段で敬遠されるだろうと思いつつ、百本持ってきていた。賢く可愛いハツカネズミの店員と、お客を整列させながら呼び込みまでこなしてくれた、フェルトゴーレムのおかげである。
三十万円✕八十本。
ポーションの売上だけで二千四百万を抱えているとか怖い。怖すぎる。これにキマイラカレーの売上合算したら幾らになるんだ……?
祭りの屋台で出る売上金額じゃないし、途中から明らかにちょっと強い冒険者とかじゃなくて、軍人とか傭兵っぽい人達が購入していってたから、隣近所の屋台の出店者達がビビっていたのが申し訳なさ過ぎた。けどどの人も大抵瓶を引きずって差し出す忠太を見て、頬を緩めていたのは見逃さなかったぞ。
相棒の可愛さが世間に知れ渡っていく愉悦。プライスレス。
売上金は持ち歩くにも家の金庫にしまいに行くのもあれなので、ブレントに頼んで預かってもらうことにした。ついでにクラークの経理の人に手数料を払い、今日の売上の帳簿をつけてくれるように頼んだ。あの金額を自分で計算するのは考えただけでゾッとするもんなぁ……と。
「でもレベッカ様、本当にあのカレーを美味しそうに食べるから、びっくりしました。わたしなんて、マリが作ったって分かってても叫んじゃったのに」
「見た目が悪くても不味いものを出すはずがないと思ったのよ。だからもしも不味かった場合は、フレディ様に告げ口していたわ」
頭を寄せ合って小声でクスクス笑いながら、聞き捨てならない発言をするレベッカとレティー。ちなみにレティーは一旦店番に帰って行ったのだが、エドから人手が足りているから遊んでこいと言われたらしい。
たぶんというか、絶対に嘘だけど、休みを利用して帰って来てくれた娘のために痩せ我慢したんだろう。見た目はああだが優しいオッサンだ。
「こらそこ、不穏な発言止めろ。でないと二人とも置いて、忠太と私だけで勝手に祭りを楽しみに行くぞ?」
【わたしは やくとく ですけどね】
エドと違って優しくない私と忠太の言葉に、レベッカとレティーは慌てて駆け寄ってくるなり両側から腕を絡めてきて、朗らかに笑いながら「ごめんなさいマリ!」「冗談よ。信じていたわ」と謝罪されたので。
都合の良い花を両手にぶら下げたまま、小さな相棒を胸ポケットに、観光客と地元民で賑わう祭りの人混みに飛び込んでいった。
***
「あれも食べてみたいわマリ。レティーも食べるわよね?」
「へぇ、果物をピューレと生食の両方混ぜ込んだパンか。確かに美味そう」
「た、食べてみたいですけど……もうお父さんにもらったお小遣いが……」
「ふふ、それじゃあ食べないと。今日ここでしか食べられないものかもしれないものでしょう? 誘ったのはこちらなのですもの。当然奢りよ」
「そうそう、子供が祭りで遠慮するなって。あ、二人ともあっちの屋台のやつも美味そうじゃないか? 牛肉と六種の香草の腸詰だって」
「だったらマリ、飲み物はあそこの屋台が良いよ。お酒じゃないのにシュワッってして、味は蜂蜜レモンだって。違う町から来た人みたいなんだけど、うちにもあれ卸してくれないかなぁ」
そういえば子供用のビールもどきとかあったな。飲んだことないけど。というか、うちもレッドスピアーのラッシーを出せば良かったかなーとは思った。作業数と動線的にあんまり現実的でないから今回は見送ったのだ。
もしも出していたらあの倍の忙しさになっていただろうから、やっぱり止めておいて正解だろう。人間己の力量を超えて欲張りすぎるのは良くない。
「聞いた感じだとソーダ水か。こっちの世界にも天然の炭酸泉とかってあるんだな。気になるならレティー、購入する時にでも交渉してみたらどうだ?」
【おさけの はっこう いがいで しゅわしゅわ こども すきそう】
忠太と私の発言に「うん! ちょっと聞いてみる!」と頷くレティー。そう遠くない未来にエドの店がレティーの店という名前に変わりそうだ。
スキンヘッドの強面よりは愛嬌と愛想のある女の子の方が、新規客もつきそうだし……と、私達の会話を聞いていたレベッカも「もうお店のことを考えているなんて、偉いのね」と慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
バイト先のパートさんが一回でも出産を経験すると、しっかり者の子供を見るだけで愛しくなるとか言ってたから、あれだろう。母親を早くに失くしているレティーは、レベッカから発される母性に頬を染めてモジモジしている。
「だな。そうと決まれば今言ったの全部気になるし、空いてるところから行くか。飲み物は炭酸が抜けるから最後な。レティーはそれまでにお相手の口説き文句考えとけよ」
――というような感じでかなり賑やかに準備を整え、色んな店舗で「良かったらうちに投票よろしく!」と声をかけられつつ、無事に全てのアイテムを入手して、地元民のレティーの案内の下、職人通りで行われている魔装飾具師の舞台が観える穴場へと向かった。
まぁ穴場とは言っても、そこは祭り当日。すでに地元住人(ほぼ女性)で結構賑わっていたものの、混雑とまではいかないので良さそうな場所に腰を下ろした。広場よりも小高い場所にある小麦倉庫の平屋根から見下ろす先には、様々な意匠を凝らしたティアラがモデルの頭上で輝いて。
その中から好みの作品を見つけるたびに、周囲の女性陣からうっとりとした溜息が漏れ、レベッカが「わたしはもう最高の品を持っているもの」と囁き、それを聞いたレティーに「マリ、いつかわたしにも、エリンさんやレベッカ様みたいなの作ってね」と耳打ちしてくるのを聞きながら。
忠太と代表作の二つとそれにまつわる日々を思い出し、舞台へと拍手を送りながら感慨に耽るのだった。