*9* 一人と一匹、図らずも検証実験。
空腹は最高のエッセンスという言葉を信じて、レティーとエドに異世界泥沼カレーを食べさせようとしたら、断固拒否されてしまった。どうやらあの魔法の言葉も見た目の程度によっては無効らしい。
エドに至っては商業ギルドで鑑定をするまでは、可愛いレティーの口には入れさせないと言い出だす始末。しかし現在商業ギルドには私が持ち込んだアイテムで溢れかえっているため、鑑定までには時間がかかる。
――ということで。
エドの店であのてんやわんやぶりだったので、どこも十日後の準備で忙しいかとは思ったものの、鑑定なんて出来る場所を他に思いつかなかったため、ハリス運輸へ持ち込んだ。
忙しく祭りの準備にとりかかっているハリス運輸に突如現れた、ハツカネズミを肩に乗せ寸胴鍋を持った私と、町で結構有名になった日常雑貨店の親子。はっきり言って邪魔なうえに怪しい。
でもブレントとコーディーを含む従業員達は、アポなしでやってきた私達を見ても嫌な顔一つせず、奥の応接室へと通してくれた。その二人の前でテーブルの上に鍋を置き、蓋を開けた第一声が――。
「ははぁ、これはまた……お嬢、凄いものを作りましたね……十日後の魔装飾具師大会への出品ということですが、売値はどうするつもりなんです?」
これだ。流石は色んな場所を巡るタイプの商人。柔軟性が違う。あとやっぱりというべきか、ブレントの方は鑑定眼持ちなんだろうな。蓋を開けた瞬間眉を顰めた三人とは違い、じっくりと中身を確認している。普通はレティーとエドみたいに見た瞬間ゴミ認定だからな。
けれど息子のコーディーはそうもいかないらしく、エド達と同じく顔を引き攣らせた。遠慮がちにこちらの顔色を窺いながら「いや、親父それは――」と、出店を考え直させる言葉を探している。
「コーディーさん、気にしないで見た目が悪いって言ってくれて良いですよ。でも味は良いんです味は。毒もないですし。ま、食べても大丈夫だって言うのに、この通りエドもレティーも信じないから、ここに持ってきたんですけど」
「ははは、まぁ確かにこの見た目ですからねぇ。しかし匂いは美味そうですし、一口食べてみても?」
「ええ勿論。せっかくなので、パンとかあればつけて食べてみて下さい」
こちらのお進めの食べ方に頷いた彼は、まだ何か言いたそうなコーディーにスプーンとパンを用意するように指示を出し、用意されたバゲットに一匙沼色のカレーを載せて頬張った。
ブレントの咀嚼する姿を固唾を呑んで見守るエド、レティー、コーディー、そして応接室の外から感じるハリスの従業員達の気配。 ほんの数秒、目蓋を閉じたブレントがじっくりと咀嚼する音だけが響く。
そしてその喉仏が嚥下のために動いて、止まった。目蓋はまだ開かない。忠太が【めいそう ですかね】とスマホに打ち込むが、カレー食べて瞑想ってあんまりきかないよな。
何か前世の感覚でカレーなら間違いないと思ってたけど、もしかしてこっちの世界だとあんまり好まれないのか? 心配になって背後のエドとレティーを振り返れば〝やっぱり……〟みたいな視線を向けてくる。違う、誤解だ。
動かなくなった父親を前にして、コーディーは応接室から一旦出て行ったかと思うと、何か色々な形の小瓶が入った救急箱的なものを持って戻ってきた。鑑定を使って覗いて見たら、全部種類の違う毒消しポーションだった。しかもかなり高価なやつまである。ヤバ、まさか毒を盛ったと思われてる――?
こちらのそんな視線に気付いたのか、コーディーは「お嬢を疑っているわけじゃない。こういったものは食い合わせの問題でも使う」と言ってくれた。けれどコーディーが「親父」と声をかけて肩を叩いたのとほぼ同時に、応接室のドアがノックされて。
細く開いたドアの隙間から、強面ながら気の良い従業員が顔を覗かせて「クラークの坊が祭りの打ち合わせにお越しですけど……日を改めるように言いますか?」と尋ねてきた。するとそれまで目蓋を閉ざしてだんまりだったブレントが、カッ! と目蓋を開いて「おぉ、良い時に来やがったなぁ! 今すぐここに通せ!!」と叫んだ。
いつもは胡散臭いながらも紳士然としたイケオジが、急に憑き物がついたみたいなガンギマリの目で叫ぶものだから、レティーだけでなく私と忠太とエドも驚いた。胴間声というか、ヤクザ映画で聞くタイプの恫喝じゃん。
怯えるレティーに、忠太が【おおきいこえ やですよ ねー ほら みみが ないないなる】と打ち込んで、ピンク色の耳をくしゃりと折りたたむ。動きがコミカルだから和むのだろう。ほっと肩の力を抜いたレティーが小さく頷く。
息子のコーディーだけは「あ゙? 何であんな野郎を?」と凄んだものの、ブレントは「商品を見て尻込みしたお前に話を訊いても、どうしようもねぇからだよ馬鹿が。商人が見た目で引いてどうすんだ」と突っぱねる。父親と息子というよりは親分と若頭だ。持ち込んだのはただのカレーのはずなのにな……。
完全に萎縮したエドが肩を寄せてきて「マリ、悪いことは言わん。お前はもう飯を作るな」と苦言を呈してくるけど、言いがかり酷くない? こちとら家庭料理の定番メニュー作っただけだぞ? カレー=何かしらの隠喩とかじゃないぞとか考えていたら、再びドアがノックされて――。
「こちらにマリさんがいらっしゃるとお聞きしたのですが……と、ああぁぁぁぁ今日も麗しいですね、我が女神!!」
全力で飛び込んでくるなり、人の足許に正座状態で滑り込んでくる顔面の良い変態。膝で滑るな膝で。逆転ゴール決めたサッカー選手か。
「相変わらず安定感のある気持ち悪さだな」
「はあぁんっ……その冷ややかな視線と声、むしろ良い! もっと下さい!」
つい脳の電気信号が直接口から出てしまったものの、直後に天を仰いでそのまま真後ろに倒れた姿にドン引きする。背筋どうなってるんだこいつ。可哀想なレティーはすっかり大人不審になって、今度こそ半泣きでエドの後ろに隠れてしまった。さもありなん。私も嫌だわ。
あとエドよ、そんな〝そういうプレイを子供に見せるな〟的な視線をこっちに寄越すな。こっちだって犠牲者なんだよ。静かに救急箱を漁るコーディーが手に持ってるのは、興奮した熊でも即効で落とせそうな鎮静剤だった。薄めて使わないと廃人になりそうだが、目が据わってるから原液で使いそうだ。
しかし次の瞬間にはギョインッ! とでも効果音がつきそうな起き上がり方をするローガン。ホラー映画に出てくるビックリ箱のピエロかよ……怖。
【きもさ まいびょう こうしん】
「ふふ、美しい人に美しいと伝えることは男の義務だよ、小さな紳士君」
【は うっ ざ】
おまけにハツカネズミと会話が出来て、尚且ここまで怒らせることが出来るのも凄い。まぁ忠太の行間使いもだけど。前髪をかき上げて魅了封じの眼鏡をかけ直す姿は、本当に絵になるんだけどな。天は二物を与えても、与えた分はやっぱりどこかで引くらしい。
「はいはい、そこまでそこまで。そんなお嬢大好きなクラークの坊っちゃんに朗報なんですが、ここにお嬢の手料理がありまして。十日後に屋台で出す試作品なのだそうですが……どうです、一口味見してみませんか?」
カオスな会話をぶった切り、そう愛想良くにこにこと割り込んできたのは当然ブレントだ。手には蓋の閉ざされた寸胴と、いつの間に用意したのか未使用のスプーンが握られている。
疑問を持たず「是非いただこう!」と答えたローガンの眼前でその蓋がずらされ、中の沼色カレーがご開帳したのだが、驚いたことに奴は何の躊躇いも見せずに受け取ったスプーンで一口分を掬い、パクッといった。そしてご機嫌顔で咀嚼していたのだが――。
「ふむ……成程……これは……素晴らしい。ですが原価率の計算などはなされていますか? 売値の設定と提供方法はどのようにお考えなのでしょう。これでは出店で提供されるにはオーバースペックがすぎます。近隣の出店との間で価格破壊は免れませんよ」
それまで変態ムーブをしまくっていた姿から一転、スンッとチベスナ顔になったローガンから発された、厳し目で真っ当で冷静な突っ込みに、青ハーブの効能が凄いなという認識を新たにしたのである。