*8* 一人、異世界カレーにて閃く。
一瞬しか呆然としていられなかったものの、正気に戻ったのでひとまず鍋をテーブルの空きスペースに置いて、膝の高さまである薬草やら鉱石やらの入った袋をかき分け、玄関ドアを開ければそこには見知った姿があった。
「なんだレティーか。どうしたんだ?」
「良かったぁ、今日はいてくれたぁ! 昨日も一昨日もいなかったから心配してたのよ。あのねマリ、実はうちの店が大変なの……って、何この部屋!?」
何か凄く慌てていたっぽいのに、足の踏み場もないこの状況の方にまず驚くレティー。とはいえ住人ですら驚いたのだから客が驚くのも無理はないか。口を半開きにさせたまま肩を震わせるレティーの頭を撫でつつ、話を聞こうと先を促すことにした。
「ああ、うん、まぁ、うちも大変なことになってはいるんだけど、これは後でギルドに売りに行くものだからすぐになくなる予定だし、放っておいても大丈夫。それでレティーの方は何が大変なんだ?」
「そ、そうなの? それなら……えっとね、説明するよりも見てもらった方が分かりやすいと思うから、一緒に来てくれる?」
戸惑いながらも自分の役目を思い出したレティーがそう言うので、肩口に乗っかる忠太に視線を向けると、真っ白なハツカネズミはこくりと一つ頷く。仕方ない。カレーのお披露目はまたあとだなと思ったら、外に出ようとしていたレティーが急に立ち止まって振り返った。
「――……待って。何かこの部屋、変わった匂いがしない?」
「ああ、ちょうど飯を作ったとこだったからな。嫌いな匂いだったか?」
「ううん、ちょっと刺激がある感じだけど、美味しそうな匂い……かも」
そう言った直後、レティーのお腹が小さくキュルルと鳴いた。異世界でもカレーの匂いは食欲を誘うようだ。思わず忠太と金太郎と目配せして頷き合う。まぁ問題は見た目がなんだけど……この分だと一応、食欲をそそるという第一関門は突破出来そうだな。
「気になるなら食べてみるか?」
「え、でも良いの? マリ達のご飯なんでしょう?」
「ん。どうせいっぱい作ったから、ちょうど今からレティーとエドのところにお裾分けに行くところだったし。な、忠太」
【そうですとも ぜひ めしあがって ください】
こちらのパスに的確に答えるハツカネズミ。金太郎はすでに鍋横でスタンバっている。黒い瞳が獲物を見つけてキラリと光った……ように見えた。
一方こちらの悪い大人な微笑みに気付かない純粋な少女は、深刻だった表情をパッと明るくして「それなら食べたい! 今ならお父さんもご飯まだだから、きっと喜ぶわ」とはしゃぐ。
「じゃあ決まりだな。ここは散らかってるから、エドの店で食べよう。あ、でもまだ見ちゃ駄目だぞ。驚かせたいからさ」
【おいしいので れてぃーも きっと きにいりますよ】
「うん! 楽しみ!」
――という方向で話がまとまったので、ついでに町に行くならせめて少しでも採取したものを売りに行こうと、木箱に詰められるだけ詰めたものを金太郎に持ってもらい、私は両手にゴミ袋を四つ持ち、レティーは異世界カレー入りの鍋を持ってくれた。
忠太だけ戦力外だったため、いつも通りスマホと胸ポケットにしまい込むと、ややむくれている。どうせ自分だって人型になったらとか、巨大化したらとか思ってるんだろう。可愛いやつめ。
ただ先にギルドで素材を売ろうと思ったら、量が多すぎて鑑定する人間がつきっきりになってしまうのと、買取価格の用意に時間がかかるということで、順番が一番後回しになると言われたため、金太郎が残ることになった。
ついでにギルドのカウンターで、魔装飾具大会の日に食べ物系の出店に空きがあるかを訊ね、当日の出店許可書を入手した。ただまぁ、場所はあんまり良くないな。うっかりカレー作りに熱中しすぎて出遅れた感は否めない。
けど前日ギリギリまではキャンセルが出るかもと言われたので、良い場所が空いたら繰り上げてくれるように手続きをし、金太郎に順番待ちを任せ、カレーの試食がてらレティーの用事を解決しに行った――んだけど。
「げ、私が卸してる商品棚すっからかんじゃん。これどうしたんだよエド?」
【ほんとう みごとにからっぽ】
店の入口からでも分かるくらい棚が空いてる状況に驚き、思わず慌ただしく棚の商品を詰めていたエドの背中に声をかければ、勢い良く振り向いたエドが「レティー、二人を呼んできてくれたのか! 良い子だなぁ!」と破顔した。
次いでしょっぱい顔で「マリよぉ、商品が失くなってるなら、お客が買い切ったに決まってるだろ」と言う。この野郎。ちなみにここまで鍋を持つ役割を頑として譲らなかったレティーは、ほんの少し呆れた様子で「マリはあの騒ぎを知らないんだから、そんな言い方しないの」と言ってくれる。
愛娘の冷静な援護に「お、おう、そうだな。悪い。今の言い方、年々あいつに似てくるなぁ」と瞳を潤ませて謝るスキンヘッド。本当に厳つい風貌の割に亡くなった嫁大好きで、子煩悩で涙もろい親父だ。
とはいえ普段なら忙しくしてる時間帯なものの、商品が少ないせいかお客もまばらで、バイトの人達もそこまで忙しそうでないから、食事に誘うタイミングとしては良いだろう。
レティーはそんな父親に苦笑しつつ、鍋を持って店の奥へと引っ込もうとしたので、勝手に地獄の釜を開けられないようにスマホと忠太も預ける。悲鳴を上げさせるのは一回で済ませたいからな。
「いやでもマジで何もないじゃん。家を数日空けるから多めに卸したナスの浅漬けも全滅だしさ」
「あー、ほれ、あと十日で職人通りの魔装飾具師大会があるだろ?」
「あるな。うちは今回魔装飾具は出さないけど、食品で一般出店するつもりだけど。でもそれとこの状況って何か関係あるのか?」
観光客が急に増えて土産物として魔装飾具が売れるのと、観光がてら歩きながら摘めるレティーのクッキーが完売してるのは分かるが、日持ちがしないうえに、それ単体で摘むにはちょっとなという加工食品までなくなるのは全然結びつかない。まさか浅漬け食べながら観光はしないよなぁ。
色々と腑に落ちないので訝しみつつそう問えば、エドは「そうか、そりゃあちょうど良いぜ」と笑った。ええ……言ってはなんだが、前世の縁日だと新規の出店者は結構審査が厳しかった覚えがあるんだけどなぁ。異世界だとそうでもないのか――と。
「なに、今年は去年よりさらに人が増えるって言われててな。飲食系の出店は多けりゃ多いほど良いって、ギルドと食事処の連中が張り切っててよ。ただ実はそれがちょっと問題になっててな」
「張り切るのは分かるけど……問題ってのは何だよ?」
「おう、飲食店連中が当初予定していた店の出店規模だと、当日本店の方の食料が足りなくなりそうなんだとさ。宿泊施設に至っては全然足りてねぇらしい。近隣の村や町の宿屋ももういっぱいだってんで、困ってるらしいんだわ」
「はぁ? もう十日後に迫ってるってのにそんなグダグダなのかよ。商業ギルドの連中は何をやってたんだ」
「まぁなぁ……魔装飾具大会なんて言ったって、結局は田舎の催し物だ。マリが来るまではこれまでのやり方で充分だったんだよ。うちのお前が作った商品が軒並み売り切れてるのも、ここに伝説を作った奴が品物を卸してるってのを聞きつけて、若手が験担ぎに購入して行く。だから悪いんだが、もし作り貯めてる作品があれば追加で卸しちゃくれねぇか?」
「ん、それは構わないけど……」
「そうか、ありがとうよ。助かるぜ売れっ子先生」
エドはそう言って私のことを持ち上げてくれるが、個人経営の雑貨店ならそれでも良いけど、祭りの主催者であるギルドは、本末転倒とはこのことかってくらいの手落ちだ。
今の話が本当なら当日は飯を食いっぱぐれる観光客が出ることになる。もしもそうなったら、せっかく来たのに饗されなかったマイナスの記憶が残るだけで、町の評判が下がりかねない。というか絶対なる。長閑なここの人間に、どう危機感を植え付けたもんだろうか――と。
「それでマリは何の店を出すんだ? 当日暇が出来たらレティーと一緒に食いに行ってやるぜ」
「え……ああ、そりゃありがたいけど、うちが当日出すのは酒っていうかポーションなんだわ。腹には貯まらないと思う」
「何だそうなのか。飯を食える出店が増えればギルドの連中も助かると思ったんだが、そう上手くはいかんわな。でもまぁ飲みに行ってやるよ。酒は好きだからな。特に昼間飲むのは最高だしよ」
ガッハッハと大口を開けて笑うエドの言葉に耳を傾けて思案していたら、奥の方からレティーの『マリー! 何なのこれ、食べ物じゃないの!?』という声が聞こえてきて。勝手に先に開けたのかという思いと、そういやあれがあったなという思いが脳内で繋がる。
「ど、どうしたレティー? 何を持ってきたんだマリ?」
「なぁに、この窮地を救える良いものだって。さ、行こうぜ。飯まだなんだろ? 私の手料理で腹を満たしてやるよ」
にっこり笑いながら怯えるエドを引きずって、レティーの元に連行した。