*4* 一人、一匹と一体に謝罪する、と――。
「それはさておき、そろそろお目覚めになった方が良いと思いますよ。せっかくの新しい能力を使う前に永眠してしまっては勿体ない」
「おっと……そうだったそうだった、本当に嫌な空間だなここは」
「慣れれば快適なんですけどね。ご覧の通り何もないので退屈なだけで」
「何もなくて退屈って言うよりは、気が狂う方が先だろ絶対」
「まぁ、二百年に一度くらいの割合である程度です」
顎に指先を添えながら涼しい顔でそう言ってのける駄神。本当にこいつには感情とか常識というものがないらしい。知ってはいても腹の中がモヤモヤする。ただ今までもそうだったが、こいつだけじゃなく他の連中もこうだと言っていたからには、根本的に上級精霊とは意思の疎通が出来ると考えない方が良いんだろう。
自然現象に腹を立ててもどうしようもないのと同じように。でもそんな連中の暇潰しの対象が、命のあるものってのが問題なだけで――って、何とか自分を騙そうと思ったがやっぱ無理。駄目だろ。
「二百年に一度ってさぁ……私は百年も生きるの無理かもだけど、それ結構な頻度じゃないか?」
「百年生きる人間なら二人ですからね」
「だろ。結構な頻度だよ。暇潰しにしたってもっと責任持ってやれよ馬鹿」
「おや手厳しい。ではそうですね、真面目に責任を持って面倒を見て差し上げましょうか? あんな不出来な半精霊は廃棄して、もっと出来の良いものを用意してあげますよ」
その言葉に今度こそ自分の意思でプツッときた。身長差があまりなくなった駄神の胸ぐらを掴んで引き寄せ、思いっ切り右手を振り上げて。
パァァンッ――!!
掌に熱が走る。
返す手の甲でもう一丁。
スパアァンッ――!!
立て続けの破裂音と間抜けに目を見開く駄神のアップ。
手が痛いレベルの攻撃で俗に言う〝叩く方も痛いのよ〟状態になるが、だったらもっと痛い方が良い。仕上げにもう一際強く引き寄せて――。
ゴヅッ――!!
形の良い額に渾身の頭突きを見舞った。平手打ちよりも骨に響く鈍い痛みに歯を食いしばる。喧嘩両成敗とは違うけど、忠太と楽しくやってる私だって、今までの守護対象者の痛み分を思えばずるいポジションだし。少しでも物理的な痛みを味わっておかなきゃ駄目だと思った。
駄神の立ち絵を描いた絵師には悪いことしたとは思う。せっかく頑張って描いたキャラクターがこんな扱い受けてるって知ったら、きっと悲しむ。でもごめんな。こいつには一回痛い目を見せとかなきゃなんだわ。
突き飛ばすように胸ぐらを離せば、駄神が早速赤くなり始めた両頬と額のどちらに手を当てようか迷っている。口をモゴモゴさせていることから、口内を切ったのかもしれない。受肉する辛さが分かったか? ざまぁみろ。
「これが今の問いの答えだ馬鹿野郎が。忠太を私にくれた。それがお前がしてくれたことの中で唯一感謝してることだ。それを失くしたらお前なんかの暇潰しのために、こんなに色々試すかよ」
そう啖呵を切って中指を立てながら舌を出せば、ポカンとした表情のまま小さく「成程」と呟いた駄神の姿が朧気になり始める。今の手と額への衝撃でようやく本体が目覚めるみたいだ。
グンッと強く引っ張られる感覚に真っ白な地面から足が離れる。その瞬間を見計らって「でも今回の加護は気に入った! そこはありがとな!」と駄神に向かって叫ぶ。面と向かって礼を言うのは癪だからな。けれど奴は意外そうな顔をしてこちらを見上げてくる。いや、どんだけ驚いてるんだ。
こっちだって礼くらい言うわ心外なと不満を抱いたのも束の間――……次に目蓋を持ち上げれば、覗き込んでくる忠太と金太郎の顔があった。感情のない真っ黒な瞳と、こっちも同じく感情の読めない真紅の瞳。圧迫面接みたいな距離感に面食らったものの、何とか悲鳴は上げずに済んだ。
――が、その直後にスマホ画面を見せられて、そら二人(?)ともこんな距離感にもなるわと納得した。
「うわ……ヤバイな、丸々二日も寝てたのか私」
思わずそう零した声は掠れている。喉が渇いてカサカサだ。身体を起こして水を飲みに行こうとしたら、それを察した金太郎が慌ててベッドから飛び降りて、窓辺に置いてあった水差しの水をマグカップに注いで持ってきてくれる。
いつもなら忠太がしてくれそうな行動に礼を言って受け取り、一気に流し込む。喉を流れ落ちる水の美味さにホッとしつつ肝心の忠太の方を見やれば、白い小さなハツカネズミは小刻みに震えていた。ん? 気のせいじゃなかったら二日前よりちょっと痩せたか?
「忠太、この二日ちゃんと飯食ってた?」
こちらの問にフルフルと首を振るハツカネズミ。毛艶が悪いしパサパサしている。ピンク色の耳もしわくちゃで、ヒゲもしょんぼり下がったままだ。駄神の相手とかしてないで、さっさと戻って来てやったら良かった。
「身体が小さいんだからちゃんと食わないと駄目だろ。この二日間見てた夢の話をしたいから、それを聞きながら飯にしよう。な?」
震えて丸まっている忠太に手を差し伸べると、そうっと細いピンク色の手が伸びてきて、指先を握ってくれる。いつもよりも湿気がなくて冷たい。爪を通る血管の血の色が薄い気もする。
だから大事に大事に掌で包み込むみたいに掬い上げ、その額に唇を押し当てて、ふーっと吐息を吹きかけてやった。本当は冬にやるようなことだけど、今の忠太にはこれくらいの熱がいるっぽいし。
チチッとか細い鳴き声が聴こえたのは……抗議かな? 取り敢えず今の忠太に不憫可愛いという感想を抱いたら怒られそう。しかし不憫可愛い。お日様の匂いと草の匂いがする白い饅頭。それが忠太だ。
すると今度は金太郎が私をよじ登り、掌の忠太の横に割り込んできた。こっちは少し湿気った紙とインクの匂いがする。また包装紙で遊んでたんだろう。なんていうか、家の匂い。忠太と揃えば甲乙つけがたいアロマ感。
「寝坊してごめんな。二人共心配したよな。でも本当に良い情報があるんですぜ旦那方。だからご機嫌直してくれよ」
三下みたいな台詞を囁きかけながら、肺いっぱいに二人の匂いを吸い込んで二日ぶりにベッドから立ち上がると、思い出したみたいに腹の虫がグウゥと大きく不満げに鳴いた。
その音で場が和んだのを感知したので、大股でリビングに向かって椅子に胡座をかいて座り、スマホでコンビニスイーツとジャンクフードを大人買い漁る。水分に入らないと分かっていてもチューハイとビールをポチり、忠太と一緒にそれを頬張りながら、夢に出てくる真っ白な空間の話をしていたところでスマホからあの曲が流れてきて。
画面に出てきた読めない精霊文字に「これ聞くの忘れてた!?」と叫んだけど、後の祭りってこのことだよなぁ。