*2* 一人、こんなところで念願成就。
昼に作ったコカトリスの枕をベッドに配置して、翌朝どんな効果が出るのか楽しみに就寝したのが十一時。枕に頭を乗せてすぐに眠気がやってきた。
説明するまでもないが、当然目蓋を閉じれば真っ暗になる。次に目蓋を持ち上げるのは小鳥が鳴き出す、薄ら空が白み出す時間のはず。
――だというのに。
「……おーい、おいおいおい。マジか」
――見紛うはずもない真っ白なあの空間だ。
「ええー……まさか永眠してないだろうな」
動揺しつつも一旦身体を起こして周囲を見回すが、特に何もない。寝ていたベッドも枕もだ。一応服を探ってみるも、スマホもない。まぁそうだろうな。だったらもうあれしかないなと「おい、駄神! 今度は何の用だよ!」と空間に叫んでみるも――反響することもなく、放った声は空間に消えていく。
「……は? 嘘だろ……返事くらいしろよ」
ドクッ、と。心臓が嫌な跳ね方をする。夢の中だというのに冷や汗が止まらない。耳を澄ませてもどこからも返事どころか、物音一つ聞こえてこない。ただの真っ白い空間。それがどこまでも続いているだけなのだと理解しようとするのに、発狂させまいとする脳の拒絶反応が働く。
「待て、落ち着け、と、とにかく、何か探さないと……」
誰の声が返ってくるでもないとは分かっている。でも何か口に出さないと不安で押し潰されそうだ。
――素足のままペタペタと真っ白な空間を進む。
真っ直ぐ歩けているのか蛇行しているのかも定かじゃない。けど立ち止まれば膝をついてしまいそうで。そうなったらもう立ち上がることも出来なくなりそうな恐怖に、必死で足を前に動かした。
進めども、進めども。こちらの必死さを嘲笑うような真っ白な空間が続く。またどこかで攻略の順番を間違えたんだろうか? しかしそれを教えてくるあの腹立たしい声すら今は恋しい。
どれくらい歩いたか分からなくなるほど歩いても、疲労も喉の乾きも感じないということが、何の救いにもならないくらい怖かった。それに歩いている間に視界の高さが徐々に低くなっていくのも拍車をかける。
地面を見ても足が沈み込んでいるようには見えない。立ち止まって振り返っても、真っ白なこの空間に高低差なんてない。蓋をしても込み上げてくる絶望感に耐えきれなくなって蹲り、視界が歪んだ――その時。
『ああー! 良かった、何とか消滅する前に間に合いましたね!!』
聞き覚えのある読み上げ式の人口音声――ではなく、最近視聴した動画配信者のそれだった。その声に涙が引っ込むも、すぐに立ち上がることが出来ない。どうやら肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労で腰が抜けたらしかった。
『VTuber仲間からゲームの配信に誘われて参加していたら、貴方の反応が急激に弱くなっていたので驚いて見に来て正解でしたね』
ついにゲーム配信とか、こいつ本当に俗物だな。しかも怒りはあるはずなのに声が出せない。きつく奥歯を食いしばっても唇は戦慄くし、少しでも口を開けば嗚咽が零れそうだからだ。
『おやおやこれは、うーん……? 思っていたよりも随分削れてしまいましたが、無事は無事ですよね。ええ。こんなに深くまで精神が潜って来てしまったということは、前回の配信を見て下さってたんですか?』
どこか困惑を含んだ駄神の声に蹲ったまま周囲を見回す。しかし声はあの配信と同じものが聞こえてくるのに姿はどこにもない。辺りは依然として真っ白な空間が広がるだけだ。そのことに落ち着きかけていた感情が、またも体内で暴れ出して、頬を生暖かい水が滑り落ちた。
それを皮切りにしゃっくりのように息が詰まって視界が滲む。自分の意思とは関係なく、ひっ、ひっ、と身体が揺れて。どんどん溢れる水が頬を濡らす。
『おっ……と、いけませんね。肉体だけでなく精神が退行しているのでしょうか。あまり泣かないで下さい。これ以上精神が削れると消えてしまいますよ。人間の子供とはどうやってあやせばいいのでしょうか――と。ああ、そうだ。こうしましょう』
喋れない状況のこちらを無視して勝手に喋って勝手に納得する駄神。というか、さっきから何だか本当に身体と感情がいうことをきかなかった。諸悪の根元に泣いていると指摘されたことにも腹立たしさが上乗せされた――が、やっぱり頬を濡らす不快な水は止まらない。
けれどそれもポーンという軽い電子音とともに、真っ白だった空間に【四畳半の錬金術師☆ナイトメアがログインしました】と、でかでかとしたログが現れたことで、ほんの少し引っ込んだ。そして――。
『お待たせしましたね、我が愛し子よ。うっかりこんなところまで潜り込めるほど力をつけた頑張り屋さんには、何かご褒美が必要ですね』
不穏な当て字を予感させる言葉と共に、突然目の前に現れたあの立ち絵そのままの金髪緑眼エルフ。しかしその姿にVTuberで使用されていたイラストっぽさはなく、ちゃんとした肉感がある。要するに生身の人間と同じだ。
『けれどその前にひとまず泣き止みましょうか。ほら、これでどうです! 人間の子供はこうされると嬉しいのでしょう?』
そう言うが早いかいきなり脇の下に手を入れて抱き上げられ、グルグル振り回される。まるで小さい頃に憧れた、日曜日の公園にいた親子のように。いや、待て。私の身長はほぼ一七〇あるんだぞ。
何でそんなに簡単に抱き上げて振り回せるんだ? というか、聞き流しそうになったけど、今こいつ私のことを〝子供〟って言わなかったか?
『おや、質問したいことがありそうな顔ですね。良いですよ。こちらでの生みの親であるわたしが何でも答えてあげましょう』
ひとまずそんな風に愉悦を隠そうともしない金髪緑眼のエルフの顔面に、鉄棒で逆上がりをする要領で、転生してからずっと叩き込みたかった喧嘩キックをめり込ませ、強制抱っこをキャンセルしつつ三点着地を決めた。