*11* 一人と一匹、たまには試飲も。
「ΨΨζφζ▶ΔφΨΦ」
「ψ₪▼▲₡₡¤」
何回聞いてもこれっぽっちも何を言ってるのかは分からないものの、耳に心地良い精霊語の詠唱の直後、脱法ダンジョン内に響く断末魔。
まぁそりゃあ攻撃をしかける間もなく、サイラスの風魔法で雑巾絞りにされて、忠太の成人男性の腕くらいある氷柱が貫かれたら叫びもするよな。物言わぬ状態になったでっかい蛾の魔物に金太郎が取り付き、ドロップ(剥いだ)アイテムを持ち帰ってくる。手際の良さが山賊並だ。
虹色の粉まみれになった金太郎の手には、その原因となった悪役が持ってる趣味の悪い扇みたいな翅。ザリヒゲといい、今回の翅といい、つくづくキラキラしたものが好きな羊毛フェルトゴーレムめ。誰が洗うと思ってるんだか。
ダンジョン生まれではあるが、ダンジョン育ちではない輪太郎が私の脚にしがみついて震え上がっている。この一連の戦闘に当然ながら私はミジンコほども干渉していない。
ちなみに今日はギルドで忠太と合流あとに家に飛び、その後すぐ森に飛んでオールスターズの構えで挑んでいた。
「ふぅ……マリのくれた魔宝飾具のおかげで魔法の行使は楽ですが、転移ピンを立てられるのはダンジョンの地上部地点だけですからね。帰りはともかく、行きはいちいちここまで自力で潜らないと駄目なのが面倒くさいです」
「そうですか? 僕はゼノンとの採取を思い出してワクワクしますよ。そして魔法を使うのも数百年ぶりです。ふふふ、懐かしいなぁ……いつかチュータにもこの気持ちが分かります」
「会話の選択肢が最悪すぎますよサイラス。出来ればそれは遠い遠ーい未来であることを祈っていますよ」
「はいそこ、揉めない。とりあえず二人と二体は私が百歳まで生きられるように手伝ってくれよ。そのためにはまず、何はともあれ貯蓄だからな。そしてその貯蓄の種のためにこんなダンジョンの奥まで来てるんだ」
さて、何故いつもなら留守番をさせている人員まで召集したかというと、イチゴと一緒に育てていたあの謎の果実。魔物らしく繁殖力が旺盛なやつは、あれからもメキメキと実をつけてしまい、最早ジャムに加工するのが面倒になってしまったのだ。
そこであれを使ったアイテムを考えたところ、シロップ漬けは意外と腐ったりして難しいので、腐る心配の少ない果実酒にしてみようということに。漬け方は一番ポピュラーな梅酒を参考にした。
しかし先述したように、果実酒にした場合も数が取れるので置き場所にすぐ困ることになり、床面積の広さと温度が一定なところという観点から、ここ、ダンジョンで漬けて貯蔵しようということに至る。
そして貯蔵場所にちょうど良い場所を探し当ててくれたのは、金太郎と輪太郎の太郎コンビ。前世では考えられなかった、自然のワインセラーを所有する贅沢な人間になった。魔物がうろついてるから対人に関しての防犯面もバッチリである。さっきの蛾みたいなのも邪魔になるばかりではないってことだ。
やけに大人しい二体の方を見たら、金太郎が戦利品の翅を自慢しているところだった。先輩風をビュンビュン吹かせる金太郎へ羨望の眼差しを向ける輪太郎が可愛い。うちのゴーレムは仲が良い。
こちらの世界でも酒を作るのは密造にあたるのだろうかというのは、まぁ、この際ちょっと置いておく。そんな酒を漬けるにあたっては、せっかく異世界だしということでサイラスから知恵を拝借した。曰く――、
『貴方の世界でも同じかは分かりませんが、こちらでは甕で作る方が歴史は古いんですよ。修道院なんかの製法で、冷暗所の土に半分埋めて温度を一定に保ったりして、お酒のコクと香りが強くなるまで寝かせるんです』
ということらしい。なので今このだだっ広いだけの空間には、ダンジョンの地面から半分顔を出した甕が並んでいる。見た目的には前世のCMの黒酢工場だ。たぶん今後もあの植物系の魔物が繁殖を諦めない限り増えていくだろう。
甕と樽と果実酒瓶はホームセンターで。氷砂糖とホワイトリカーはネットスーパーでポチった。当然どっちもゴールド会員だ。
「数日前よりこの空間格段に良い香りじゃないか?」
「ですね。工房では果実酒用の瓶と、小さい樽でつけてみましたが、ここの甕のものの方がより甘い香りな気がします」
「樽の方が少し癖のある香りに仕上がってたけど、あれは使われてる木材の種類にもよるんだろうな」
「樽の醸造香は人によっては好き嫌いが分かれそうですね」
「ああ、確かに。それはあり得るかもしれません。蛇は意外と鼻が良いんですが、その僕からしてみれば、ここのお酒が放つ香りの方が好ましいです」
忠太とサイラスの見解に、ふと居酒屋バイトをしていた時に店長と客の会話を思い出す。日本酒は結構酒造メーカーの使ってる樽の匂いが各社違って、お勧めのお酒を聞かれた店長が、その客の好みの地酒を聞き出していた。
熱燗と冷でもかなり変わるので、二十歳まで店でバイトをしてたら飲ませてくれる約束したっけな。叶わなかったけど。賄いが美味い店だった。
「数日前はまだ漬けたばかりで飲めませんでしたが、香りがし始めているということは若干成分が出ているということでしょう。少し飲んでみて感想を聞かせて下さい。僕達には味見が出来ませんから、チュータと貴方でどうぞ」
「役得了解〜。飲もうか忠太」
「ええ、早速百均でワイングラスを購入して試飲しましょう」
ということで、早速甕の蓋を開けてレードルを突っ込み、百均のワイングラスで乾杯。一口目を舌の上で転がした――……と。
「「っっっ!?」」
二人揃って目をかっぴらいてお互いを指差す。駄目だ、紅い双眸を見ただけで分かる。今たぶん私達はどっちも語彙が死んでる。慌てたサイラスが「大丈夫ですか!? 味がおかしいならペッしなさい!!」と言うのを手で制し、モゴモゴと口の中に残ったお酒を唾液で飲み干す。
語彙の死んだ感想を一言でまとめるなら「「う……っ……ま、」」に尽きた。サイラスが無言で私と忠太の肩を殴ってきたけど、それを甘んじて受けながらワイングラスに僅かに残った酒を注視する。
万全の明るさとは言い難いダンジョン内で、その酒は比喩でも何でもなく仄かに輝いていて。忠太の「魔力が回復してる感覚がします」の申告により、サイラスが「君達は本当に引きが強いですね」と苦笑したのだった。