*22* 一人と一匹、新米ママを宥める。
そーっと覗き込んだお高そうな揺りかごの中で、上質な絹のお包みに包まれた赤ん坊が寝息を立てている。名前はデイビス・ロウ・ウィンザー。私の小指よりも小さい鼻が膨らんだり、お包みがその呼吸に合わせて微かに上下したりして不思議だ。こんなに小さいのにちゃんと生き物してるんだな。
成人の私からすれば心許ない見た目のこの子も、日本人の平均的な新生児と並べたら断然大きい。いやまぁ、身近にいなかったから新生児知らないけど。
レベッカの妊娠が分かった時点でスマホで調べたらそう書いてあったので、それを鵜呑みにしてる。ハイハイもつかまり立ちも東洋人の子供より、西洋人の子供の方が早いんだとか。肉食文化のせいかな。
新生児が病院の新生児室じゃないところに寝かされているという事実に、一抹の不安を抱いてしまうのは前世の記憶がそうさせているんだろう。初産のレベッカもさっくり受け入れているみたいだし。とはいえ――。
「本当にこの子がお腹に入ってたんだなぁ。信じられん。人体の神秘だ」
ぺったんことまでは言わないまでも、あのまんまるだった時からは考えられないくらいに萎んだお腹に手を当て、しみじみ感心していたら「ふふ……分かるわ。わたくしも、そう思ったもの」とレベッカが同意してくれた。
まだ出産から一晩しか経っていないから疲労で窶れているけれど、元が美少女なのでそんな姿ですら綺麗だ。これからは母親の強さも身につけて、ひと皮もふた皮も剥けた美女になるわけか。きっと社交とか大変だろうなぁ。貴族って美人で若い人妻とか好きな奴多そうだし。知らんけど。何にしてもウィンザー様の戦いは始まったばかりだな。
ちなみにウィンザー様は私の登場と同時に、主治医と使用人さん達に自室へ戻って休むよう言われ、母子と引き剥がされることに抵抗したものの、金太郎とベルのツインベアーによってベッドに連行された。第一子の誕生でテンションは激高だったけど、顔色が最悪だったからな……と。
【ここまで ちいさい にんげん みるの はじめてです】
ナイトテーブルの上から赤ん坊を見ていた忠太が、そう立てかけたスマホに打ち込んだ。領主夫婦と看護師の彼女が衛生的であると太鼓判を押してくれたおかげで、こうして同席出来ている。ふはは、うちのとよそのネズミを同一視してもらっちゃ困るね。
「だよな。私もだ。レベッカがいなかったら一生見る機会がなかったかも」
「え? だけどマリもいつかは結婚するでしょう? たとえば例の彼とか。ね、ね、その後どうなのかしら」
「結婚ねぇ……あんまり興味ないな。出産に至っては全然思い浮かばないっていうかさ。私に母親は無理だよ。今は忠太達とお店やってる方が楽しいし」
「貴方が母親に向いていないなんて、絶対そんなことあり得ないわ。縁を切ったとはいえ娘の初めての出産にかこつけて、ウィンザー家にすり寄って甘い汁を吸おうと考える人間もいるのよ。それでもマリは飛んで来てくれたわ。誰がマリにそんなこと吹き込んだのかしら。見つけ次第投獄ものよ!」
あー、あの水面下の接触劇は結局バレたのか。ウィンザー様も頑張ったんだろうが、レベッカは賢い。実家のしつこさを知っているからこそ先回りでもしたんだな。母は強しってか。
「はは、出産翌日から元気だな。でもほら、私には女としての魅力とかってないし」
「あるわ! マリの母性は絶対に需要がある! 例の彼にそう言われたのでなかったら、そんな雑音は気にしないで構わなくてよ!!」
おぉん、予想以上にグイグイくる。目も心なしか血走ってないか? 別に不快とかじゃないけど少し苦手な話題なんだが、出産を終えてハイになっているレベッカの恋バナ熱は留まるところを知らない。
助けを求めて忠太の方を見れば、そこにはスマホに打ち込まれた【れべっか がんばれ】の一文が。ブルータス、お前もか!
思わず「や、でも、あれだろ」とか意味のない言葉を口にしつつ、レベッカの視線から逃れるようにしてお腹を撫でていた手を止め、揺りかごの中にいるデイビスの小さな握り拳をつつく。すると条件反射なのだろうか、握り拳を開いて私の指先を握りしめた。ちょっと湿ってて温かい。その掌に包まれたその時、ちょうど良い逃げを思いついた。
「あっ、いや、そうそう、そう! 出産ってかなり大変そうだったし。私にはまだあの大変さは我慢出来そうにないっていうかだな?」
口にしてみたら全くもって事実でしかない。あの死ぬ思いをしてまで産むのが、もう一人の自分みたいなものだとしたら絶対に嫌だ。男女関係なく、こっちに口答えばっかりしてくるクソガキの姿が目に浮かぶ。再現度も高い。
そのシミュレートに納得して一人頷いていたら、急にテーブル上で尻尾を振る忠太から【まり うしろ うしろ】とド○フ的な指示をもらう。次いで地を這うような「うぅぅぅ」といううめき声に振り向けば、ベッドに突っ伏して金髪貞子になっているレベッカがいた。
「あ、あのと、時はっ、自分が辛いからってマリに甘えて、ゆ、ゆびの、ほ、骨を折って……ほん、本っっっ当に、ごめんなさいぃぃ」
「えっ、ちょ、待って待って、冗談冗談!! あれは仕方ないって。不可抗力だよ不可抗力。気にしてないから気にするなよ、な、な?」
「気にするうぅぅうっぷ、」
「吐くから、それ以上興奮しちゃったら吐いちゃうから! 落ち着け!」
おおおおおい、出産後の感情ジェットコースターすぎないか? ベッド横の呼び鈴で医者か産婆さん呼ぶべき? 同じくおろおろする忠太と意味のないジェスチャーを出し合っていたら、母親の声に驚いたデイビスが指先を握る力を強め、くしゃりと顔を歪ませた。
ヤバイと感じたが時すでに遅し。直後、母親の危機と知ってか知らずか、デイビスは「ほにゃあぁぁ!!」と昨日気絶する前に聞いた、あの何とも甘やかしたくなる声で泣いて。
その声に血相を変えて駆けつけたウィンザー様達を相手に、浮気現場を押さえられた間男くらい慌てながら事情を説明したところ、レベッカの肩を抱いて宥めていたウィンザー様が「ちょうど良い。君達に話しておきたいことがある」と青白い顔に笑みを浮かべた。