*20* 一人と一匹と、新規加入は小説家。
場所を移動して森の工房。まだいまいち自身の置かれた状況を飲み込みきれていないサイラスは、部屋の中にあるものにいちいち触れてはその都度「これも、これも、あの空間にあった物と違う……」と、独特な視点で感動している。
まぁ確かに前世の強化プラスチックと石油製品まみれなあの部屋から出たら、完全な木工製品て珍しいけどさ。というか、私の部屋になったのも割と最近のことだろうに。もっといえば相棒であるクロロスといた時代とそう変わらないと思うんだけど。私の姿になる前はどんな空間だったんだろ。この感動ぶりからすると洞窟とか石室だったり?
――と、そんな疑問が顔に出ていたのだろうか。ふと目が合った忠太が「数百年ぶりの肌触りもそうでしょうが、磁器の指で触れるとまた趣が違うのでしょうね」と言った。ああ、そういうことか。元々は蛇で、直前まで人で、今はビスクドールだもんな。想像力が足りなかったことが恥ずかしい。
忠太の指摘に「ああ、そうか。そうかもしれません。でも……興味深い」と答えたサイラスは、しばらく自分の存在をこの世界に馴染ませるように色々な物に触れまくった。ちなみに忠太も私も金太郎も輪太郎も例外なく触られた。例外はないらしい。
声もいつの間にか私のものから知らない青年……いや、少年? の声になっているし。不思議だ。その後も夢遊病者みたいに小屋の中にあるものをくまなく触って気が済んだのか、サイラスはようやく工房にあった椅子の一脚に腰を落ち着けた。
「結局あの読めない精霊文字のポイントは何なのかって疑問は、今回も解けなかったわけだけど。℘₪℘₣■■₪₪₰℘だっけ。あれってその、こういう場合もそういう対象になるんだな」
思わずぼかして言ったけど、食人……カニバリズムとかいうあれだ。海外のスプラッタホラーだと結構お約束だったりするが、現実でも一部の国では戦士の遺骸を食べる文化もあると聞くし、理由があれば引くようなことでもない。
が、食べられた相手が幸福を感じるかというとどうなんだろうか。食べられることが前提のヒーローのアン○ンマンも、自己犠牲精神であって食べられて幸せって感じじゃないし。
「そんなに意外でしょうか。サイラスが彼の心臓が止まる寸前に食べたことで、生存権が彼からサイラスに移った。見ようによっては、相棒の志や夢や寿命を贈与された形になったのだとも考えられます」
「食べた方も食べられた方も責任重大だなそれ。でも悪くないかも。間接的ではあるけど、今回ので贈与のやり方も分かったし。忠太も私が死んだら私の身体をやるからさ、何かやってみたいこととかない?」
「そうですね、マリの許しがあれば――……と言いたいところですが、わたしには必要ありません。マリがいない世界ならネズミのヒゲ一本分も価値を感じられないので」
そう何でもないことみたいに狂気的なこと言ってのけた紅い双眸が、ジッとこちらを見つめる。綺麗だなと思うと同時にヤバイ奴に育ってしまったなと苦笑が零れた。なのに何故か。世界に私が一人分欠けただけでそう思ってくれるのかと思ったら、体調も悪くないのにどこか泣きたいような気分になった。
「どうでしょう、マリ。ご理解頂けましたか?」
「まぁな。お前が滅茶苦茶な寂しがりだってことは分かったよ。長生き頑張るわ」
「良かった。でしたら、その補助はお任せ下さい」
「おう。それはそうと――……お前は何をやってんだ?」
「あ、いえ、お二人のやり取りがあまりに尊かったので、新刊の構想を思いついてしまって。どうぞお気になさらず続けて下さい」
この間やけに静かだと思ったら、いつの間に引っ張り出してきたのか、百均のメモ帳にガリガリと文字を書き込んでいるサイラスと、それを興味深そうに眺めている太郎兄弟。凄い勢いで下書きの割にはかなりしっかりとしたプロットを書いている――……って、そうじゃない。
「馬鹿、待て。その壁のメモ見て続けるわけないだろ。ていうか、そのこっ恥ずかしい脳内お花畑な構想は今すぐ破り捨てろ」
「いけませんマリ、作家の閃きは清水のようなものですよ。堰き止めればすぐに濁ってしまう。サイラスのスマホはどうやらあの空間から出た際に失われてしまったようですし、これは残しておいた方がいいと思いますが」
「ええ、その通りです。ゼノンのおかげなのか、さっきからもう、創作意欲が疼いて仕方がないんです。彼の日記を元にした小説を……いえ、彼の功績をきちんとした歴史書に編纂したい。今の僕にはそれが出来るこの身体がある」
言いながらも手を止めないサイラスに呆れつつ、勝手に妙な提案をする忠太の脇腹に肘鉄を打ち込む。さっきまでのしんみりとした空間から、あっという間にギャグ時空に放り込まれた気分である。
「いやいや、だったら歴史書の編纂に注力して、このメモは忘れろ。な?」
「頂いた同人誌の巻末に無名の小説家がお金を稼いで名前を憶えてもらうには、ドキュメンタリーよりも娯楽作品を数多く書くことが大切だとありました。ドキュメンタリーを書くのは読者がついてからだと。ですのでその第一作としてあれは書く必要があるのです」
やりたいことがはっきりしているのは良いことだ。しかしそれは自分にとって実害がない場合のみ応援できるものなのだと、嫌という程理解したのだが……大体そういうのは後の祭りってやつで。
「ふむ、でしたらそのための近道として、コルテス夫人の束ねる小説家の卵の養成所に入ることをお勧めします。入会するにはまず最低限短編三作ほどと、中編を二作ほど用意する必要がありますね。ついでにサイラスのペンネームも考えましょう」
「はい、頑張ります。ゴーレム学の祖としてゼノンの名を歴史に刻むまでは、この身体は砕けません!」
サクッと色んなことを煙に巻いて有耶無耶にまとめた忠太と、すっかり新しい目標を得て元気になったサイラスを見て、対案を持たない私ではあったものの、ふとここにいないもう一体の精霊が頭を過った。
この小屋と森の元守護者。牡鹿の紅葉もとい、オニキス。あいつならあの読めない精霊文字について何か知ってるかもしれない。