にんじんのかくれんぼ
もえちゃんはカレーが大好きです。ママのつくるカレーは、ちょっぴりからくてすっごくおいしい、まほうのカレーでした。
もえちゃんはにんじんがきらいでした。ママももえちゃんがにんじんきらいなのを知っています。カレーにはいつも、にんじんを入れずに、たくさんのたまねぎとジャガイモ、そしてお肉を入れていました。
でもある日のこと、ママがもえちゃんにカレーをついで、それからいたずらっぽく笑ったのです。
「もえちゃん、今日はママとかくれんぼしましょうか?」
「かくれんぼ?」
その日、パパはお仕事でおそく、ママともえちゃんだけでした。ごはんのまえにママも遊びたいのかなぁと、もえちゃんは思いましたが、ちょっとちがったようです。
「そうよ、かくれんぼ。でも、かくれるのはママじゃないの。かくれんぼしてるのはね、にんじんさんよ」
「ええっ?」
もえちゃんはまあるい目をもっとまるくして、それからむぅっと口をとがらせました。
「ユキおばさ……、ママ、ひどいよ! わたし、にんじんきらいなのに」
ぷくっとふくれるもえちゃんに、ママはうふふと笑いました。
「ごめんなさいね。でも、ほら、かくれんぼしてるから、にんじんさんを見つけてどかしちゃえば、ママのいつものカレーになるわよ」
ママも自分のカレーをスプーンですくって、ぱくっと食べます。もえちゃんはまだむぅっとふくれっつらをしていましたが、スプーンでそーっとカレーのルーをすくいます。
「どこなの? にんじんさん、どこー?」
ルーをすくっては、じぃっとにらめっこ。ルーをまたすくって、じぃっとにらめっこ。もえちゃんはなんとかにんじんを探そうとしますが、どこにも見つかりません。そうやってルーをすくってもどしてをくりかえして、とうとうもえちゃんはうらめしそうにママを見つめました。
「ママぁ、にんじんさん、見つからないよ」
「しかたないわね。それじゃあ食べてごらん」
にこにこ顔のママを、もえちゃんは「うぅっ」と見ていましたが、やがてカレーをスプーンですくいました。じぃっとにらめっこを続けていましたが、とうとうぱくっと口に入れたのです。
「……おいしい!」
それは、いつものママのカレーでした。ちょっぴりからくて、すっごくおいしい、まほうのカレーでした。
「じゃあ、にんじんさんは……?」
ママは答えずに、うふふとまた笑って、それからちょっとだけ首をかしげました。
「にんじんさん、どこかしらね。でも、もしもえちゃんが、ちゃんとにんじんさんを食べられるようになったら、ママとのかくれんぼもおしまいだから」
「ママ……?」
ちょっとだけママが、顔を横にむけたので、もえちゃんも首をかしげました。でも、ママはなんにもいいませんでした。
「パパ、ママは?」
次の日の朝、ママがどこにもいなかったので、もえちゃんはきょろきょろしながらパパにたずねました。パパは新聞で顔をかくしたまま答えました。
「もえは、ママとかくれんぼしてるんだろう? きっともえが、にんじんをちゃんと食べられるようになったら、ママも見つかるんじゃないかな」
……それから私は、毎日人参を食べるようになったが、それでもママは、ううん、雪奈さんは帰ってこなかった。私が高校生になったときに、パパが教えてくれたが、雪奈さん、私が『ママ』だと思っていた人は、私の本当の母親ではなかったのだ。私は父の連れ子で、雪奈さんは父の内縁の妻だったらしい。二人が籍を入れなかったのは、子供についての考えが平行線をたどっていたから。
「今では私、人参も大好きになったのに。……雪奈さんのことも、私は好きだったのに」
それを聞かされた時、私は父にずいぶんひどくわめき散らした記憶がある。本当の母は病で、そして物心ついたときの母は、別離することで失った。私は二度母を失うこととなった父を憎んだが、当時の父はリストラされて新しい職もなかなか給料が上がらず、二人目、つまり雪奈さんとの初めての子供を産むことに否定的だったらしい。私と雪奈さんを養うだけで精一杯だったのだ。
「あの時、私がもう少し大きくて、働ける年だったら」
そう思って私は今でも後悔する。私の存在が、雪奈さんの幸せを奪ったも同然だったから。雪奈さんも、子供が欲しかったのに、産まないといって聞かない父に嫌気がさして、そして二人は別れたのだから。連れ子である私のことをかわいがってくれたのも、雪奈さんが子供好きだったからに他ならない。……だから私のちょっとしたわがままと食わず嫌いを直そうと、「かくれんぼ」という最後の優しさをくれたのだろう。
今でも私は雪奈さんのことを思って涙することがある。猛勉強して、特待生となり、なるべく父に学費の心配をさせないようにしたのも、雪奈さんに対する罪悪感からに他ならない。
「雪奈さん……今、なにしているのかしら」
どこかで誰か素敵な男性と結婚して、子宝に恵まれているといいのだが。……いや、きっとそうに違いないだろう。あれほど素敵な「ママ」が、幸せにならないなんてあってはならない。ママこそ、幸せにならなければならない人なのだ。
私に優しさと愛を恵んでくれたママ。血はつながっていなくとも、私にとってはかけがえのないママだ。……もしいつかママと再会することがあれば、私は娘として、愛と感謝の気持ちをこめて、もう一度ママと抱擁を交わしたい。本当のママがいなくなり、泣いてばかりだった私を抱きしめてくれた、あの夜のように……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それでは、次のニュースです。本日午前、○○大学のキャンパスで、女子大学生のAさんが、女に刺されて重傷を負い、間もなく死亡が確認されました。女はいまだ逃走中ですが、現場に居合わせた生徒たちによると、Aさんが女と抱き合った直後に刺されたという情報もあり、警察はAさんと女は面識があったと見て、調査を続けています。続いて次のニュースですが……」
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