第八話 名も無き花・下
日は完全に沈んではいないが、それでも目を凝らさなければならない程に路地は暗い。
身を隠すのならば闇は逃走車の味方にもなるが、それは後ろ暗い連中にとっても同じ。
社会が犯罪の抑止として機能できるのは、社会性という名の相互監視が行われているからである。
誰の目にも止まらない。というのは当然、誰の目を気にする必要が無いということだからだ。
逃げる得物は、安直な安息を求める余りにより一層深みに嵌まりやすい。
――もし、少女が何事も無くどこかへ逃げられているとすれば、それはむしろ危険を意味する。
日が傾いたとはいえ、これだけの大都市。たとえ裏道であっても、人と行き交わない方が不自然である。
マオは肌を研ぎ澄ませる。
大気に霧のように揺蕩う魔素。その流れが乱れた僅かな痕跡――残影を辿る。
複雑に入りくねった袋小路を、しかしその残影はまるで見知った道かのように一定の方角を目指している。
・・・・・・やはり、誘導されている。
少女が失踪してからそれ程時間が立っていないのに、痕跡は異様なまでの速さで薄れていく。
誰かがマナの流れを弄って隠そうとしているのだ。
隠ぺいしようと思えば、当然ながらその隠ぺいした痕跡が生まれる。
だがしかし、その痕跡はマオでも判別できない。
相手は相当な手練れ、それも千年前でも滅多に見かけない程の達人である。
己の浅はかさに冷や汗が伝う。
追うつもりが追われているのは、むしろマオ達の方かもしれないのである。
初めの内は、マオ自身を餌とする手も考えたが、敵方は少女を追うことに専念しているらしい。
ザルド指揮下の兵が街を見回る中で闇に紛れて粛々と仕事をこなす豪胆さは、業腹ではあるが称賛に値する。
目的以外に色気を出さない、嫌らしい程に冷静な狩人。
であれば、少女を救い出すのは至難である。
足早になりそうなのをぐっと堪える。
まだ、こちらが相手の思惑に気付いたと悟られてはならない。
待ち伏せによる不意打ちを達人にされては、ともかくアルムとセルフィの身が危ない。
だが一方で、時間が立つほど跡は薄れて追い辛くなる。
索敵に適した魔法の一つでも覚えていればまだ良かったのだろうが、生憎マオが得手とするのは破壊である。となれば、取れる手段は――
「アルム、セルフィ。多分すごくめんどくさいことになると思うけど、許してくれ」
グッ。と強がった笑顔で親指を立てる二人が少しだけ頼もしかった。
宣言して、手を空に掲げる。
マオの掌から膨大な魔力が溢れ出し、爆発的な速度で街全体へと広がっていく。
――自然のマナを頼りに出来ないのなら、この街全体を自分の腹に収めてしまえば良いだけのこと。
それはザルドに対する宣戦布告ともとられかねない一手である。
指向性の無い魔力は、あとはほんの少し手を加えるだけで町全体を焼き尽くす炎に替えられる。
この街全員を人質に取ったと言われても仕方がない。
きっとザルドは今頃血相を変えて城を飛び出したことだろう。
そしてマオを視界に収め次第、正鵠無比な投擲でその心臓を打ち貫くはずだ。
――それはいいとして。
「見つけた」
か弱い魔力が一つ。そしてそれをじわじわと追いつめる気配がみっつ。
術者の魔力だけはこの期に及んで感知できない。余程遠くに隠れているのか、あるいはすでに離脱したか。
「――近いな。走るぞ、二人とも」
いずれにせよ、これでマオもまた追われる身となることが確定した。
ザルドに見つかるより先に戦果を上げなければ、言い訳のしようもない。
さて、賽の目はどう出るか・・・・・・
――駆ける。
外套がはためき、髪が乱れる。
――駆ける。
心臓が高鳴る。
――駆ける。
ひっそりと、マオは自嘲に口端を歪ませる。
――駆ける。
自覚する。詰まる所、自分は戦争からタイムスリップしてきた亡霊なのだ。
標的発見。
ナイフの刃が、闇の中で嗤うように輝いている。
男は子供の姿に驚いた顔をしている。鈍い。
地を這うような姿勢で初手を掻い潜り、そのまま密接。
走りの勢いをそのままに掌底を繰り出す。
マオの体重では必殺とは成りえないが、鳩尾に衝撃を食らった男の体はたまらずくの字に居れる。
下がってきた顎に今度こそ必殺の掌底を突き上げる。
大きな頭が振り子のように揺れる。
脳震盪を起こした男が泡を吹く。
残る二人がようやく我を取り戻してナイフを繰り出そうとする。
マオは大男の体に体当たりを食らわせる。
体格差を利用して、盾を兼ねた隠れ蓑にして距離を詰める。
マオは汗臭い男の腋から身を捻るようにして体を繰り出す。
たん、たん。とステップを刻む。
遠心力を乗せた裏拳が、鞭のようにしなる。
相手の攻撃を弾くのではな逸らし、むしろ引きよせる。
体幹を崩して上半身を泳がせている男の足を、回し蹴りで絡め取る。
転ぶ男を他所に、残る一人に向き直り、踏み込む。
しかし、次の手は要らなかった。
最後の男の頭にはアルムが投擲した一升瓶がブチあたり、割れた中身が飛び散る。
調理酒という名目のドギツイアルコール(料理は火力。とは我が家のシェフの言い分だそうだ)を浴びせられてはたまったものではあるまい。
「きゃあああああ」
ごおおおん。と小気味のいい音が響いた。
ついでにセルフィがフライパンでトドメ。というか追い打ち。
グッ。と三人で顔を見合わせて親指を立てる。
「おっと、いつまでも女の子を地べたに座らせてちゃいけねえよな」
「カッコつけちゃって」
「うっせ」
茶化すセルフィの声は震えている。
アルムもまた強がっているのは明らかだった。
ま、アルムも頑張っていたし、美味しい所くらいは譲ってやるか。とマオは黙っていることにする。
「あ――う・・・・・・」
「・・・・・・君、立てるかい?」
少女の表情はローブのフードに隠れて読めない。
だが、人懐こいアルムの笑顔にほだされて細い指先がのばされる。
引き寄せられる拍子に、はらりとフードがおりた。
――なんと美しい。
「あり・・・・・・がとう」
闇になお映える銀の髪。蒼玉の瞳を右の泣き黒子が飾り立てる。血色の良い頬がともすれば冷たく映る美貌に彩りを添えている。
そして頭部の角が魔族の証明を、そして魔族にしては小さな、尖った耳が人間の血を示している。
「あ。お、俺はアルム。で、こっちが妹のマオ。あとついでにセルフィ」
「ついでってなによ。ついでって。あとマオちゃんは私の妹だから」
「なあアルム、セルフィ。犬も食わないような夫婦漫才は結構だが」
「夫婦じゃねえよ」「夫婦じゃないよ」
アルムとセルフィのやり取りに気が抜けたのだろう。
「ふふ・・・・・・」
花のように、少女が笑う。
「私はエレノア。助けてくれてありがとう」
パクパクと、アルムは酸欠に喘ぐ魚みたいになっていて情けない。
これからザルドに申し開きをせねばならないと考えたら頭が痛かったが、今はこの兄のヘタレなヘタレな一目ぼれを眺めることで慰めとしよう。
マオが空を見上げると、屋根の合間から覗く空には一番星が浮かんでいた。