第五話 シルクス城下町
シルキアから馬車を乗り継いでおよそ3時間。
ラフィール地方随一の大都市であるシルクスにセルフィとアルム、そしてマオの姿があった。
緑豊かな農耕地帯と比べれば、シルクスは石と鉄の町である。
統率のとれた美しい街並みは、実は幾重にも重ねられた防衛機構であることが解る。
西の港以外はぐるりと城壁に囲まれており、統率された町並みはシルクス城の望楼から必ず見渡せるようになっている。
歴史ある城塞都市といった趣ではあるが、異彩を放っているのは東の城門近くから首都まで延びる長い鉄道と、その駅である。
煤を掃出し駆動する鉄の怪物。蒸気機関。
鉄道のみではない、港に停泊する船の中にも帆を持たないものが見受けられる。
交易の発展は文明を加速させる。
かつて香辛料が金と等価だったのは、帆船による船旅が長く過酷なものであったからだ。
だが、風の力に頼ることなく、安定して大量の貨物を運搬できる蒸気機関ならば、そのリスクを負う必要が無い。
「まこと驚いてばかりだ。千年の時とはまこと永きものよの」
鉄道と海路を繋ぐ大通りによってシルキアは南北に大きく分かたれている。
通りの両脇には幾つもの店が軒を連ねている。中には祭りでもないのに出店を出しているところもあった。
マオが今持っているキャンディも、そうした店で購入した逸品だった。
ぺろり。と舐めると舌がしびれるような甘さだった。
「ま、俺達人間百を数えることすら稀だからな」
魔族の中にはドラゴンのように数百年を超えて生きる生命体も存在する。
これまで生きてきた十数年の人生ですら十分長く感じられるアルムには、その途方も無さは推して知ることすらできない。
「世代の代謝。か。人の生は儚いが、しかしだからこそここまで成長することに対して貪欲になれるのだろうな」
ばりん。と飴をかみ砕く。
ごりごりとした食感と、頭が痛くなるような甘さがやみつきになりそうだった。
『女の子は砂糖とクリームの味を知らなきゃだめだよ』とはセルフィの弁であるが、なるほど、無意味な彩色と整形で装飾された飴細工は宝石のようだったし、それを腹に収めるというのは、下に広がる味以上に甘美な魅力がある。
「マオちゃんは、やっぱり人間の事、苦手?」
マオの手前強がってはいるが、人ごみにあってセルフィの笑顔はぎこちない。
ヒトと魔族。両の血を引く娘ともなれば、マオからすれば祝福の子供とさえ呼びたいほどであるが、残念ながら今なお種族間の差別というのは完全に根絶やしになった訳ではない。
かつての為政者としてはまさしく忸怩たる思いである。
そのため、マオはアルムを兄と呼ぶほどにはセルフィを姉と呼べずにいる。
セルフィがマオを必要以上に甘やかそうとするのは、似た境遇にある自分に対する一種の依存,
ないしは甘えである。
要するに「自分より薄幸である妹」を下に置きたいのだ。
しかし、シルフィが心が清く優しい少女であり、打算などなくともマオを愛したいと思っていることもまた事実。一番の問題はシルフィ自身がその境界を判別できていない点である。
だから、シルフィが傍にいると、マオは指導者としての口調に戻ってしまう。
――ごっきゅん。
「いや、貴い。と思う。強欲故に未来へ手を伸ばし、そして掴み取りながら、しかし多くの倫理もまた生まれては育まれていく。貴賤は陰と陽、なればどちらかを愛するなら両方を愛さねばならぬし、どちらかを憎むなら、平等に憎まねば道理を外れる」
「だったら、憎むしかなかったらどうやって生きて行けばいいの?」
「構わんさ。憎悪を知り、苦悩するものは慈愛もまた誰よりも理解する。シルフィはとても優しい子だと思うよ。だからシルフィがもし、胸の内に悪意を募らせ、それを御しきれなくなったらその時は」
とんとん。とマオは自分の胸元を叩く。
「その悪。私が許し、私が受け入れよう。王位は失い、力も衰えたが、まあわが末裔の一人くらいは受け入れる器量もあるだろうさ」
堂々と嘯くマオに対して、うわあ。とシルフィがうめく。
「きゅ、きゅーん。そんなこと言われたら……お姉ちゃん、ダメになりそう・・・・・・」
「セルフィは本当にマオの前だとアレだな」「何か?」「いや何も」
「ま、だべってるのも良いけど買い出しも済ませちまおうぜ」
アルムがバックパックをぽんぽん、と叩く。
ド田舎のシルキアにも商隊は訪れるが、品数は限られる上に値段も足元を見られがちである。
親父が馬鹿みたいに量をつくるせいで消費の激しい竜骨亭にとって、日持ちの良い素材だけでも安く多く手に入れられるシルクスの市は生命線だった。
「とはいえ、また物価も上がってるな」
「そうなのか?」
「ああ。本当にすこしずつではあるけど。人が増えてきてるぶん、需要も増えてるのかもしれないな」
「しかしおそらく量自体も増えているのだろう。ならばわざわざ価格を釣り上げる必要は無い様に思えるが」
「普通の家ではそんなにたくさん調味料を使う必要はないからね。売れる量が限られてるから出荷量をわざと絞って利益を増してるのかもしれない」
「それはそうだがしかし、どうにも・・・・・・」
ううむ。と顔色を曇らせるマオを、心配そうにセルフィが伺う。
「何か気になることがあるの?」
「いや、きっと杞憂だろう。忘れてくれ」
ひらひら、とマオは手を振る。
もっとも劇的に消費が拡大されるのはいつか。
――その答えに直結して考えてしまうのは、きっと自分の悪い癖だ。
まだ見定められるほとに今の世を見たわけではない。
「さあ、日が暮れる前に早く用事を済ませないと。父上と母上に心配されてしまう」
マオは残った飴を一気に頬張ってかみ砕く。
頭の中がチカチカするような甘さに、今はまだ甘えていようと思った。