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第四話 魔物と人と温かいごはん

 「これは驚いた」

 千年前の魔族の社会において素材に火を通す目的は、熱による消毒が主であり、味覚を満たす意味合いは薄かった。

 茹でただけの芋は咽せそうだったし、下味の付いていない肉は噛み切るのにも一苦労するほど硬く焼かれるのが当たり前。

 アルムが用意した朝食に比べれば、マオがこれまで口にしてきたものは料理と呼ぶのもおこがましい。

 特筆すべきは食材は元より、調味料の贅沢さである。


 パンからはバターの匂いが香り立ち、食べやすい大きさに刻まれた野菜にはオリーブオイルをベースにビネガーとペッパーを混ぜたソースがかけられている。

 一見素朴に見えるスープに溶け込まされた複雑な、しかし空腹を煽る香りに至っては、もはやマオの想像の範囲外である。


「なんと・・・・・・なんと豪勢な」


 マオの時代に生きた者なら誰もが同じ反応をしただろう。

 戦を支える兵站には当然ながら食料も含まれる。

 食材の寿命を伸ばす事のできる香辛料は、まさしく魔法の粉であった。

 もしこれほどの豊かさを文字通り日常茶飯事として享受出来ていたとしたら、父が率いていた魔王軍はあと百年は人間と戦えていたかもしれないのだ。

 驚嘆を通り越して、マオは半ば途方に暮れてしまう。


「おい。さっさと食えよ。冷めちまうだろ」


 ひょっとして謀られているのではないか。と警戒するが、だとしたら迂遠に過ぎる。


「・・・・・・あ、ああ。いただこう」

 

 おそるおそると、パンを小さくちぎりとる。驚いたことに中は幾重もの層となっており、中にしみこませられたバターの香りがより一層強くなる。

 あむ、と口に含む。

 千年の粗食に耐えた舌に、芳醇な味わいが満ちる。

 カリッとした表面と、サクサクとした内部の層の食感、バターと砂糖の甘さ。そしてそれを引き立てる塩分。

 マオにとって、体験は完全に想像の埒外であり、結果――


「ほわああああああ・・・・・・」


 ・・・・・・マオは溶けた。

 唇が油でテッカテカになってしまってるのも、口の周りにパンくずが付着しているのも気にせず、あっという間に平らげてしまう。


「お、おい。大丈夫かよ」


 ドン引きするアルムをよそに、マオはばくばくとスープとサラダの皿も空にする。

 けぷ。という小さなげっぷがでた。

 一通り腹が膨れて落ち着いたのか、ポヤーっと眠そうに目を細めている。


「無防備すぎだろ・・・・・・」


 どうみても、育ちざかりの童女そのものである。

 マオを妹としたのは咄嗟の思い付きではあるが、ここまで世話の焼きがいのある少女だとは。


「まじかよおい」


 可愛い子だな。という思考が脳裏をよぎり、アルムは苦笑する。

 昨日初めて会った時の印象は、すでに何もかもが遠い過去のようである。



 ◆


 しばらくマオのボケ顔を眺めていると、とんとんとん。と階段を降りてくる音がした。


「おはよう。セルフィ」


 小さな角が覗く短く整えられた癖の強い赤毛。そばかすが浮いた顔にあしらわれた、翡翠の瞳が少しだけ困ったように泳ぐ。


「お、おはようございます」


 魔族の土地が近いシルキアは、魔族からの侵攻を防ぐ砦としての側面と、同時に魔物との和睦を深める交易都市としての側面を併せ持つ。

 砦としての役割は衰退して久しく、武力行使権を握る領主のザルド伯爵もまた、関係が有益ならば種族の境界など気にしない快人物である。

 そのため人里に身を寄せる魔族もここシルキアではけっして珍しくはない。

 しかし未だ差別が根強く残るのもまた事実である。

 セルフィは両親を病で亡くした。しかも人と魔族のクォーターであるセルフィは、身を落ち着けられる場所を見つけるのにも余程苦労したのだろう。

 もう少し身だしなみに気を使えばかなり映える容姿ではあると思うのだが、本人に自信が無いのか化粧は薄く、おどおどと背中を丸めることが多いために、スタイルの良さも隠れがちである。


「アルムさん。その子は・・・・・・?」


 さんは付けなくていいよ。とアルムは言っているのだが、壁は無くならない。


「コイツはマオ。昨夜ちょっとした訳があって、俺の妹になった」


「・・・・・・えぇ?」


 とんでもなく怪訝な顔をするセルフィ。

 すごくキモいことを言ったと気付いたアルムは、あわてて取り繕う。


「いや、マオも身寄りがないんだそうだ。これからウチで一緒に暮らすことになるけど、セルフィも構わないかな」


「わたしと同じ・・・・・・」


 おなじ。おなじ。おなじ。とセルフィが言葉を反芻させる。


「この子が?」


 ちらり。とマオをみやるセルフィ。

 それにつられてアルムもセルフィを伺う。

 静かだと思ったら、マオはいつの間にか座ったまますよすよ眠っていた。

 気が抜けたのかもしれないけれど、でもせめて女の子ならよだれは吹きなさい。よだれは。


「意外と逞しいんだろうな」


「そんな言い方だめですっ」


 ピシャリ。と言われてアルムはポカンとしてしまう。


「寄る辺の無い怖さは、耐えられるものじゃないんですよ。こんな小さな子が、それでももし大丈夫そうに見えてるとしたら、それはただ心を殺しているだけだと思う」


 千歳超えてるけどな。と言いたくなるのを呑みこんだ。

 こんな剣幕のセルフィをみるのは初めてだった。

 

「アルムさんなんか、お兄ちゃん失格ですっ。だから・・・・・・」 


「だから?」


「わたしがマオちゃんのお姉ちゃんになりますっ」


「どうしてそうなる!?」


「アルムさんに言われたくはありません!!」


「ぐうの音も出ねえなおい・・・・・・」


 セルフィはぷりぷりと怒りながら、マオを抱えて階段を上って行く。

 取り残されたアルムに残されたのは、空になった皿と、涎の付いたテーブルだけである。


「マジでモテねえな。俺・・・・・・でも・・・・・・」


 初めてちゃんとセルフィと話が出来た気がする。

 思ったよりずっと、これからの生活は楽しいものになりそうだな。

 なんて思ってしまうあたり、つくづく自分はお人好しなのだろう。


「だったらちゃんと、マオもセルフィも笑えるようにしてやんねえとな」


 アルムは腕まくりをして、目の前の洗い物と向き合う。

 陶器の皿に映る顔は、なんともうれしそうに腑抜けていた。

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