序章
父から与えられたのは王としての役割。
――ならば民草を導かねばならぬ。
母から与えられたのは愛する心。
――ならばこの争いを憎悪せねばならぬ。
そしてその憎悪は私が全て貰い受ける。
民の富が王の富たるならば、戦史の負債もまた王が背負わねばならぬ。
「誰かに言い残すことはあるか。魔王よ」
血の匂いに満ちた玉座の間に、勇者の声が響く。
長きにわたるヒトと魔族の戦争。
力に勝る魔族と、繁殖力に勝るヒト。
かつては拮抗していた力も、文明の進化と共に趨勢はヒトへと傾き・・・・・・そして今、魔族の王たる私の胸元には冷たい刃の切っ先が触れている。
聖剣。即ち不死さえ斬り伏せるヒトの祈りと執念の結晶。
「ない」
短く、血みどろの顔には笑みさえ浮かべて吐き捨てた。
死の魔王。暴虐の魔王。不死身の魔王。史上最悪の魔。
長い歴史の中でも語り草となるほどの力。私という英雄を御旗に、魔族は再び士気を取り戻した。
しかし、私の力がもたらしたのはより熾烈な闘争でしかなかった。
慟哭と血の雨が幾度も大地に降り注いだ。
怨嗟が凝り、狂気は伝染する。魑魅魍魎が跋扈し悪鬼羅刹の蔓延る混沌の乱世は、まさしくこの世に顕現した地獄であった。
「・・・・・・貴様が惑わせたせいでどれだけの命が失われたと思っている。貴様さえいなければ、魔族もこれほどまでに追いつめられることもなかっただろうに」
「私は私の決断に後悔などしない。愚かだったとは思わない。ただ、負けただけだ。私は全力を出した。その結末ならば私はなんであれ許容する」
「繕ったところで所詮貴様の王道は外道。後世に語られる貴様は悪の顕現として謳われ、誰にも崇拝されることなく、顧みられることも無い」
「構わぬと言っている。善果も悪果も、全ては私の財なれば……地獄の底まで決して手放しはせぬ」
「言葉を交わせるのならば、響く言葉もある筈と・・・・・・そう信じていたボクが愚かだったのか」
「交わす言葉はとうに尽きている。ならばあとは刃を交えるのみ。そしてそれももう終わったこと。勇者よ。そなたの責務はその刃に少しばかりの重さをかけるだけだ。それで長きにわたる戦乱も終わる。そなたはただ、その先に広がる未来を夢想すればよい」
「ボクは、勝者の権利が欲しい。誰もが笑っている未来が、欲しい」
「つぐづく強欲よな。なればこそわが身さえ殺しうると思えば、いっそ愛しくすらある。人の子よ・・・・・・ゆめ忘れるな。その欲こそが、私に勝ったのだ」
「・・・・・・あんたは」
「さあ、務めを果たせ。勇者よ。権利を欲するならば、それは私の屍の先にしか得られない」
目を閉じる。
「・・・・・・ああ、本当に馬鹿だよ。ボク達も・・・・・・アンタも」
ずぶ。と聖剣が私の体を貫く。
痛い。と感じる自分さえどこか遠い。
痛みには慣れ過ぎてしまったのかもしれない。
暗く、暗く、遠く、遠くなっていく。
ようやく怯えずに眠れると思うと、訪れる闇はひたすらに慈悲深かった。