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週末、二人の

作者: 冴月



 冬の足音が聞こえて久しい日曜日。

 マフラーと厚手のコートを突き抜けて刺すような寒さが喉元に忍び込んでくるような遅い朝に、これまた季節を感じさせる弱々しい日を背にしながら坂を登っていく。


「はぁ」


 白い息を吐いて辿り着いた目的地である「宇山」と表札の上がったこの家は、いわゆるところの山の手のお屋敷だ。

 ささやかながらも巧みに品のある意匠の施された鉄門を開きながらふと振り返れば、眼下にはミニチュアのような街が広がっていた。朝日の下、とっくに街は目覚め、動き出している。

 しかし、毎度毎度この急坂をよく登りきるものだと思う。すっかり息は上がって先程まで寒い寒いと感じていたのが嘘のように体が熱い。

 お気に入りのハンドバッグを肩に掛け直してから、少し息を整えてインターホンを押して待つことしばし。前触れ無く重厚な樫の扉が少し開かれ、柔らかそうな癖っ毛の青年が顔を覗かせた。


「――やぁ、カナちゃんか。いらっしゃい」

「……おはようございます、日向(ひなた)くん」


 赤らんだ頬を隠すように頭を下げる。そんな私に「いいからいいから」と朗らかに声を掛けて、家の中に招くように扉を大きく開いた。




   * * *




 ぐぉぉ……と、唸り声のような低い駆動音を鳴らして石油ヒーターが動いている。

 二階の日当たりの良い角部屋。窓際のベッドには一人の老女が身を起こして慈しむように外を眺めていた。


「おばあちゃん」

「……奏。よく来たねぇ」


 柔らかい声音で私を迎えたのは私の祖母――宇山しの、である。終戦の時流に乗って貿易業を興し、一代で大身代を築き上げた祖父に嫁いだ女性だ。この地に根付く豪農の家系の娘である彼女は若い頃聡明さと美しさで名を馳せたそうで、そのどちらの美点も今なお衰えてない闊達とした人だった。

 上品な年の取り方をしたことを伺わせる綺麗な笑い皺と、かつては烏の濡羽と言われたのだろうなと思わせる豊かな白髪。なにより、祖父と共に激動の時代を生きてきた毅さを感じさせる眼差しが印象的な女性。それが私にとっての「おばあちゃん」だった。


「それじゃ、今日もお願いするね」


 ――それでも、少しずつ寄る年波には勝てなくなっているのもまた本当のことで。

 ほんの一年ほど前に長い病で祖父が亡くなってからは青菜に塩を掛けたように大人しくなり、どこか気落ちしたような風情を見せてるのだ。半年ほど前に転倒して一週間ほど入院をしてからというものの、自宅でもベッドの上で過ごすことも多くなった。何の因果か同時に視力も落ちて、昔は忙しくても週に四冊くらいは読んでいたという小説を読むのすら今は億劫になってしまったようである。


 だからこそ、私が居る。私が来る。


「うん、今日は続き物のファンタジーを持ってきたよ。一押し! でね、これ元は少女小説として出たんだけど色々出版元を変えながら最近十八年ぶりに新刊が出てね――あぁ、でも『赤毛のアン』みたいな感じではないなぁ」


 いたずらっぽく前口上を謳えば、我がことのように「それは嬉しいねぇ」と目を細めて微笑んだ。

 その様子が可愛らしくて、そして優しくて。思わず顔を綻ばせてページを開いた。もちろん持ってきた本は件のシリーズの一巻である。


 そう、私がしているのは小説の朗読、だった。




   * * *




 事の始まりは半年の前のこの祖母の入院か、あるいは三年前、まだ中学生だったクリスマスに母に連れられてやらされた地域の子供相手の朗読会か。もしかしたら、もっと幼い頃にしてもらった母や祖母にしてもらった読み聞かせかもしれない。

 いずれにしても、直接の切っ掛けは彼女が倒れたことだった。

 



   * * *




 全くの寝耳に水だった。程よく集中の高まる三限の授業中、教室の後ろからそっと入ってきた担任が授業をしている先生に耳打ちをし、私を呼び出して「御婆様が倒れた」と告げたのだ。

 聞いてから数拍は内容が分からず立ち尽くしたし、言葉の意味を飲み込んでからは制止も脳裏に掠めた手続きも振り払って病院に駆け出した。とはいえ、学校からはちょっとした小言を貰っただけでお咎めはなかったが。

 走りながらスマホで家族用に作ってあるグループチャットを開く。案の定何号室に居るかが書いてあった。私のそそっかしさを見通してか、窓口での手続きを飛ばさないようにというメッセージ付きで。

 その文を見て少し心を落ち着かせ、大急ぎだったからか十分ほどで掛かりつけの病院に辿り着いた。この街で運び込まれるような病院といえばここしかない。息が切れているのもそのまま、窓口に向かえば私が何も言わないうちに「奏ちゃん」と声を掛けてきて、親戚の事務のお姉さんが受付札を渡してくれた。


「大丈夫だから、人とぶつからないようにね。部屋番号は分かる?」

「――っはい、分かってます」


 言いながらスマホを持ち上げると「あぁ」と首肯される。もう一度「走らないでね」と念を押されて、お礼もそこそこに人通りの多いエントランスを早足で抜けた。


「おばあちゃん!?」


 いくつか棟を渡り、階段を上がって部屋に入ってまず目に入ったのは白だった。

 白いシーツと、それと同じ位白く感じる祖母の顔。ベッドの脇の椅子に座ったスーツ姿の母が私に気付き、「しー」と指を立てた。


「静かに。ただ寝てるだけだから」

「でもっ」

「でも、じゃない。術中でもないし、面会謝絶じゃないってことからも分かるでしょ」

「……」


 そこまで言われてやっと茹だった思考が落ち着いた。「……うん」と小さく首肯して、タイを整えつつ緩めながら母の横に座る。


「それで、なんでおばあちゃんはこうなったの?」

「……あなた、先生に何も聞いてないの?」

「うん、倒れたって聞いてそのまま走ってきたから……」


 頭が痛い、とでも言わんばかりに手の甲を額に当てる母。「あとで連絡しないと」と零しながら溜め息をつく。


「ご、ごめんなさい」

「……いや、まぁ怒るに怒れることではないから。そういうところは、奏らしい美点でもあるのだし」


 流石に迷惑を掛けた自覚から謝れば、褒めるとは形容しがたい語調で許された。


「家の階段から落ちたのよ。それで足と頭を強く打ったんだけど、どちらも大きな問題はないって。足は折れたけど安静にしてさえいれば十分治るし、頭も今のところ大丈夫。現場には何冊も本が散らばっていたそうだし、運ぼうとして足を滑らしたんでしょうって、救急の方が。問題は加齢による筋力の低下でしょうねって」

「…………。そ、っか……」


 消沈しながら頷く。それから、二人してぼんやりとおばあちゃんの顔を見つめていた。


「――ぅ……」


 微妙な空気の二人の間に通ったのは、小さな声。


「――――!」

「おばあちゃん!」 


 弾かれたように声を上げれば、祖母は一拍厳しい表情をして瞼を上げた。そのままゆるゆるとこちらに顔を向ける。


「華、奏……?」


 母と私の名を呼ぶ彼女。動き出そうとして辛そうに顔を歪めた。


「母さん、無理に動かないで。階段から落ちたのよ、大丈夫? 覚えてる?」


 慌てて諌める母。それを見てようやく気付いた。母も年の功で取り繕っていたいただけで、心配でたまらないのだ。実の子なのである。当然、心配でない訳がない。だからこそ、仕事中だと言うのにいの一番に駆けつけたのだ。


「――覚えてるわ。二階に本を運ぼうとして、階段で足を踏み外して――。…………迷惑を掛けたねぇ」


 寝心地が悪いのか、しきりに体を揺らす祖母。そんな彼女を見て、母と目配せし二人がかりで腕を差し込んで整える。


「そんなことないよ」


 服の背中側を伸ばしながら即座に答える。


「でも、仕事中で、学校もあっただろう?」


 ベッド脇のボードの上のデジタル時計を見ながら言う。


「大丈夫よ、これくらい」

「そうそう、いつもの積み重ねがあるし」


 少しのずるさに冗談めかして舌を出せば、しのも楽しげに小さく笑った。


「――ばあちゃん?」


 そこに顔を出した青年が一人。

 宇山日向、私の従兄弟だった。一昨年の大学進学と同時に祖母の家に同居している。膨らんだ鞄はきっと家から持ち出した入院に必要なあれこれだろう。


「日向くん」


 私が名を呼べば、会釈しながら病室に入ってくる。


「大丈夫……そうだね。良かった」


 朗らかに声を掛ける彼は、小綺麗な白いシャツとチノパンという出で立ちだった。胸を撫で下ろすかのように息をつき、ベッドの向こう側に歩いていく。


「ほんとに悪いねぇ日向。ありがとう」

「なんもだよ、ばあちゃん。はい、これ着替え」

「あ、そこの棚に入れておいて。ありがとね」

「分かりました、華さん」


 鞄から出した服を詰め直していく彼。それが終わるのを待って声を掛けた。


「日向くん、大学は?」

「んー? 今の時間はもともとコマはないから大丈夫」


 そんなことより、と続ける。


「で、ばあちゃん。なにがあったの」

「あー、本を八冊ばかり二階にあげようとしてね、それで――」

「――無理して落ちた、とか?」

「はい」

「はいじゃなくて。無茶しないでよ、ばあちゃん」

「……ほんとごめんねぇ」


 しおしおと答える彼女に「そうじゃなくて、怒りたいんじゃなくて。……心配、なんだよ」と口籠る彼。

 しんみりとした空気を壊すように、母が手を叩いた。


「はい、この話はこれで終わり! で、母さんは欲しい物はある? 食べ物も飲み物も特に制限はないから、何かあるなら買ってくるよ」


 言いながら「とりあえずこれ」とハンドバッグの横に置いてあったポリ袋からペットボトルのお茶を手渡す。それを「特にないわねぇ」と思案しながら祖母は受け取った。


「そう、なにかあったら連絡して。ちょっとしたことでもね」


 ベッドサイドのスマホを指差しながら自分のバッグを取り上げる母さん。肩に掛けながら「じゃ、私は戻るから」と言いおいて病室を後にした。


「……ばあちゃん。俺も次の講義が入ってるから、行くよ。……無理はしないでよ、絶対」


 そう告げて彼女の手を取り、軽くハグをして日向くんも出ていった。


 取り残された私はぼんやり母の指差したスマホを眺めていた。そういえばこの歳でこういうものを普通に使えるのもすごいよなぁなどとつらつら思いながら。


 そんな漫然とした思考を崩すように声を掛けられる。合わせた視線はひたすら真摯だ。


「奏。……心配、掛けたねぇ……」

「ううん、全然。本当に大丈夫だよ」


 でも、と続ける。


「やっぱり、心配だから。だから、無理は、しないでね」


 結局、涙声だ。祖母に体を寄せて、皺だらけの白い手を握る。そんな私の背を、彼女は空いた片方の手でずっと撫でていた。



 空いた窓からは来る盛夏を思わせる燦々とした光と、濃い青を孕む温い風が吹き込んでいた。




   * * *




「あ、カナちゃん。終わったんだ」

「うん。楽しんでもらえたよ。……たぶん」


 一時間と少しばかりの祖母への朗読を終えて階下に降りると、どこかふわりと良い匂いの漂うリビングで文庫本を開いていた従兄弟に尋ねられた。何を読んでいるのだろうと目を凝らすが、残念ながらその手元の本にはお手製のブックカバーカバーが掛かっていて分からない。代わりにその脇には殆ど空になったティーカップが置かれているのが見えた。

 興味本位の視線を切って自信なく答えれば、「たぶんってなにさ、きっと大丈夫だよ」と頬を緩ませて励まされる。俯きがちにも「うん」と頷きながらソファに近づいて下ろしてきたハンドバッグをテーブルに置くと、それと入れ替わりのように立ち上がって「何を飲みたい?」と訊かれた。思案している間に彼は冷蔵庫から何やら取り出している。結局は漂う匂いのものと同じものにした。


「じゃあ紅茶、甘くないやつ。喉疲れちゃった」

「はいはい。――っん、とりあえず先にこれどうぞ」


 電気ケトルをつけてから、軽やかな音を鳴らして冷たい麦茶の入った小さなグラスを渡される。受け取って「ありがと」とお礼を言えば、「どういたしまして」と軽く芝居がかった返事をされた。それに揶揄の空気を感じて小突く素振りを見せれば、猫のように目を細めてキッチンの奥の方に逃げていく。

 定位置のキッチンの遠い側のソファに腰を落ち着ける。瞼を下ろして一息に呷り、鼻に抜ける香ばしさを楽しんだ。嚥下した状態のまま少し目を休めると、まもなく正面に気配が近づきのを感じてゆっくりと目を開けた。


「どうぞ、お嬢様」

「お嬢様って、ずいぶん引っ張るね? 日向くん」


 だって、このセットじゃねぇ……と、含むように笑いながらカタリと硬質な音を響かせて白の陶器のソーサーとカップを並べる彼。透明なガラスポットもそうだけど、どの茶器もこの家の雰囲気に合う上品で控えめな美しさを持っていて、見ているだけでも楽しい。

 そのまま流れるようにポットから煌めく赤い液体が注がれる。湯気と一緒にくゆる薫りはなんとも芳しく、甘やかだ。


「それで、今日は何を読んだの?」


 返したグラスを受け取りながら私の物言いをさらりと流して聞いてくる彼がちょっとだけ腹立たしい。とはいえそれもこちらを見遣る朗らかな顔を見れば、あっさりと雲散霧消してしまうようなものではあるけれど。


「ほら最近新刊の出た――」

「あぁ、それね。……あれを選ぶカナちゃんも凄いし、でもそれを楽しめそうなばあちゃんはもっと凄いな」

「む、悪かった?」


 言いながら手にとった本を下げて唇を尖らせると、落ち着いた様子のまま「そうじゃなくて」と微笑みながら返される。


「うちのばあちゃんが凄いって話。良いセレクトだと思うよ」

「……なら、いいけど」


 やっぱり、この笑顔には弱い。「ずるいなぁ」と独りごちて頃合いの温度に落ち着いたカップを傾ければ、ひときわ強い薫りが口いっぱいに広がった。その色づいてすらいるように思える香気を、そっと吐き出す。


「ん、美味しい」

「そう? 良かったー……」


 ふぅと息をつく日向くん。その様子が妙に可笑しくて笑いを零せば、「何?」と怪訝そうに尋ねられた。


「ううん、なんでもない。強いて言うならなんか私達がそっくりだなーてお話」

「なにそれ」


 リクエスト通りのものを持ってきて、でもそれが合うかは自信がないってことだ。

 ――とは口に出さず、そっと件の本を手にとって撫でる。

 このシリーズだっておばあちゃんに「奏が好きなお話を」って言われたから持ってきたのだ。もちろん、この人なら楽しんでもらえるだろうという計算はあるにはあったけど、それよりも「楽しんでもらいたい」と思ったからこそ選んだものだったのだ。

 まぁ、実際楽しんでもらえたのだろう。祖母は終始私の思った通りに息を飲んだり、笑ったり、安堵したりなどの反応をしてくれたし、読み終わってから「次が待ち遠しいねぇ」なんて、それこそ少女じみた様子で漏らしたのだから。


 それきり、なんとなく音は絶えて。紅茶の薫りと、奥に掛けられてる立派な古時計が刻む秒針の音だけでリビングは満たされた。

 小さくかぶりを振って撫でていた本をしまい、古時計の横にある書架から洋書を一冊引き抜き、座り直してそのまま読み始める。ちらと一瞥すれば、彼も向かい側に座って新しい一杯と共に続きを読んでいるようだった。


 ……小一時間もなかっただろうか。紅茶をお代わりしようかとポッドを見遣り、ふと顔を上げると同時に先程から秒針の音を響かせていた壁時計がタイミングよく正午を知らせる重低音を鳴らした。ぱさり、と向かい側から本を閉じる軽い音も聞こえる。


「――良い時間だし、お昼にしよっか」




   * * *




 お昼は漁師風のスープトマトパスタだった。「手抜きだけどね」と彼は苦笑するけど、普通市販のパスタソースをベースにフライパンでこちゃこちゃしたら十分手が掛かってると言うと思う。そうして「一家に一人日向くん」としょうもない言葉が頭に浮かんだのをさっさと振り払った。


「うーん、お腹いっぱい……」

「あはは、意外と食べたよね」


 レモンの浮いたアイスティーを置きながら笑みを零される。瀟洒な灯りの光を受けるグラスは透かされた紅色が綺麗だ。


「うん、美味しかった。ご馳走様です」

「いーえ、お粗末様です」


 いそいそと食後の紅茶を啜って一息つく。


「んん? なにこれ、フルーツティー?」

「うん、なんちゃってだけどね。残ってた紅茶がもったいなくて、でも濃くて渋かったから。そこの缶詰開けてシロップ垂らして、レモン入れてお水で割ったんだよ」


 言われて指さされたほうを見れば開けられた桃缶があった。


「で、これがデザート」

「うわぁぁぁん、日向くんが肥えさせようとするぅぅ」

「肥えさすって言い方……」


 仰け反って慄く彼を尻目に、皿に乗ったひんやりとした様子の白桃を恨めしげに睨む。糖蜜で艶々したその姿は見るからにカロリーの塊だ。


「うぅ、美味しい……」


 結局食べてしまった。そうなのだ、この家で出るものが生半可なもののはずがなく、この桃だってお歳暮で頂いたお遣い物の缶詰でとても美味しかった。


「やっぱり缶詰でも値段が違えば味もだいぶ違うなぁ」


 そう漏らして手にとった空き缶をしげしげと確かめる彼の所帯じみた様子は、なんとも面白い。


「何?」

「ううん、なんでも」

「そればっかりだね?」

「そんなことない」


 言いながらダイニングテーブルもすっかり綺麗にして、備え付けの食洗機に食器を持っていく。彼が残りを引き継いでる間に、私は手洗いに席を外した。




   * * *




 リビングに戻るとお昼まで読んでいた本の横に、湯気を上げるコーヒーカップが置かれていた。なにからなにまで至れり尽くせりだ。


「やっぱり一家に一人日向くん……」

「なにそれ!?」


 うっかり思考そのままに言葉を漏らせば、先程を大きく上回る勢いで慄かれた。

 目の間の濃いめのコーヒーの入ったカップを傾けて「やっぱ苦い」と顔を顰めれば、間髪をいれず「これでしょ?」と小さなシュガーポットとミルクを出される。


「むぅぅぅ、おこちゃま扱い……」

「なんだ、それ」


 くすりと笑みを落として彼も向かい側に座る。不満ながらもそれを見届けて、自分も読みかけの本を開いた。

 再びの、穏やかな時間。

 コーヒーの香るリビングには潜めたような息遣いと紙を捲くる音ばかりが目立つ。その密やかさに目を細めて向かい側を眺めれば、同じように視線を巡らせていた正面の彼と目が合った。キッチン側の二人がけのソファに浅く腰掛けた従兄弟に、ふと悪戯心が湧く。

 読みかけのページに人差し指を挟んで本を閉じ、反対の手でカップを持って立ち上がる。そうして座る場所を移し、隣に座って彼の読んでいる本を覗き込めば、頬に一刷毛の朱が掛かったのを見逃さなかった。


「よしよし」

「……よしよしって?」

「なんでもないでーす」


 手に持った文庫本で顔を隠しながら小さく困惑する彼を横目に、一人笑みを零した。仄かに感じる隣の体温を嬉しく思いながら、もう一度本を開く。横で吐かれた息が嫌そうではないと感じるのはいささかに楽観的だろうか。横目に見えるちょっと落ち着きのない様子に得意になりながら、それでも和やかに時間は過ぎていく。


 こうして、週末、二人の時間は楽しく過ぎていくのだ。














 おまけ


「ところでばあちゃん」

「なんだい? 日向」

「なんでカナちゃんに朗読させて自分では読まないの? 眼鏡かければ読めるでしょ?」

「それをやっちゃたら可愛い孫との接点がなくなるじゃないか」

 なによりあの子の声は聞いてて気持ちが良いしねぇ、と大真面目な顔をして言うが、その瞳の奥の光は胡散臭い。声が良い、という点には同意しながらも疑いを返した。

「……ほんとにそれだけ?」

「あらま、皆まで言っていいのかい? そりゃ孫二人が可愛らしい様になってるんだもの、老婆心で――」

「わぁーわーー!! っっそそそそそれはなし! ごめんなさい!!!」



お読み頂き、ありがとうございます。

参加企画に合わせまして表現の簡素化と主題の単一化で三分の一ほどに文量を圧縮したものもございますので、よろしければお楽しみくださいませ。(念の為頭のhは外してあります)

ttps://note.com/ayafumibun/n/n8085923b6418

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 二人のことを扉の隙間からそっと覗いてますよね>お祖母ちゃん、、、気になるの意味が違うか(^^; [一言] 暖かいゆっくりした時間が流れているのを感じました。とくに意識せずページを捲る音…
2020/01/13 17:38 ペンネ@茹ですぎ
[良い点] とても暖かくて可愛らしくて読んでいて幸せな気持ちになれめした。 [一言] なんて暖かい物語なんだろう。 優しく孫を見守りそっと助けるお祖母さん、可愛らしい奏ちゃん、理想の男の子を形にしたよ…
[一言] 良き……
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