第52話 氷の令嬢と夕焼け空の下で
ウキウキルンルンといった様子の日菜美に連れて行かれたのは、見るからに怪しい寂れた廃病院だった。
もちろん、本当の病院ではなく、あくまで遊園地内の一施設であることは分かっている。
ただ、外装があまりにも作り込まれていて、冬の寒さと合わさることで不穏な空気を存分に漂わせていた。
「絶叫系ってそういうことね……」
「冬と言えば、そう! お化け屋敷!」
「聞いたことねえよ。夏だろそれ」
何でも、このアトラクションは二名一組で行動するらしい。
病院内は暗いために、懐中電灯を持っていくよう勧められた。
そして、どうしてもギブアップしたい方は各所にある非常口からと。
白衣を着た受付嬢からストーリーを含め、様々な注意事項を聞き終えた時には既に千昭と日菜美の姿はなく、隣で冬華が小さく震えていた。
「……朝陽くん、非常口はどこですか」
「おいおい、まだ一メートルも進んでないぞ……」
「だって、そこの角に絶対お化けいますよ!」
「まだ序盤も序盤だし大丈夫だって」
「もし、いたらどうするんですか!」
「どうするって……いたとしても実害ないから」
「そ、そんな現実的な話じゃないんですって!」
かれこれ十分はこうして、冬華は入口付近から動くことを躊躇っている。
珍しく言葉を強めて抵抗する姿は子供っぽく、喋る内容も随分幼くなっていた。
(そういや、冬華はこういうの苦手だったな……)
あれはいつの事だったか、冗談で言った幽霊の存在に本気で怯えていた冬華の姿が頭に浮かぶ。
学年一の才女ならば、そういったオカルトの類は否定しそうなものだが、どうやら怖いものは怖いらしい。
それは人工的なアトラクションでも同じようで、本気で怖がっているのがよく分かった。
「もう少しだけ、心の準備ができるまで待ってくれませんか」
「まあ、それくらいは全然良いけど……何なら、今から入口に戻るか?」
「……いえ、最初のステージくらいは頑張ります」
ここは、最初からギブアップするのではなく、勇気を振り絞って挑戦することを選んだ冬華を褒めるべきなのだろう。
ただ、どうしても後発のお客さんが――数人には既に抜かされた――待っているため、そろそろスタート地点から進む必要があるのも事実だ。
どうにか冬華の恐怖心を和らげることはできないか。
そう考えて、朝陽は父親の大きな背中を思い出す。
「冬華、ここ掴め」
「えっ……?」
「ほんの気晴らしだけど、何もないよりマシだろ」
「……ありがとうございます」
朝陽の洋服を後ろから冬華が控えめに掴む。
少々歩きづらいというデメリットはあるが、近くに人がいる、何か掴むものがある、というのは心理的に大きな安心感を生むはずだ。
「行けそうか?」
「……はい。大分落ち着きました」
「じゃあ、進むからな。しっかり掴んどけよ」
返事はなかったが、代わりにギュッと強い力が背中越しに加わった。
それを肯定と受け取った朝陽は懐中電灯をしっかりと片手に持ち、前方を照らしながらゆっくりと進む。
時々、後ろを振り返って冬華の様子を確認することも忘れない。
やはりまだ恐怖心が拭えないのか、薄っすらとしか目が開いていなかったが、先程に比べれば大分進歩した方だろう。
「今のところ、何も起きないな」
「……できれば、このまま終わってほしいです」
「案外そういうオチもあったりして」
もちろん、お化け屋敷で何も起こらないわけがない。
こうやって安心させておいて、いきなり驚かせるというのは常套手段だ。
それは、朝陽も重々承知しているが、冬華を怖がらせるだけなので黙っておく。
そうして、二人がようやく最初の長い直線通路を通り抜け、一つ目の角を曲がった時の事だった。
奇しくも、その場所は冬華が怪しんでいたポイント。
「うぁぁあああああああああああああああ」
血まみれの手術服を着た男が突如現れ、不気味なうめき声をあげる。
その大迫力の演技を目の前にして、薄暗い病棟に可愛らしい悲鳴が響き渡った。
「もう閉園まで残り十分か。時間的に遊べるのは後一つだな」
千昭が時計を見て、そう呟いた頃には日が沈みかけ、辺りはすっかりオレンジ色に染まっていた。
一月末ということで、昼と夜の境目は大分短い。
青と紫、そして橙が交じる幻想的な夕焼けも、数分経てば黒で塗りつぶされるだろう。
冷たい風が吹き込み、冷え込む時間帯の中。
かなり疲れている様子の二人が口を開く。
「……絶叫系はもう勘弁」
「……私も遠慮します」
前者は絶叫マシン、後者は絶叫施設に心身共に疲弊させられたため、もうほとんど体力は残っていなかった。
最後はコーヒーカップやメリーゴーランドなど、落ち着いたアトラクションに乗りたい。
そんな朝陽と冬華の思いが通じたのか、日菜美が満面の笑みで空を指差す。
その先に視線を向ければ、巨大な鋼鉄の花が七色の光を放っていた。
「やっぱ、最後は観覧車でしょ!」
この提案に三人は満場一致で頷いたのだが。
「……四人で乗れば良くね?」
「きっと、恋人同士で話したいこともあるんですよ」
「普段もイチャイチャ話してるだろうに……」
せっかく誘ってくれたので文句は全くないが、今日一日、冬華と二人でいる時間が多い気がする。
小さなゴンドラに四人は手狭だという考えもあったのだろうか。
いつの間にか、千昭と日菜美とは別のゴンドラに乗ることになっていた。
「それにしても、お化け屋敷は凄かったな」
「そうですね……思い出したくもありません」
「まさか、冬華があんな声を上げるとは……」
「なっ、わ、忘れてくださいって言ったじゃないですか!」
そう必死に懇願されても、第二ステージの途中から離脱した際の表情など忘れられるはずがない。
怖かった、とシンプルな感想と共に涙を浮かべる冬華はとても愛らしく、思わず手を伸ばして頭を撫でたくなった。
今も、羞恥心からか、頬を赤らめる冬華を素直に可愛いと思う気持ちが朝陽の中で疼いている。
ただ、そんな衝動を行動に移す度胸も勇気も資格も持ち合わせていない。
朝陽はまた、いつものように胸の騒めきとモヤモヤに自ら蓋をして、外の街並みを眺める友達に話しを振った。
「今日は楽しかったか?」
「それはもちろん。……最近は、朝陽くんのお陰で毎日がとても楽しいです」
「そりゃいい事だけど、俺のお陰ってのは言い過ぎだろ。遊園地だって日菜美の誘いだし」
「でも、相葉さんを紹介してくれたのは朝陽くんです」
「まあ、それはそうだけど……」
お陰、と言われるほど何かをした覚えはやっぱりない。
クリスマスの時も同じようなことを伝えられたし、千昭にも言われたことがあるが、結局それが何のことかは分からず終いだ。
せっかくだし今ここで聞いてみようかと、朝陽は思い至って。
真っ直ぐ顔を向けた先に、冬華が淡い微笑みを浮かべているのを見た。
その笑顔は短いようで長い付き合いの中で関係を深め、やがて当たり前のものになっていたはずなのに。
それなのに、何故か今日は目を奪われて離すことができなかった。
ゆっくりとゴンドラが頂上に向かう中で、一瞬の静寂が訪れる。
そして――
「私、朝陽くんに出会えて良かったです」
ポツリ、と呟かれた言葉は朝陽の思考を止めるには十分だった。
暫く沈黙の時間が続き、やがて冬華が照れくさそうに再び言葉を紡ぐ。
「来週、お母さんに会いに行くんです。その時、朝陽くんの話をしてもいいですか?」
「別にいいけど……俺の話なんてしても面白くないだろ」
「面白いですよ。それに、沢山話すこともありますし」
沈む太陽に照らされた冬華の話を聞きながら、朝陽はその曇りない笑顔をぼんやりと眺めた。
綺麗で、美しくて、やっぱり可愛い。
そうして、冬華へ抱く感情を言語化していく先で。
たった二文字の言葉が一瞬浮かんだ。
綺麗なオレンジ色に染まる夕焼け空の下で、二人を乗せたゴンドラが丁度真上に到達して――今度はゆっくりと下っていった。




