第101話 夏バテ
「海だあああああ!」
家族連れや学生で賑わうビーチで、ひと際目立つ毛むくじゃらの筋肉漢。
野太い声を発しながら和明が海水浴を楽しんでいる。
周囲への配慮はあるらしく、クロールやバタフライなどの激しい泳法ではなく、平泳ぎで優雅に泳いでいるようだ。
「もう少し声を押さえろって……」
朝陽が呆れて呟くと、冬華は隣でくすっと笑った。
「元気でいいと思うよ」
「元気すぎるんだよ、あの人は」
一足先に海で遊んでいる父親の姿を眺めながら、朝陽と冬華はビーチパラソルの下で涼んでいた。
海に来たのはいいが、まだ炎天下に身体を晒す準備はできていない。
「眩しっ……」
手のひらを顔の前にかざして、朝陽は薄眼で空を見上げる。
海よりも広い青を独り占めしている太陽は、年々とその暑さを増しており、幅を利かせていた。
日傘やハンディファン、制汗スプレーなどの対策なしには日なたを歩くことすらままならず、こまめな水分補給や塩分チャージは必須となっている。
和明のような個として強い例外はさておき、人類は太陽との上手く付き合っていかねばならない。
「朝陽くん」
名前を呼ばれて振り返ると、冬華が心配そうにのぞき込んでいる。
「太陽、直接見ちゃダメだよ」
眉をハの字に潜める姿すら可愛らしくて、朝陽は空に掲げていた手を冬華の前に移動させた。
「……眩しっ」
「大丈夫? 目、チカチカする?」
冗談が通じず、余計に心配させてしまったらしく、朝陽は苦笑する。
「大丈夫。冬華も熱中症とか気を付けてね」
「うん。ちゃんと対策してるよ」
ほら、と冬華は持参したトートバックから麦わら帽子を取り出した。
小さな頭をすっぽりと覆う、つばが広い麦わら帽子は、ワンピース型の水着と相まってよく似合っている。
これなら太陽の光は遮れそうだが、海に潜む悪い視線はより集めてしまいそうだ。
上品に足を斜めに閉じて座る姿はさながら人魚のようで、帽子の陰から覗く端正な顔立ちを一目みたら、その後姿を目で追ってしまうこと間違いなしだろう。
「それから……」
そんな朝陽の複雑な感情を察したのか、冬華は再びトートバックを探り始めた。
「これ、どう?」
何かを手に取った冬華は一度、背を向けてから振り返る。
その美貌を遮るように、冬華はハート形のサングラスをつけていた。
「……ふっ」
「あっ、笑った!」
思わず吹き出してしまった朝陽を、冬華は口を膨らませて咎める。
「もー、似合わないからって笑うことないよ」
「ごめんごめん、めちゃくちゃ似合ってる……ただ」
冬華が振り返ったときの顔が、おもちゃを見せびらかす子供のように自慢げで、その無邪気さに笑ってしまったのだ。
ニヤリ、と新たなファッションをアピールする姿が面白おかしく、そして当然可愛らしく、しばらく朝陽はツボに入っていた。
「これは封印する」
「ごめんって」
拗ねてしまった冬華をなだめつつ、朝陽は再び海のほうを見る。
まだまだ日は高く、ギラギラと光を反射しているが、泳ぐ分には気持ちよさそうだ。
「そろそろ俺たちも海入る?」
朝陽が誘うと、冬華は首を横に振った。
「もうちょっと待って。まだ準備あるから……」
言いながら、冬華は三度トートバックを開く。
これ以上何を身に着けるのかと思いきや、冬華は日焼け止めを取り出した。
出かける前にも一度塗っておいたが、服を着ていた時と、水着を着ている時では肌の露出度が違う。
「うつ伏せになって」
そう言って、冬華はブルーシートを指さした。
「え、塗ってくれるの」
「うん。だって朝陽くん、身体固いでしょ」
言われるがまま身体を寝かせると、首筋が急に冷たくなる。
「……くっ……ゴホン」
図らずしも声が漏れてしまい、朝陽は照れ隠しに咳払いをした。
小さな手のひらに背中をゆっくりとなぞられて、ひんやりと気持ちの良い感覚と同時に、こそばゆい。
「朝陽くん、ちょっと恥ずかしがってる?」
「いや? 別に」
わざとらしい咳払いがバレたのか、冬華に見透かされてさらに気恥ずかしい。
「背中ってこんなに固いんだね」
「まあ……運動してないから凝ってるのかも」
「そしたら今度、マッサージしてあげるね」
「ありがたいけど、できるの?」
「任せて、こんな感じで……」
腰のあたりに手が添えられ、すらりとした指先が朝陽の身体に押し込まれる。
「ぐぅ……」
意外にも力強い、それも良いところに力が加わり、朝陽は絞り出すように唸りを上げた。
「どう? 気持ちいい?」
「うん、いい感じ。どこか覚えたの? 大分うまいけど」
「小さい頃、お母さんによくマッサージしてたんだ」
「なるほどね、それは上達するわけだ」
うつ伏せなので顔は見えないが、冬華の声は柔らかく、しみじみと懐かしい思い出に触れていた。
「はい、後ろは終わり。次は仰向けになって?」
「いや、前は自分でやるよ……ありがと」
前側は自分で濡れるし、何より視線が気になってしまう。
どろりとぬめりが強い液体を手のひらに乗せると、ひんやり気持ちいい。
念には念をと、顔、首、腕、身体、足と上から下まで塗りたくっていく。
紫外線からしっかりと肌を守り、これでようやく太陽の下を歩く準備ができた。
「これ、ありがと。冬華も塗るよな」
容器を返そうと手を伸ばすと、冬華は不満げに口を尖らせた。
「朝陽くんは塗ってくれないの?」
「え? ……あー……なるほど」
ようやく朝陽が意味を理解すると、冬華はブルーシートの上にうつ伏せに寝そべった。
自分に塗ったときと同じように、手に日焼け止めをとって、手始めに冬華の首に触れる。
「んっ……」
優しく撫でるように、手のひら全体で冬華の肌をなぞっていく。
「……っ」
華奢な白い肌は陶器のようになめらかで、少し力を入れるだけで包まれるように柔らかい。
「あの……冬華さん。ちょっと声を我慢してもらえると」
「だって、くすぐったくて……あっ」
なぜか敬語になってしまった朝陽の内心などつゆ知らず、冬華は何度も声を漏らした。
「ふう……後は前かな」
邪念を振り払いながら背中側を塗り終えた朝陽が、冬華に仰向けになるよう促す。
すると冬華は体制を変えずに顔を突っ伏したまま、頭を振った。
「前は自分でやるね……塗ってくれてありがとう」
「そう? そしたら、はい」
日焼け止めのふたをいったん閉めて、冬華の隣に置く。
ゆっくりと身体を起こして、日焼け止めを手に取った冬華の顔は、深くかぶった麦わら帽に隠れてよく見えない。
ただ、急によそよそしく静かになった冬華を見て、大体の心情は察せられた。
「そっちも恥ずかしいんかい」
「うー……だって……」
もじもじと何か言いたげに、手早く日焼け止めを塗る姿に、朝陽は口角が上がる。
真夏の太陽よりも、彼女の可愛らしさに身体が熱くなり、倒れてしまわないように、朝陽は深呼吸をして砂浜を踏み出した。
初投稿から7年、前回の投稿から3年経っているようです。
小学生だった読者は中学生に、
中学生だった読者は高校生に、
高校生だった読者は大学生に、
大学生だった読者は社会人に、
社会人だった読者は社会人のままのはず……?
投稿間隔が空きすぎて申し訳ないのですが、以前読んでくださっていた読者の皆様が、また読みに来てくれていたら嬉しいです。




