01 昼下がり
曇天の昼下り、商業区の街角に小さな喫茶店───美鈴がある。
店主は摩訶不思議な義眼を持っており、何でも見ただけで料理の美味しさがわかるという。彼の作る料理はいつも格別だとある女が言っていた。
その女はいつも角の席で新聞を読んでいるそうなのだが、今日は生憎その姿を見ることはない。
「この二日は休日にしましょう。最後にこの街を楽しむことね」
ふと、その女に昨日言われたことを思い出す男───グレアス・ヴァレンタインはチェダーチーズを一口食べた。
昨日、酒場で貰った緑のバンダナを右腕に巻き、腰に二本の短剣を持つ彼は、体格が人一倍大きい。それもあってか、この喫茶店から少し浮いていた。用がないとこの店に入らなかっただろう。メニューの値段はグレアスにとっては少々割高に感じるのである。
「……遅いな」
外の景色を見ながらグレアスは呟いた。
窓から見るに、外は騒がしいと彼は思う。
街の大半を占める工業区では造船と鉄鋼が盛んで、日中は奴隷達がうろめいている。灰色の街の代名詞となっている。それは治安の良いこの区画でも変わらない。街は光を無くし、どこに行こうとも人、人、人と見るに堪えない有様だ。
向かい側に聳え立つ大きな建物は歌劇が公開されている。きっと人気なのだろう。
まるでゴミか何かのように群がる列を見て、故郷の村の方がまだ穏やかだったと思う。
グレアスから見れば人々の服装がみんな同じように見える。
皆が皆、茶色に灰色に青色と、落ち着いた色のコートを羽織っている。
唯一の違いといえば帽子の有無や種類、細かなアクセサリーや装備品でろう。
あの女ならきっとこう推理するだろう。
───何も被っておらず大剣を持っている男は狩りに勤しむのは冒険者。
───柔らかい素材の外套に、十字架のペンダントを持つ者は聖職者。
───金属で出来たヘルメットを被るのがこの街の騎士や警官。
───シルクハットや小洒落た帽子を持つのが貴族や商人である。
「でもね、魔術師は姿を消すのが得意なの」
不意にあの女の言葉が思い浮かんだ。
魔術師だけは特定できない。
彼らは魔術師である事をプライドに持っておきながら、コソコソ隠れて生きている。
教会は数年前に魔術師の存在を公に”ヒトとして”認めたが、迫害の歴史が消滅するはずがない。
木の扉が開き、鐘が───カランカランと音を鳴らす。
「いつもの、それからショートブレッドを一つ」
「はいよ」
目当ての女が店に入ってきたのだ。
街で買った新聞を片手に持つ女。曇り空だというのに小さな日傘を手にっている。
黒い外套を脱いで見えたのは桃色のドレスだ。側から見れば幼い貴婦人にも見える。
彼女の顔はお日様のように明るく、唇にまで赤く染めている。まるで彫刻のように感じる。
ここまで変身すればロドラーク侯爵の孫娘である事も納得がいくとグレアスは考える。家出娘である彼女は、普段からドレス姿を見せないので尚更だった。
全てを吸い込むような黒髪を腰まで長く伸ばし、くっきりとした目元と小さな鼻筋は、この街の人間とは一風変わって東洋系の顔付。
彼女の名はミラ・ロドラーク。魔性の女であり、グレアスの冒険仲間である。身長と幼い顔付きから十五歳に思えるが実際の年齢は二十歳に近い。
ミラはグレアスに気付き何の躊躇もなく近付いてきた。
「休日の取り消しに来たの?」
「違えよ。なんとなく来ただけだ」
「あら、そう」
嫌がるそぶりを見せずグレアスの目の前の席に座るミラ。
ミラは新聞を広げた。今日の一面記事は猟奇殺人と麻薬の特集。猟奇殺人はここ数日騒がせているニュースで、ミラもそちらの記事を真剣に読んでいる。子どもにあげればミルクをよく飲む薬という、意味がわからない記事よりは断然興味を唆られる。
「何読んでんだ?」
「猟奇殺人の続報よ」
「あーあれか、確か奴隷や商人たちが相次いで変死体となって発見されてる奴」
「ええ」
グレアスは葡萄酒を飲んで、チーズを齧り付いた。美味しげに食う様子にミラは悪態をこっそりと呟いた。
「チーズなんて誰が好きになるのかしら」
「そうか?俺はこの店のチーズ好きだぜ」
「……あなた、前に嫌いって言わなかった?」
「そんなこと言ってないぜ」
「ふーん。てかどこが美味しいのよ。それ」
「んー……風味とか」
こういう捻くれたとこは令嬢とは思えないとグレアスは思う。
久しぶりに実家に帰って、お粧しをしても根は変わらないものだと、ぼんやり思考するグレアスに、ミラは更に悪態を重ねる。
「にしても、昼間から葡萄酒だなんていい御身分だこと」
「うるさい……俺は専ら外で飲むのが好きなだけだ」
グレアスがそう言うと、ミラは新聞を退かし、グレアスの目を見て微笑みながら言い切る。
「あらかわいい」
「……ぶっ」
予想にもしない言葉グレアスは吹き出しそうになった。
普段よりも可愛い姿にグレアスは圧倒され、頬が釣り上がりそうになった。
至って真面目を装いグレアスは返答する。
「その格好でそういうこと言うな」
街中のミラはグレアスの事を年下扱いで見てくることが多い。
今は戦場と違い余裕があってかミラの調子は凄く良い。
もしもミラが戦闘員で、魔術を公に使えるのであればこの街一番の戦力になるのにとグレアスは妄想した。
「ミラが戦えたらいいのにな」
つい口を滑らせてしまうグレアス。
「私だって戦うわ」
「じゃなくてこう、目立って戦うってこと」
「別にいいじゃない。戦場において指定された魔物を討伐すればお金になる。戦うって過程より結果が大事なの。それが私のやり方」
世知辛いだと俺は思うが、ミラにとってはそうでもないらしい。
魔術師はただでさえ悪目立ちする。何かあれば魔女狩りのような事が起きる。国に認められたと言ってもあまり公にはしたがらない。
「お待ちどう」
「ありがと」
ミラの目の前に紅茶と焼き菓子のセットが置かれていく。紅茶はティーカップだけでなく、ティーポットごと付いてくるのは、この街では当たり前らしい。
ショートブレットと呼ばれる焼き菓子は長方形の形をしており、ふんわり柔らかい生地に穴が10個ほど空いている。
数個食うだけで、腹がそこそこ満たされるお菓子だが、ミラの前に出されたのは軽食と言えず、少なくとも二十個程はあった。それを一人で食べるらしく、ミラは紅茶を一口飲んでは焼き菓子を口に入れる。
ほっぺが蕩ける程の旨さだったのだろう。ミラは少し顔が緩み始める。食べる度に段々と笑顔が隠せなくなっているのが、グレアスにはよくわかる。
食事中は決して話してをしてはいけない。
食事中に話しかけられるのを凄く嫌うのだ。食事は静かに味わって食べるのがミラ流である。
半分食べ終わる頃には、紅茶の入ったカップは空になっていたようだ。
すぐさまティーポットから、湯気の立つ濃い橙色の液体をカップに注いでは、また食べ始める。
イングリッシュ・ブレックファスト・ティーと呼ばれるその紅茶はこの国の伝統的なブレンドティーで、茶葉が細かく渋みの強いのが特徴だとミラは昔、語っていた。
朝食で無くてもミラはよくこのブレンドティーを飲む。それもたっぷりとミルクと砂糖を入れるのが淑女ミラ・ロドラークの飲み方である。
食事を堪能する約十分間、無言だった。
ミラが焼き菓子を完食すると、新聞を開き直しさっきとは別のページを少し見る。
記事には時間の感覚を鈍らせる麻薬が流行しているというもので、安易に口に含んではいけないと注意書きが知るされている。
興味のない記事を読みながら、ミラはグレアスに質問をした。
「それで私に話があるからここに来たんじゃないの?」
「……あ」
そうだそうだ。俺は何の為にここにきたのだろうか。
グレアスが我に帰り、自分の目的を思い出した。咳払いを一つし、本題に入る。
「頼みたいことがあるんだ」
そう切り出してグレアスは自分の起きた事の顛末をミラに話しだす。それはたわいない小さな出来事からはじまったと語り出す。




