2話
「そういえばここってどこなんだ?」
俺が名前を忘れているという地雷を踏んでしまったことを気にしてしまっているのか、セナは少しバツの悪そうな顔をしている。
セナの屋敷に行く道中無言というのもなんだかあれなので質問を投げかけることにした。
「へ?ああ、ここはアルニアっていう漁業と交易が主流の港町よ。私はここの領主の娘なの。」
「へえ、セナってお偉いさんとこの娘だったのか」
「む、なんだか鼻に触る言い方ね」
「気に障ったならあやまるよ、ごめん」
腹が減っているせいか少し苛立っているのかもしれない、無意識に毒づいてしまった自分が恨めしい。
自問自答しているとセナの方から視線を感じた。
「どうした。」
「いやー、なんとなく何処かであなたの顔を見た覚えがあるのよねぇ。どこだったかな?」
「本当か?どこかであったのか?俺はどこのだれなんだ!?」
セナの言葉に俺は激しく食いついた。
「ちょっと待って!そんなこと言っても簡単には思い出せないよ。それに思い出したとしても、それがあなただって確証も持てないし。」
確かにセナの言うとおりだ。
焦ったってなにか思い出せるわけじゃないし確証がない物なんで無いのと同じだ。
「・・・ごめん、取り乱した。そうだなぁ、まあ気長に思い出すよ」
「うんうん、私も何か思い出したら話すね?そうだ!」
セナが唐突に声を張り上げた。
「なんだ?何か思い出したのか?!」
「いや違うの。私の家でご飯を食べた後港町に行ってみない?何か思い出すかもしれないし」
思い出せたわけではないのか。確かに町に行ってみるのもいいかも。確証は無いにしてもセナが俺のことを見たことあるかもしれないということは、俺は一度この町に来たことがあるのかもしれない。
藁をもつかむ思いだ。
「むしろ連れて行ってくれると助かる。」
「あら、言葉がなっていないのではなくて?」
「・・・私めを、あなた様の父上の領地であるアルニアに連れて行っていただけないでしょうか?お願いしますセナお嬢様。」
「よろしい。」
そういうとセナは屈託のない笑みを浮かべながら歩みを進めていく。
どうやら機嫌取りは成功したようだ。このお嬢様もしかするとサド気質なのかもしれない。
「あ、そろそろ着くわよ」
どうやら世間話をしている内に林を抜けるようだ、やっと飯にありつける。
正直セナには申し訳ないが貰ったサンドイッチでは全然足りなかった。
お金なんか持っている訳もなく、セナが朝食に招待してくれなかったらどうなっていたか・・・本当に感謝してもしきれない。
林を抜けた先にはひと際大きな立派な屋敷がそこにあった。
芝生はしっかりと管理され、中庭には噴水まで設置されている。
俺とエナは整備された石畳の道を歩き、屋敷の門をくぐり中へと入っていった。
屋敷の外観もさることながら内部も中々に壮麗で管理が行き届いている。
「はえー、見事なご自宅で」
「ふふん、そうでしょ」
なぜか自慢げに鼻を掲げながらふんぞり返るセナを横目に、俺は屋敷の内部を見渡した。まず目に入ってきたのが壁に掛けられていた立派な髭を蓄えた男が描かれた肖像画だった。
「その人は私のお父さん。この港町の領主で今は王様に謁見するために王都に出向いているわ」
へえーそうなんだ、などと適当な相槌を打ちながらあたりを見渡していると
「おかえりなさいませ、セナ様」
不意に少し離れたところから声が聞こえた。
振り返ってみると階段を上がったところに使用人が立っており、その使用人は俺を見つけるや否や「失礼」と一礼しエナに近づき何やら俺に聞こえるか聞こえないか位の音量で話始めた。
どうしたらいいのかわからずその場に立ち尽くしていると、突然その使用人から「はぁーー」とひと際大きなため息が飛び出してきた。
「事情は分かりました。こちらへどうぞ」
そういうと使用人は俺にこちらに来るよう促し、歩き始めた。
セナは屈託のない笑みでガッツポーズを決めている。
どうやら話は一応纏まった様で俺は安堵し、促されるままにその使用人の後をついていく。長い廊下を歩き着いた先は10人ほどは座れるだろう長い机が置かれた一室だった。
「少々お待ちください。今食事をお持ち致しますので」
そういうと使用人は部屋を後にした。
気が付くとここにエナは居なく、俺は一人、部屋に残されていた。
することもないのでとりあえず椅子に腰かけ、これまでの出来事とこれからの事を整理することにした。俺はだれなのか。金もないのにこれからどうしようか。
そもそもなぜ俺は浜辺に流れ着いていたのだろうか。なんとなく船に乗っていたということは朧気ながら思い出せるがそれ以外のことが全然思い出せない。
激しく波に揺られ必死に船にしがみついていたことしか覚えていない。
そもそもなんで船に乗っていたんだろうか。
気が付くと結構な時間が経っていた。
なんてことを考えているとガチャッ、と部屋の扉が空く音が聞こえた。
扉の方を見るときれいなドレスに身を包んだ女性が立っていた、俺は咄嗟に直立してお辞儀をして見せた。その女性はこちらに近づいてきて俺の前に立ち止まり。「なんでいまさらお辞儀なんかしてるの?」と後頭部に言葉を投げかけてきた。
顔を上げるとそこに立っていたのはセナだった。
「あれ、セナなのか?」
「どういう意味よ」
「いやぁ、ごめん別の人が来たのかと勘違いしちまった。衣装が変わると外見もや印象も変わるもんだな」
と、動揺を隠しながら本音を表出させてしまった。
刹那足に激痛が走った。セナから蹴りが飛んできていた。
「っつううう!」
「まったくもう、素直に褒めなさいよ」
言いながら席に着くセナ。同時にまた扉が開き今度は食事が運ばれてきた。
「お待たせいたしました」
そういうと使用人は手慣れた手つきで料理をテーブルへと並べていく。
「申し訳ありません、急だったため賄い料理程度の物しか用意できませんでした」
そう言って出された料理はとてもじゃないけど賄い料理という枠を容易く凌駕している。これが賄いならセナは普段一体どんな生活をしているんだろうかと思いセナの居る方を見てみる。
セナは驚嘆していた。なるほどこれは普段以上なのか。
これを本当に食べていいものか自問自答し続けながらも、体は正直なもので両手は出された料理に一直線に向かい、口に放り込んだ。あとはもう食べ物を口に放り込むだけの傀儡にならざるを得なかった。うますぎた。うま
セナはセナで俺が食べ始めたのを見て我に返ったのか、一口、二口と出された料理を口に運び始めた。
腹が減っていたせいもあってか二人とも気が付くと無心になって出された食事にがっついていた。
「いい食べっぷりですね。そんなに美味しそうに食べてもらえると私も精魂込めて毒を盛った甲斐があります」
ブフォッ!
唐突なカミングアウトに俺は思わず口に含んでいたものを吹き出してしまった
「はあっ?!」
「ええ?!ちょ、なんでわけわかんないんだけど!」
「どんな動物の股から廃棄されたか分からない肥やしに与える食事なんかあるわけないじゃないですか」
清楚の塊のような外見をしている人の口からそんなドス黒い罵倒をされるとは微塵も思わず、俺はその場に頭を抱えてうずくまった。
なんで俺汚物呼ばわりされてんだ。
「いやいや私も思いっきり食べちゃってるんですけど!え死ぬの私まだ死にたくないんだけどおぉぉ、・・・は!吐き出せばいいのか!ちょっと貴方頭抱えてないで早く吐き出しなさい死ぬわよ!」
「そ、そうか!毒が回る前に吐き出そうそうしよう」
「ふふふ、嘘ですよ」
「へ?」「は?」
「毒なんて入ってませんから吐き出さないでください。仕事が増えてしまします。」
「なんでそんなウソを・・・」
「少し試させていただきました。お嬢様が連れてきたとはいえ、得体のしれない人をこの屋敷に滞在させ
とくわけにはいきませんから。でも安心しました。
こんなバカみたいな人間に刺客なんて勤まるわけないですね、失礼しました」
この使用人さんは淡々と口から猛毒を吐き出してくるな。
「それならそれで私にも一言言っておきなさいよ!本気にしちゃったじゃない」
「まさかお嬢様まであんなにがっつかれるとは思いもよらなかったもので」
それを聞いたセナは頭を抱え、今にも消えてしまいそうなか細い声を発ながら床に突っ伏して動かなくなってしまった。
「俺が無害だって信じてもらえた・・・のでしょうか?」
俺は恐る恐る聞いてみた。
「ええ、それで本当に貴方は記憶が無いのですね?」
「はい、まったくありません」
「そうですか、それではお金なんかも持ち合わせているわけありませんね」
「そう・・・ですね」
ん?なにか流れがおかしな方向に向かってないか?
「そういえばあの食材ってどこから仕入れてきたの?」
「ああ、それならお嬢様のお部屋を掃除しているときにクローゼットから出てきたのでそれを使って、買ってきました。」
「ふぁっ!」
「そういうことで貴方はお嬢様に借金ができたということになりますね。その辺の漁船に乗って稼いできてもいいですが~・・・どう致しましょうかお嬢様?」
その一言で今まで床に突っ伏していたお嬢様はゆらゆらと立ち上がり、
俯いたまま答えた。
「そうね、貸したお金は返してもらわないといけないわよね。」
一体どれほどの大金を使ってあの料理を作ったのだろうか。
気にはなったが今俺は口を開くどころか息をすることさえままならなかった。
手足がしびれて、全身から嫌な汗がドバドバ出てくる。
「貴方うちで働きなさい。なに悪いようにはしないわ、貸した分体で返してもらうだけだから」
一時でもセナのことを心の広いお嬢様などと評価した俺が間違っていた。
訂正しよう、このお嬢様は後先き考えずに突っ込む能天気なのだと。
そしてこの屋敷の本当の家主は・・・ここにいるメイドさんだ。
俺は全身から力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。