1話
早朝、私は屋敷を抜け出した。
先日の晩に雨が降っていたこともあってか草木が普段よりも一層青々としており窮屈な状況から抜け出した私の解放感をより昇華させ、周りに誰も居ないせいか普段なら絶対に人前ではしない鼻歌なんかを交えながら歩いていた。
林を抜けた先には海があり私はそこがお気に入りだった。
海辺には私を椅子に縛り付けようとする者なんかは居らず、たまに来るものといえば町に出入りする商船や漁船が少し遠いところに来る程度だ。
何より海の磯の香や波がさざめく音が好きだった。
連日の勉学漬けの生活に飽き飽きしていた私は屋敷を抜け出しては海に赴き憂さを晴らすのが日課になっていた。
「・・・まあ帰ったら結局怒られるんだけどね」
怒られるとわかっていながらも歩みを進めた。もう慣れたもんだ。
林を抜け今日もお気に入りの入り江に着いた私は、単調な鼻歌を口ずさみながら散策を続けた。
その時妙なものが目に入ってきた。
「何かが浜辺に落ちてる?」
気になった私は近づいてみることにした。
そこにあったのは人一人乗れる様な大きな木の板だった。
「昨日の雨でどこからか流れてきたのかな?風強かったし」
さらに近づいてみると板の陰に男の人が仰向けに倒れていた。
「大丈夫ですか!」
大丈夫なわけがないが、私は倒れているその人のそばに駆け寄り安否を確かめるため、肩を揺さぶりながら問いかけた。
「・・・うう」
「意識がある!よかった・・・大丈夫ですか?」
どこから来たかなど色々聞きたいことはあったが、とりあえず飲み込んで体を気遣うことにした。
帰って来た言葉は「腹減った」だった。
どこからか風に乗って鼻歌が聞こえて来て目が覚めた。
体を起こそうにも全然動かない。
全身がビショビショに濡れていることに気が付いたが、今自分が置かれている状況もわからず、意識が朦朧としていたこともあってか意識がどんどん深いところに落ちていく。
半身波に揺られているうちにまた意識が途絶えた。
その時「大丈夫ですか!」と甲高い声が沈んでいた意識を再び浮上させた。
意識が少し鮮明になってきた時に肩を揺さぶられ吐き気を催した。
「大丈夫ですか!」
とりあえず揺さぶるのをやめてほしい。・・・死ぬ。
「・・・うう」
うめき声を体の底から出すことに成功し、何とか揺さぶるのをやめてもらえたのも束の間、間髪入れずに「大丈夫ですか!痛いとこないですか!」質問攻めにあった。
自分は今どんな状況にあるのかわからないが、この質問攻めから逃げるべくとりあえず今目下にある問題を口に出すことにした。
「腹減った」
意識が鮮明になってきたこともあってか空腹と喉の渇きが体中に響き渡り、脊髄を通って脳に直訴状を叩きつけてくる。
「へ?・・・あ、ああそれならサンドイッチが、とその前に。よいしょ!」
女の人はそういうと俺を抱きかかえ、引きずりながら寄りかかれるとこまで引きずりながらも連れて行ってくれた。
「ゼエゼエ・・・どうぞ・・・」
「あ、ありがとう」
女性にこんなことまでさせてしまった罪悪感を感じつつ差し出してきたサンドイッチにかぶりついた、うまい!と思った時にはもう既に無く、手渡された分は食べ尽くしてしまっていた。
とりあえず動けるようにはなったので助けてくれた女性に向き直り、もう一度「ありがとう」とお礼を言った。
「いえいえいいですよ!そんなことより」
女性が何か言おうとすると、どこからともなくグゥーという音が聞こえてきた。
「ああ!これは違うんです何も食べずに来ここに来たものでその」
腹の音の主はこの人だったようだ。
「もしかしてさっきのサンドイッチ君の朝食だったの?」
「ええまあ・・・」
ばつが悪そうに俯く
「なんといっていいか、本当にありがとう。」
「仕方ないですよ、行き倒れている人を放っておくわけにはいきませんから!そんなことよりさっきのサンドイッチだけで足りましたか?」
正直全然足りていないが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思い
「何とか動ける分には」と言いながら立ち上がろうとするも、まだ体力が戻っていなかったのか立ち眩みを起こしてしまい、再び地面に突っ伏してしまう。
「まだ動いたらだめですよ!」
みっともなくなくうつ伏せに倒れてしまった俺を再び起こすのを手伝ってもらう。さすがに気恥ずかしくなりうなだれていると
「なんだったら私の家に来ますか?正直私もおなかが空いて仕方がないので」
最悪のタイミングで最高の言葉を投げつけられてしまい、気が付くと反射的に首を縦に振ってしまっていた。
「決まりですね!じゃあ行きましょうか!」
そういうと彼女は俺を立ち上がらせると肩を貸して歩き出した。
「何から何まで、ありがとう、えっと・・・」
「ああ、そういえば名前を言っていませんでしたね、私の名前はセナ、セナ・ティンダルって言います、あなたの名前は?」
「俺は・・・」
自分の名前を言おうとして気が付いた、「自分の名前がわからない」ということに。それどころかどこから来たのか、自分が何者なのか、ということすら。