そして、癒えない傷になる
二人だけを書きたかったのですごい駆け足で進む話です。
すべてはもう過去のこと。
世界観はふわっとしてます。ご了承のうえお読みいただければ幸いです。
愛らしい、小さな娘が礼をとる。美しく礼儀にかなった仕草で。しかし、あげられた顔を見てセドリックが感じたのは落胆だった。
「ごきげんよう、セドリック様。イザベラ・ルゥダ・ロペスでございます」
この娘が、私の婚約者。頬を染めて笑う姿のなんと凡庸なことか。貴族令嬢としては普通程度の愛らしさはあるものの、いずれ国一番の美しさを謳われる母以上の美貌を手に入れるであろう私の横に立つには貧相にすぎる。品よく小さな足や両手に余りそうな細い腰は魅力的といえたが、成長し妙齢となったころにもそれが保たれているとは限らない。
気に入らなかった。疎ましい程に平凡な娘と婚約を結ばなければならないのは、本当に不本意だった。
「……はじめまして。ようやく会うことができましたね、イザベラ」
それでも、父上が決めたことだ。納得出来ずとも、私に拒否権はなかった。小さな手を取り形式的に口づければ、娘の頰は紅く染まる。口づけた指には、不釣り合いなほど大きく華美な指輪がついていた。宝石鉱山を領地に持つ家の娘として、飾り立てられているのだろう。似合いもしないものを、まるで自分自身の魅力であるかのように見せびらかしているのだ。
「美しい指輪ですね、もしよろしければ外して見せていただけませんか?」
「もうしわけございません、この指輪だけは……決して外してはならないと、お祖母様からのお言いつけなのです」
「そうなのですね、残念です。私の目と同じ色の石でしたので、気になったのですが」
気に入らない。何もかも気に入らない。せめて私の言葉に従順であればいいものを。
「領地で採れる宝石なのです。お気に召したのでしたら、同じ宝石でセドリック様に相応しいものをご用意いたしますわ」
「いえ、そんなつもりでは……」
「セドリック様はわたくしの婚約者ですもの。いずれ領主になられるのですから、ぜひ、領地のものを受け取っていただきたいのです」
娘は、イザベラはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。婚約の手続きは滞りなく終わり、ロペス伯爵家から私宛てに宝石を使ったブローチが届いたころ、私とイザベラは両親と国にも認められる婚約者となった。
ロペス伯爵家の領地は豊かだ。伯爵の父親が隣国の人間であるためか交易が盛んで、交通路はよく整備されている。川の恵みを受けた土壌は優れた農地で、領民達は勤勉で穏やかだった。さらに、採掘される宝石やそれを加工する職人達も価値を見出されている。それらは全て、私に相応しいものに思えた。
婚姻によってロペス家を継ぐにあたり、要求されたのが隣国への留学だ。円滑に交易を続ける為、次期領主の顔を売るのが目的だった。いずれ伯爵の地位を継ぐ、美しい男。私を見る女達の目は素直だった。奔放な国民性も関係しているのだろう。また、後腐れのない関係を求める女にとっても、私の立場は都合が良かった。己の魅力に自信のある女達が競って私に愛を乞う姿は快く、毎週のように届くイザベラからの手紙への返事はおざなりになっていった。
私に群がる女達の中で特に気に入っていたのは、ある伯爵令嬢だった。本物の黄金よりもなお眩い金色の髪、触れた掌に吸い付く肌は白く、長い睫毛に縁取られた大きな瞳を常に濡れたように輝かせている女。私の隣にいても遜色ない美貌を持ったその令嬢は、その国の公爵子息の婚約者だった。互いに婚約者を悪し様に言いながら、まるで道ならぬ恋に溺れるような逢瀬は、私達にとって楽しい遊戯だった。お互い、婚約者がいなければ立場が悪くなる身だ。それを捨てるつもりなど、微塵もなかった。ただの火遊びのつもりだったのだ。美しく生まれついた私は、愛されることに慣れきっていた。あの日、令嬢の婚約者である公爵子息に憎悪を浴びせられた瞬間まで、他の人間から自分がどう見えているかなど考えたこともなかったのだ。
狙われたのは顔だった。子息の従者に捉えられた私の顔にかけられたのは、熱く煮えたぎる油。私の悲鳴と子息の狂ったような笑い声に人があつまり、子息と従者は捕えられた。
すぐに治療をうけたものの、油によって焼かれた顔には消えない火傷が残った。左眼は潰れ、人のそれとは思えない赤くただれた皮膚に覆われている。残った右眼だけがかつてのままに美しいのが、かえって他の醜さを際立てているようだった。怪我のため、留学の途中であるにもかかわらず家に返されることとなった私のことを、両親はどれほど心配していることだろう。そう思っていた私を迎えにきた父と母は、悍ましいものを見るような顔をしていた。
「なんと醜い……」
吐き捨てるような声に驚いて父を見ると、父は冷たい目で私を見ていた。幼い頃から競って私を慈しみ世話をした使用人達からむけられた嫌悪に、息をのむ。私は美しいが故に愛されていた。ならば顔に火傷を負い、化け物のように醜くなった私を、誰が愛するだろう。思い返せば、親しくしていた友人達や女達、あの伯爵令嬢でさえも、一度目の見舞い以降音沙汰がなかった。母は私の顔を見る事を拒み、二人の兄は嘲笑を浮かべてそれを伝えてきた。
自宅に戻ると、以前使用していた部屋ではなく離れの一室を与えられた。窓はしめきられ、清潔ではあるが薄暗い部屋。家族はみな屋敷に戻り、部屋を訪ねてくるのは食事を運び部屋を掃除する使用人だけだった。誰にも会いたくない、そして誰も私に会いたいと思っていない。そう思って一人寝込んでいた私の元に、イザベラがやってきたことを告げる声がかかった。あけるな、そう返事をする前に、扉は開け放たれてしまう。明るい日差しとともに飛び込んできた細身の女、青いドレスを着たイザベラは、ベッドに寝ていた私の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「セドリック様!お会いしたかった……!」
眩い光に目をやかれたのかと思った。イザベラの、私を見る目。曇り空のようだと思っていた灰色の瞳には、以前と変わらぬ思慕が浮かんでいた。
彼女は、今もなお私を愛している。信じられなかった。心配したと涙を流すイザベラは、震える私の手を握って顔を寄せた。
「こんなに醜くなった私を、受け入れてくれるのですか?」
「何をおっしゃるんですか!セドリック様はわたくしの愛する方です、醜くなどありませんわ!」
涙が伝う感覚すら伝わらない爛れた肌。表情を作ろうとするたびに、引きつって痛む。その肌に触れ、残された右眼を見つめて、イザベラは微笑んだ。イザベラとのはじめての口づけは涙の味で、まるで海に抱かれているようだと思った。
イザベラの意思により、私は彼女の婚約者のまま、次期伯爵のままでいることができた。火遊びの相手だった伯爵令嬢は婚約を破棄し、男爵に嫁ぐことになったらしい。公爵子息は心を病み、療養のため静かな土地を与えられたと聞いた。幸いなことに、元々公爵子息の評価が低かったことと、繰り上がって次期公爵と呼ばれるようになった公爵家次男が知恵者で知られる男であったため、隣国はかえって私に対し同情的な様子を見せた。
ロペス伯爵家が私を切り捨てないとわかり、両親や使用人達の態度も多少は軟化した。それでも、私の顔を真正面から見ようとするものはイザベラ以外にはいなかったが。父から渡された顔を隠すための仮面は、イザベラと二人きりの時には彼女の手によってはずされた。彼女の目が私の傷跡を映し、彼女の唇が私の傷跡に触れる。イザベラは、両親にさえ嫌悪された火傷の跡を私の一部として愛し慈しんだ。
私はイザベラのことを愛称で呼ぶようになった。私を愛する、たった一人の女。疎ましく思っていたはずの女は、この世界で唯一の救いになった。出会ったあの日とかわらぬ細い腰を抱き、華美な指輪をはめた手に口づける。私の右眼と同じ色の宝石がそこにあることが、安堵につながった。ベラ。私の婚約者。私の愛する、ただ一人の女。
「ベラ、私の愛しい人」
そう呼ぶだけで顔を赤く染める彼女を、愛しいと思った。
それなのになぜ、こんなことになったのだろうか。
イザベラが煽ったのは、ずっと身に着けていた指輪にしこまれた毒だという。何度も謝罪の言葉を口にしながら苦しみもがくイザベラ。彼女のために呼んだ医者が屋敷についた頃には、すでに呼吸も心臓もとまっていた。今朝には赤く色づいていた頬は色を失い、ひんやりと冷たい。私の名前をよびほころぶように笑っていたのに、二度とその声を聴くことはできない。
おいて逝かないでくれと、そう嘆いていた私に、イザベラのメイドが一通の手紙を渡してきた。イザベラが死ぬ直前に届いたというその手紙の差出人は、今は男爵夫人となったかつての伯爵令嬢だった。
耳の奥で、血の気の引く音がした。
慌てて手紙を開く。一文字読むたびに、心臓がぎゅっと縮まる様な感覚があった。かつての私と伯爵令嬢の関係がこと細かく書かれた一枚目の手紙。震える手で手紙をめくると、二枚目には見覚えのある筆跡が並んでいた。恋仲であった伯爵令嬢に送った手紙が、そのまま送られてきていたのだ。
「この、手紙は……」
かつて、彼女を疎ましく思っていた頃の記憶が蘇る。当時関係のあった女へ送った手紙は、彼女を罵る言葉ばかりで埋め尽くされ、彼女の死を望む言葉で締めくくられていた。本気で書いていたわけではない、火遊びを盛り上げるためのスパイスのようなものだった。どうしてそれがここにあるのか。まさか。
指先から全身が凍るように冷えていく。私を愛するイザベラは、この手紙を読んで毒を煽ったのだ。私が、彼女の死を望んでいると、そう思って!
今は違うのだと叫んでも意味はない。彼女の命はすでに失われ、どんな言い訳も届きはしない。彼女の遺体に縋りつき愛を請う資格も無い。
私の過去が、私の愛を殺した。
「ベラ……ああ、イザベラ、私の愛する……」
私の顔を見ながら毒を煽った、イザベラの表情を思い出す。謝りながら死んでいった、私の愛するただ一人の女。私に死を望まれていると、そう思いながら死んでいった、私を愛するただ一人の女!
「、っぁああああああああああああああああああ……!!!」
潰れるように痛む胸が、愛の在り処を叫んでいた。
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最初に会った時から、いいえ、その前から。ずっと貴方を好きだった。
セドリック様。
両親から聞いていたのは、ささいな事だった。魚がお好きであることだとか、ご自分の瞳の色である青を好んで身に着けているだとか、それだけのこと。それだけで、恋をするのには十分だったのだ。
婚約が確定する前に、ダンスのエスコートをしてくださった。あまりの緊張にふらつくわたくしをずっと支えくれた美しい人の手は、とても優しかった。青い瞳が私を映せば、それだけで世界一幸福だと感じられた。会うたび、言葉を交わすたび、名前を呼ばれる度に彼への思いは積み重なる様にして強くなっていった。
セドリック様にだけは決して言えない事がある。彼の美貌が損なわれた時、本当は少しほっとしてしまったのだ。傷ついた彼とならば、並んでいても今までよりはお似合いに見えるだろうなんて酷いことを考えてしまった。
だからきっと、これはそんな私への罰なのだろう。
知らなかった。ここまで、嫌われていたなんて。
「死を望むほどに、疎まれていたのですね」
手紙の送り主は、隣国の男爵夫人だった。かつてセドリック様と恋仲にあったという夫人は、彼から彼女に宛てた手紙を同封して送ってきたのだ。たしかにセドリック様の筆跡で、わたくしへの不満と、死を望む言葉で埋め尽くされた文面。知りたくなかった。いや、知ってよかったのだろう。知ることができたから、彼の不満を取り除くことができるのだから。
ドアの向こうから足音が聞こえる。セドリック様だろうか、最後にお顔を見られるのかも、なんて、浅ましいことまで考えてしまう。自分の愚かさにそっと嗤った。
足音が止まり、ドアノブが小さな音をたてて動き始める。同じタイミングで、指輪に触れた。カチリ、音はどちらから響いたのだろうか。
「、セドリック様」
開いたドアの向こう側、愛しい彼の青い青い右眼がわたくしを映す。あなたに疎まれている事も知らず、わたくし、しあわせでした。
ごめんなさい。
お祖母様からいただいた指輪の中、女の尊厳を守るために与えられた自害用の毒は、きっとセドリック様の望みを叶えるだろう。
「……ごめんなさい、愛しています」
喉を、胸を、全身を苛む痛みが、セドリック様の幸せを運んでくる。そう思えば、死後訪れるという何もない暗闇すら、もう怖くはなかった。
あなたに厭われること以上に怖いことなど、何もないのだ。
イザベラの愛は盲目なので、セドリック本人を愛していたのかはわからない。
本人にすら自覚はない。彼を愛する自分自身の愛に殉じた。
ハッピーエンドが好きなんだけど書くのは難しい。
長い事創作してなかったので書けなくなってて、リハビリ中。