29 開幕!
3月31日金曜日。プロ野球開幕の日。
昨季最下位の湘南ドルフィンズ一同は、ビジターでの試合開催となる。
開幕戦の相手は去年のリーグ覇者、東京タイタンズ。場所はタイタンズの本拠地、後楽園ドームだ。
楓はこれまでテレビやスタンドで見てきた大々的なセレモニーの真っただ中にいた。
華やかなプロ野球、それも一軍の世界で開幕を迎えられたことに、まだ現実感が追い付いていなかった。
ドルフィンズの応援団とファンが陣取るのは、レフトスタンドの3分の1程度を占める一角だけだ。さすがにリーグ1位の球界の盟主に対して、毎年低迷中の最下位チームの様相を表すかのようだった。
今年タイタンズにFA移籍した太田の姿を認めると、ドルフィンズファンのブーイングが響いたが、すぐにタイタンズファンの声援にかき消されてしまった。
だが、トランペットや太鼓、そしてファンたちの手拍子と声による統制のとれた応援は、楓たちドルフィンズナインの再起を鼓舞するには十分だった。
開幕セレモニーが終わった後、先行のドルフィンズは1回表の攻撃前に円陣を組む。
チームキャプテンの新川佐が声を出す。
「みんな感じてるはずだ。今年の俺たちは、強い! ドルフィンズの力であのタイタンズ応援団を黙らせるぞ!」
「おうっ!」
新川の声に、士気の高まった声で応えるドルフィンズナイン。
タイタンズとドルフィンズの先発オーダーが、電光掲示板に順に映し出される。
ドルフィンズ
1番 セカンド 内田俊介 背番号0
2番 センター 金村虎之助 背番号51
3番 ショート 新川佐 背番号1
4番 サード 田村翔一 背番号25
5番 ファースト フェルナンデス 背番号6
6番 ライト ボルトン 背番号67
7番 レフト 宮川将 背番号37
8番 キャッチャー谷口茂 背番号8
9番 ピッチャー 斎藤武 背番号11
これまで単打も長打も狙えた1番打者だった金村を2番に据えたこと以外は、順当なオーダーだった。
例年通りのオーダー通りというべきか否か、ドルフィンズは簡単に3つの凡打を重ね、あっという間に1回表の攻撃を終えてしまう。
今度は1回裏、タイタンズの攻撃を迎えた。
例年通りのオーダー通り、開幕投手もまた、4年連続でエースの斎藤だ。
この斎藤武という投手、高卒6位指名から着実に力をつけ、プロ13年目・31歳となった現在も名実ともにドルフィンズのエースとして君臨している。昨季の成績は7勝11敗と負け越しているが、ドルフィンズの中では勝ち頭だ。
見た目はオールバックのロングヘアに剃り込みを入れており、鋭い眼光からいかにも「元ヤンキー」であるかのような印象を受ける。
しかし、実は斎藤の課題はメンタルだった。
マウンドに上がると弱気の虫にさいなまれ、ランナーを背負うとコントロールを乱して、置きにいった棒球を痛打される。その繰り返しで、昨シーズンも大事なところで打たれては負け投手になった。
おまけに開幕という大舞台にはとことん弱く、開幕戦には3戦先発し、いずれも負け投手になっている。
明らかにデータ上は「開幕戦に弱い」と出ている齋藤だが、ホワイトラン監督はあえて斎藤を4度目の開幕のマウンドへ送り出した。
「開幕戦に負けたら即二軍行き」という条件を付けて。
ビジター球団に対する選手紹介アナウンスは、簡素なものだ。
守備位置と名前を告げられて、先発ナインがグラウンドへ散っていく。
《ドルフィンズの先発ピッチャーは、斎藤。ピッチャー、斎藤。背番号11。》
ウグイス嬢の気持ちけだるそうに聞こえる声が、斎藤をマウンドに送り出して、開幕戦はスタートした。
「プレイ!」
今年最初の主審の声で、ドルフィンズの新しいシーズンが幕を開ける。
左打席に入ったタイタンズの1番打者がバットを構える。
第1球。谷口のリードは、毎年決まっていた。
一番得意な球を投げさせる――それだけは毎年開幕投手である斎藤と交わしてきた儀式だ。
谷口はアウトコースにスライダーのサインを出す。
斎藤は待ってましたとばかりにうなずくと、そのままワインドアップして第1球を投じた。
次の瞬間、後楽園ドームの時間が一瞬止まったかに見えた。
乾いた音とともに、両チームのファンとも状況が呑み込めないまま、弾丸ライナーがライトスタンドを突き刺したのだ。
ライトスタンドの大歓声で、斎藤は事態をようやく把握したようだった。
開幕戦での、初回先頭打者ホームラン。
プロ野球の歴史においても類を見ないであろうこの記録の当事者に、斎藤はなってしまった。
◆◇◆◇◆
スピーカー越しに聞こえる地鳴りのような歓声に驚いて、楓はブルペンにあるモニターを見た。
いつでもいけるように体を温めておこうと、1回の裏からブルペンの端でストレッチをしていたのだ。
「先頭打者……ホームラン……?」
思わず口をついて出た言葉に、投手コーチの河本成之が答える。
「まあ、このチームじゃよくある事だが……さすがにこたえるな、こりゃ。伊藤!」
すかさずロングリリーフが可能な中継ぎの伊藤健太に声をかけた。
「あいあい、わかりましたー。」
とダルそうな様子で、伊藤はブルペンのマウンドに上がってキャッチボールを始める。
先ほどまでの円陣の気合はどこに行ったのだろう。
やっとなれたプロ野球選手ではあるが、楓はこのチームの雰囲気にいささかの不安を覚えていた。
モニター越しにも、雰囲気にのまれていくチームの様子がわかる。
しかし、その不安を切り裂くような河本コーチの声がブルペンにこだまする。
「抑えの山内以外、全員、順番で肩作っとけ!」
この試合、河本コーチはまだあきらめてないんだ。こういうときのコーチの一声は、選手の気持ちを鼓舞させるには格好の燃料だ。
「はい!」
他の男子選手に負けないくらい大きな声で楓も返事をすると、いち早くブルペンのマウンドへ向かった。
◆◇◆◇◆
初回は先頭打者ホームランの1点に抑えた齋藤だが、以降毎回のようにランナーを出し、じりじりと点差を広げられていく。
対照的に打線は、2番に意外な起用をされた金村がソロホームランを打ったほかは、散発4安打に抑えられていた。
5回裏2アウトの時点で、スコアは1対4。
例年通りの流れなら、この後ダメ押し点を取られてドルフィンズの敗色が濃厚となるところだ。
しかし、ここで例年とは違う采配をホワイトラン監督が振るう。
5回裏、2死走者1・2塁の場面から伊藤をリリーフさせてこの回を抑えると、次の回に惜しげもなく代打を出し、ロングリリーフ可能な伊藤をベンチに下げた。
さらに、その代打がセンター前ヒットを放つと、これに代走として俊足の石村を起用。
石村が盗塁で2塁へ進むと、今度は1番内田の打席でヒット・エンド・ランを仕掛けた。
打球は狙い通り1・2塁間を破り、2塁から石村が悠々とホームイン。スコアは2対4となった。
そして、2番の金村が2打席連続の2ランホームランを放つと、一気に同点に追いついたのだった。
「よっしゃ! いけるぞ!」
「さあここからだ!」
沸き立つベンチと、盛り上がるレフトスタンド。
去年までとは明らかに違う、ウソのような展開。
ベンチのホワイトラン監督をテレビ中継のカメラがすかさず抜くが、口の端を少し上げただけで、一切表情を変化させなかった。
これは、ホワイトラン監督があらかじめ描いた筋書き通りだった。
試合前に首脳陣で会議を行った際のことだ。
「我々がするのは、『弱者の戦術』だ。我々が弱者であることは、まぎれもない事実。だからこそ、弱者の戦術を取らなければならない。」
そうコーチ陣に言い含め、「弱者の戦術」の第一弾として描いていたのがこの試合の戦い方だった。
まず、中盤まではいつも通りの試合展開をする。
しかし、中盤からは奇襲のような采配で相手をかく乱する。
そして、そのまま泥沼の総力戦に持ち込む。
弱者が王者に勝つための、いわば「定石」だった。
5回裏はさらにヒットを放ちつつも、そのまま同点止まりで終えたドルフィンズ。
その作戦を象徴するかのように、さらに6回表に去年までとは別のチームかのような継投に出る。
今度は去年までセットアッパーだった、助っ人外国人のバワードを5回裏から起用。
回跨ぎはせず、6回裏にはタイタンズから人的保障で獲得した神田をマウンドにあげた。
同点に追いついてから、次々に主力投手を起用し、試合中盤から総力戦に持ち込む。
目が回るようなマシンガン継投は、見る者も、そして相手チームすらも翻弄していた。
死力を尽くして戦うその姿は、「今年のドルフィンズは違う」と見ている誰もに思わせる試合展開だ。
そして同点ののまま7回まで試合は進み、8回に均衡が破られる。
8回表、新4番・田村が値千金の勝ち越しソロホームランを放ったのだ。
レフトスタンドの一角が大いに盛り上がり、ドルフィンズカラーである水色の旗が大きくはためく。
そのままその回の攻撃を終えたドルフィンズは、絶対に守り切るべき虎の子の1点を抱えたまま、8回裏の守備につく。
ホワイトラン監督が打つ、「弱者の戦術」の最後のピースがここではめられる。
マウンドが無人のまま、場内アナウンスが流れる。
《ドルフィンズ、ただいまの回、代打いたしました宮城に代わりまして、ピッチャー……立花。ピッチャー、立花。背番号98。》
会場が少しの歓声と大きなどよめきに包まれた。
その声の渦の中、颯爽と一塁ベンチからマウンドへ小走りへ向かう、華奢なユニフォーム姿。
(まあね、セットアッパーでいきなり使うなんて、どうかしてるよね。私が一番思ってるよ、そんなこと。)
楓は場内の雰囲気に若干ふてくされながら、マウンドの土をならしていく。
夢にまで見たプロの一軍のマウンド。
8回裏、スコアは5対4で、ドルフィンズ1点のリード。
(希と約束した「しびれるような場面」、もうきちゃったよ……。)
味方すら困惑させるホワイトラン監督の采配は、相手チームであるタイタンズをさぞ困惑させていることだろう。
そう考えながら、マウンドを踏みしめる。
初めて踏む後楽園ドームのマウンド。本拠地の湘南スタジアムよりも土は固い。
照明もドーム球場特有のまぶしさがあって、その分ホームベースが少し近く感じる。
(でも……)
楓は真上を向いて、屋根にさえぎられて見えない空に向けて深呼吸する。
(大丈夫、私のシンカーは世界一!)
打ち込まれて涙に暮れていた高校生のとき、兄が授けてくれた魔法の言葉。
ずっと心を支えてきた、おまじない。
(ありがとう、みんな。それから、ありがとう、私。)
これまで野球をする自分にかかわったすべてに感謝して、ホームベースを見据える。
場内アナウンスが、楓のプロ野球人生の開始を告げる。
《8回の裏、タイタンズの攻撃は、2番、レフト、峯井。》
左打席に打者が入ったのを確認して、初球のサインを覗き込む。
谷口が慣れた手つきでサインを出す。
(インローに、ボールになる大きなシンカー。)
だよね、谷口さん。
これが、私の挨拶がわりだ!
楓はセットポジションに入ると、一瞬の静寂の後、プロ野球生活の第1球を投じた。




