12 必殺・カエデボール
打者3人に対して、2安打。
最後の一人は必ず抑えなければならない。
最後の打者は、ドルフィンズ唯一の女子選手、江川希。
昨季の成績は、61試合19打席打率.105、本塁打0本、0打点。19打席2安打である。
この成績で61試合に出場しているのには訳がある。
現在のプロ野球界では、女子選手は「お飾り」だ。
圧勝しているか、完敗が確実か。
このどれかで、最終回に守備固めで出場するのが通常で、たまに打席が回ってくる程度なのだ。
あるいは、消化試合では集客のためにスタメン出場する。
楓にとっては、今日対戦する打者の中で“一番安全な相手”である。
しかし、打席に立つ希の形相を見て、その予想は白紙に戻った。
それもそのはずである。
「お飾り」は2人要らない。
希にとって、この勝負に負けること、そして楓がドルフィンズに入団することは、自分がお払い箱になることを意味している。
ましてや、野手である自分よりも使い勝手が良いであろう投手で、しかも金村を抑えた相手。
希にとっても、絶対に負けられない戦いなのだ。
希は右打席に入ると、女子選手とは思えないほど力強い動きで、足場を何度もスパイクで掘り上げる。
目の前で振り子のようにバットを2、3度揺らすと、これまた女子選手とは思えないほど高々とバットを掲げて構えた。
「さあ、どこからでもこい!」と言わんばかりの構えと形相に、圧倒されそうになる楓。
これまでも威圧感のある打者とは大学時代に何度も対戦してきたが、それに引けを取らないほどの強い圧を感じていた。
たった一人の「ドルフィンズの女」を決める戦いが始まった。
そんな女同士の火花をよそに、淡々と素早いサインを出す谷口。
(アウトコースに、ストライクを取るカーブ)
今日初めてカーブのサインが出た。
谷口は、楓のカーブは投球練習でしか見ていない。
何とも言えない危険な香りが漂うのがわかったが、楓はサインにうなずいた。
受けているのは、楓よりも希の打撃を知っている谷口だったからだ。
それに、さっきの金村の打席でプロの作法というのも学んだ。
このサインの意図。それは、見たことがない変化球を投げて、ストライクを1つ先行させたいということだろう。
初見の変化球が来れば、どんな打者でも一度見送る可能性が高い。
セットポジションから、左のアンダースローで投じられるカーブ。
アンダースローから放たれるカーブは、特有のブレーキの利いた大きな縦の放物線を描く。
これまで楓が投げてきたどのボールよりも遅い球だ。
左足をすり足で引いた右打席の希が、ボールが来るタイミングよりも一瞬早く体を始動させてバッティング体制に入るのが見えた。
このままいけば、アウトコースのカーブには届かない。空振りになるタイミングだ。
――が、希は次の瞬間、前に踏み込んだ左足の足首を、無理やり踏ん張るようにして体重移動を踏みとどまる。
そのまま手首を返すタイミングを遅らせて、結果的に流し打ちの形でバットの芯でボールを捉えた。
快音とともに、鋭い打球が一塁線を襲う。
一塁手が横っ飛びするが、そのグラブの先をかすめて、ボールはライト方向へ転々と転がっていった。
「――ファウル!!ファウル!!」
その直後、一塁塁審が両手を大きく広げてアクションをして、楓は文字通り首の皮一枚でプロ野球生命をとりとめた。
あと5センチ一塁側に入っていたら、文句なしの2塁打だったろう。
打つ瞬間、希の足首は、人間の設計上曲がっていい領域を超えていたような気がした。
それだけ、希も必死なのだ。
少し足首を気にしてぶらぶらと動かすと、何食わぬ顔でバットを再び構える希。
(インコースへ、ボールになるスライダー)
さすがに思わぬ鋭い打球に慎重になったのか、いったん外すサインが谷口から出た。
おそらく、打者の狙い球を探るためのボールだろう。
(ということは……くさいコースってことね)
(くさいコース……くさいコース……バッターがギリギリ打つか迷うようなスライダー……)
心の中で何度かつぶやいた後、楓はスライダー投じる。
しかし、意識しすぎたのか、ボールは狙いより半個分真ん中寄りへ。
ギリギリストライクになるコースだ。
希は、今度は狙っていたかのように迷いなく体を開きながら引っ張った。
またしても快音とともに、今度は打球が三塁手の頭上を襲い、あっという間に三塁手の上を通り越していく。
(――また打たれた!)
今度こそは覚悟した楓だったが、ボールの外側を叩いたのか、打球はレフト方向にそれていき、ボール1個の隙間を残して三塁線の外側に落ちた。
カウント0-2。
カウントとしては投手が追い込んだ形だが、まったくその気がしない。
打者からしたら、「ヒット2本損した」くらいの感覚だろう。
打球の行方を見つめていた希は、さっきよりもさらに強い眼力で楓を見つめる。
だが、2本きわどい当たりを打たれた楓の中でも、ある感情が燃え滾っていた。
――絶対に、絶対にこの勝負、負けたくない!!!!!
ドルフィンズの女子選手は2人要らない。それは楓も希もわかっていた。
だから、これは2人の「プロ野球選手」という身分をかけた戦いだ。
私は、プロ野球選手になるために今日ここに来たんだ。
それだけは絶対にだれにも譲れない。
初対面の時から、社交的に、笑顔で接してくれていた希。
だが、それはあくまで女子プロ野球選手としての顔である。
それを争う相手であれば、容赦はしない。
至極当然のことだった。
どうしたら希を打ち取れる?
谷口からサインが出る
(アウトコースに、外す真っ直ぐ)
初見のカーブを痛打された。
スライダーもうまくレフトに持っていかれた。
真っ直ぐで一球様子を見て打ち気を削ぐ?
楓は、今日初めてサインに首を振った。
(アウトコースに、ボール球になるシュート)
違う。
(内角高めに外す真っ直ぐ)
違う、違う。
(外角に、ボール球のカーブ)
違う、そうじゃない。
(内角低めに、ストライクからボールになる大きなシンカー)
何度も首を振った後、決意したように口を真一文字に結んでうなずいた。
私が勝負するのは、このボールしかない。
プロになるために、このボールを磨いてきた。
このボールが打たれたら……潔く諦めたっていい。
セットポジションから足を上げて、いつもより少し長く止まる。
体を大きく沈ませる。
これまでの努力、ドラフトで指名されなかった日の涙、大学でもう一度野球を始めた日の決意、大学ベストナインに選ばれた日の栄光、そして、ドルフィンズのマウンドに上がるという思い。
すべてを指先にこめて、ボールを弾いた。
一見打ち頃のボールがホームベース真ん中へ向かって走る。
希はバッティングのモーションに入る。
膝で変化するボールにアジャストしにいくのがわかった。
(シンカー、読まれてた…!!)
次の瞬間、ミットがボールを包む心地よい音と、バットが空を切る鋭い音がこだました。
アンパイアの右手が上がる。
希は、体を回転させた勢いで三塁方向を向いたまま、膝をついていた。
楓は、喜ぶでもなく、声を発するでもなく、打者方向を見つめていた。
「ナイスピッチ!」
駆け寄ってきた谷口に声をかけられて、放心状態から戻る。
(抑えた…)
女子選手とは言え、プロ野球選手から三球三振を奪った。
そして、それは、楓がプロ野球選手になる可能性を大きく高めたこととともに、希のプロ野球選手としての必要性を大きく低下させたことを意味していた。
何も告げず、希は無言でベンチに下がる。
まるで目の前で日本一を決められた瞬間のような雰囲気だった。
対照的に、谷口が明るい口調で声をかける。
「すごかったな!最後の球!」
4人に対して2つのアウトを取ったという喜びがようやく押し寄せてきた楓は、笑顔で答える。
「必殺・カエデボールです!!」




