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10 最終面接(3)

 左打席にはドルフィンズの二番打者・内田俊介。

 いま、楓はまさにプロ野球選手と対峙している。夢にまで見たこの瞬間。


──だけど、夢のままで終わらせたくない。


 谷口が出すサインを覗き込む。

 プロらしい手早い指の動きが、初球の球種とコースを告げる。


(内角低めに、小さなシンカーを、ストライクゾーンに)


 谷口はもともと口数が少ない選手のように見えた。

 マウンド上でサインを決めるときも、


「気に入らなかったら遠慮なく首を振ってくれて構わない。俺は打者の趣向と得意不得意に合わせたサインを出してみるから。」


とだけ話してホームベース方向に歩いて行ったのだった。


 楓は、内田の打撃の癖や得意コースは知らない。

 だがそのサインから、楓は谷口から多くのメッセージを受け取っていた。


 ・初球はあまり手を出さないタイプであること

 ・インコースは苦手としていること

 ・初対戦の投手の変化球はなるべくたくさんみるタイプであること


 野球を長年やっている人間同士の、不文のコミュニケーション。

 初めてボールを受ける谷口に、そして何よりプロの捕手ともそのやりとりが成立したことを感じて、楓は思わずマウンド上で口元が緩んだ。


 楓が小さく頷くと、谷口は両手を一度広げたあと、ミットを構える。


(ちゃんと捕ってやるから、思いっきり投げてこい!)


 捕手がよくやる動きだが、大柄なプロ選手がやるとこうも心強いのか。


 セットポジションで静止して、小さく息を吐く。

 まずはいつもよりゆっくりめに、そして大きめに右足を上げて、モーションに入る。

 いかにも「今から力の入った真っ直ぐを投げますよ」という意思表示をするかのようなフォームのつもりだった。


──体を沈ませて、マウンドに手が触れそうな低さからボールをリリースする。


 シュルルル……という心地のいい回転音を放ちながら、ボールはマウンドへ向かう。


(よし!狙い通りのコース!)


 楓が確信した直後、内田は体をほんの少しピクリと動かし、ボールを見送った。

 ボールは左打者のインローギリギリで捕球された。

 アンパイアの右手が上がる。カウント0-1(ノーボール・ワンストライク)。


「なるほど。左のアンダー、ね……いいコースだ」

「悪くないだろ?」


 独り言のように内田が呟くのに簡単な返事をすると、「ナイスボール!」と言いながら谷口は楓にボールを返球する。


(何千、何万と投げて来たシンカー。このコースに投げれば、プロにだって通用するんだ。)


 打者と捕手の反応に、自信がみなぎる。

 次のボールのサインが谷口から出る。


(外角に外す真っ直ぐ)


 セオリー通りだ。

 大学時代もよく投げた配球だった。


 セットポジションに入って、今度はクイック気味に投げる。

 あまり速くない直球を速く見せるために、楓が磨いて来た技術の一つだ。

 今度はこれで面食らって空振りしてくれれば儲けもの。


 思わず踏みしめた左足に力が入った。

 指先からのリリースが一瞬早まる。


 ボールは左打者のアウトコース、ストライクゾーンギリギリに向かって走っていく。

 スピードは十分乗っている。楓のMAXである129km/hは出ているだろう。

 要求に反してボール球ではなかったけど、いいコースにいった。

 しかも左対左。オープンスタンスの内田からは届かないところのはず。


(うっそ!打ちにいくの?!)


 オープンスタンスだった内田が、右足をホームベース側に踏み出しながら打ちにいく動作をする。

 ただ、初動が遅い。楓のクイックに対応できていないのだ。


(大丈夫、これはファウルになる!)


と楓が確信した瞬間……。


 快音とともに、ボールは三塁線を鋭く襲う。

 三塁手のダイビング虚しく、ボールは転々とレフト線を転がっていった。


 左翼手が中継にボールを戻す頃には、俊足の内田は悠々と二塁上に到達していた。


 楓は、バットがボールに当たる瞬間、振り遅れてファウルになるものと思っていた。しかしなぜか、ボールは快音とともに三塁線を襲った。

 手首でアジャストしたのだろうか?

 いずれにせよ、ヒットはヒット。しかも二塁打。

 さすがにプロはすごい……。


 一瞬感心した後、楓は大事なことを思い出した。


──これは、入団試験なのだ。


 抑えれば、プロへの道が開けるかもしれない。

 高校の時に諦めた「プロ野球選手」になるチャンスなのだ。


 すでに一度打たれてしまった。


 次の打者は、絶対に抑えなければならない。


 新川が右打席に入る。

 谷口は、マウンドにこなかった。

 それもそうだ。実際の試合なら、ヒット一本打たれたところでいちいちマウンドに声などかけていられない。


 大丈夫。これまでだってこういう場面で抑えて来た。

 ホワイトラン監督の設定した「ランナーは考慮せず」というルールのおかげで、先ほどのヒットのことは忘れて打者に集中できる。

 守備陣の守備位置もランナーなしを想定した通常位置に戻っていた。


 次こそ絶対に抑えなくては。

 谷口のサインを覗き込む。


(インローへ、ボールになる大きなシンカー)


 なるほど。

 今度は決め球のシンカーを見せて、空振りを取る作戦か。

 はじめに決め球を持ってくるのはあまり定石ではないが、これまでも強打者によく使って来た作戦だ。


 はじめに大きなシンカーで空振りをとってしまえば、否が応でも打者の目にはシンカーの残像が残る。

 同じ速度で別の変化球を投げれば、シンカーを意識して打者はバットの出だしが遅れるか、見送ることになる。

 こうして、楓は大学野球の男子スラッガーたちから凡打の山を築いてきた。


 さすがプロ。私の持ち味を前回の投球で見抜いてくれていたのか……。

 なら、私は全力のシンカーでそれに応えるだけだ。


 セットポジションから投球フォームに入る。

 120km/hほどの打ちごろのボールがど真ん中に向かう。


──そこから、鋭く右打者のアウトコース寄りにボールが突然落ちる。


 大学時代、「消える魔球」の名を冠した大きなシンカー。

 スポーツ新聞がつけた通称・カエデボール。


(さあ見て、私の決め球!)


 思わずボールに手を出した新川のバットが空を切る。

 目を丸くして、一度楓の方を見る。

 楓は誇らしげな様子で帽子のつばに手を添えて、谷口からの返球を受ける。


 さて、第2球。

 新川の目にはシンカーの残像が残っているはず。

 それなら……。

 サインを覗き込む。


(アウトローへ、ストライクを取るスライダー)


 ですよね。谷口さん。

 シンカーの残像が残っていれば、同じくらいのスピードのスライダーには手を出してこない。

 文句のつけようがない、セオリー通りのリードだ。


 サインに納得の顔で頷いた楓は、シンカーと同じフォームを意識してスライダーを投げる。

 これも何千、何万と練習して来たフォームだ。

 新川には球種がわからないはず。


 ボールは先ほどと同じ球速でホームベースへ向かう。

 シンカーを続けたと思ったか、新川は一度インコース方向に体を開きかけるのがわかる。


(よし、2ストライク、いただき!)


 と、開きかけた上半身を、残った下半身を動かさずに無理やり戻すようなフォームで、新川はアウトコースのスライダーに合わせにいった。

 そのフォームは明らかに泳いでいるように見える。

 これではせいぜいファーストフライが関の山だ。


 次の瞬間、一度たたんだ肘を伸ばしてボールに当てたバットは、明らかに芯を食った音がした。


 乾いた快音を残して、ボールはライト方向へ上がる。


 さすがプロ……あれを合わせて外野まで運ぶのか……。

 でも、あのコースを打ってもフェンスまでは届かない。


 ボールはぐんぐん伸びる。

 今日のグラウンドはほぼ無風のはずだ。


 おかしい。

 おかしい。

 完全にフォームは泳がせたはず。


 楓の動揺をあざ笑うかのように、ボールは失速することなく、ライトのフェンスを越えて外野の芝生に落ちて大きく弾んだ。


 打たれた。

 右翼本塁打。


 楓はボールの落ちた方向を見つめたまま、放心状態になっていた。

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