Ⅰ-3
これでシルクハットでも被っていれば紛うことなき紳士だろう。もっとも、紳士という言葉がぬいぐるみに適応されるのであれば、の話しなのだが。
「シャルティエ伯? そのぬいぐるみが?」
「この姿で名乗っても怪しまれると思ったんでね。男爵への挨拶は控えさせて貰ったよ」
ぬいぐるみはベッドの淵に座ると、短い脚を組んだ。ふとももと思われる場所に、これまた肘と思われる場所をついて頬杖をつく。
「ですが、シャルティエ伯がどうしてそのような…」
「ぬいぐるみになっているかって?」
おどけた口ぶりで言うぬいぐるみを見て、ラヴェンは重い息を吐いた。
「わたしのせいなの」
「それは違うよ。ラヴェンのせいじゃない」
「わたしがちゃんと呪いを解けていたなら、貴方は今頃、お父様の後を継いで騎士団長だったはずだわ」
「そりゃあ確かに今はこんな身体だし、あまんじて役職を退いてはいるけれどね。人の身体を借りて、勉学だって鍛錬だって積んで来たんだ。戻った暁には全うできる自信があるよ」
「……あの、そもそもシャルティエ伯は生まれつき身体が弱いと言う話では?」
口を挟んだリュウに、ぬいぐるみは嘆息した。
「表向きはね。実際は病気どころか、僕は自分の鼓動の音すら知らなかった。なんせずぅっと栄養剤に繋がれている自分を、見下ろすしか出来なかったんだからさ」
シャルティエ家といえば代々王に仕える名家。戦にて数々の功績をあげて来た逸話は寝物語に語られる程身近な、いわば生ける伝説の一家なのだ。
「シャルティエ家に呪いをかけるなんて、有り得る話なのでしょうか。わたしには…どうにも信じられないのですが」
「シャルティエ家だからこそかもしれないよ。とは言っても僕自身、どういう経緯で呪われたか知らないんだけれど」
「呪いは今も?」
「ラヴェンが解いてくれたよ」
「……解いたと言っていいのかは怪しい所だけれど。事実貴方は、未だ身体に定着せずにこうしてフラフラしている訳だし…」
「いやいや、短い時間でも自分の身体に居られるようになったのはラヴェン、君のおかげだよ。…一昨日なんて久し振りに散歩を楽しんで、田舎の空気はいいという言葉を実感したんだ。これは僕の人生において素晴らしい発見だよ」
ぬいぐるみはラヴェンの手を取ると、指先に口づけを落とす。
「だからね、君が自分を責めることなんて何一つないんだ。マイディア、むしろこうして君の見ている世界を眺める事が出来る僕は世界一の幸せ者かもしれない」
ビー玉の瞳にラヴェンが映っている。揺れる自身を見ているうちに、ぬいぐるみと見つめ合っている事に気付いたラヴェンは真っ赤になった。視線を逸らすと、ぬいぐるみはリュウを斜めに見上げる。ふんと鼻を鳴らした。
「ここの使用人は、気を利かせて静かに出て行く事も出来ないのかい?」
「あ。……あぁ」
我に返ったようなリュウが窓枠に足をかけるものだから、ラヴェンは慌ててひきとめる。
「ちょ、出て行かなくていいから!」
「気が付かず、申し訳ありませんでした」
「クロードの言葉を真に受けないでよ」
「失礼だなあ。僕はいつだって大真面目だよ」
「もう、クロードは黙っていて!」
言いながら、胸の内で安堵する。
(こうして考えると、チャッピーに憑いていてくれて助かったわ)
初めてラヴェンが彼の身体と対面した時、栄養剤に繋がれて眠る青年を、まるで天使のようだと思った。いやむしろ、ラヴェンが今まで会ったどの天使より儚げで美しかった。そんな彼に甘い言葉をかけられた日にはきっと、うっかり間違ってときめいてしまうかもしれない。
(呪われてなかったら、一生会うことなかった人だもの。相手はシャルティエ伯よ。うっかりだってときめいちゃいけないわ)
気付かれないよう深呼吸している間に、リュウに向き直ったクロードは短いしっぽを揺らした。
「さあ、こっちの手の内は見せたよ、リュウの坊や。次は君の番だ」
「わたし、ですか?」
「アネモネが、男爵令嬢の一番近くで過ごしていたのは君だと言っていた。君なら他の使用人が知らないことも、知っているかもしれないとね」
リュウは僅かに目を見開いた。
「そう、ですね。そうかもしれません」
呟くように落として、リュウは窓から離れる。そうして、今まで存在を認識していなかったのではないかと思うほど、鮮やかに無視していたドアに手をかけた。
「その前に、アーサ様の部屋へと案内致します。シャルティエ伯、ハンガリー嬢」
「なるほどそう言う所は気が利くんじゃないか。…しかしシャルティエ伯と呼ぶのは感心しないな。言っただろう? 僕がここにいるのはお忍びだ」
ぬいぐるみはぴょんと跳ねると、ラヴェンの腕に納まる。立ち上がったラヴェンが部屋を出る寸前、リュウの腕を労うように叩いたぬいぐるみは得意げな声を上げた。
「僕のことは、そうだなあ。ぬいぐるみ伯爵とでも呼んでくれたまえ」