王子も魔女も幸せを呼ぶ鳥
わたしはひとり踊り続ける。
誰の手を取る事も出来ずに踊るわたしは悲しみで濡れた仮面の上に仮面をかぶせて、顔が見えないように奥へ奥へと隠していた。
近づいてくる人が笑っていれば、微笑んだ仮面をかぶって。
泣いている人がいれば、泣いている仮面をつける。
そうしているうちに自分の顔を忘れてしまい、人に合わせて踊っていたら自分のダンスも忘れてしまっていた。
自分らしく踊る方法が分からなくなって途方に暮れる。互いの手を取り踊る人々はとても優雅に見えて、わたしになんて目もくれていないように思えた。
何も出来ないわたしはここに居る資格を失くしてしまう。
恐怖に震え、舞踏会から逃げ出したわたしはその拍子に足を痛めて、今度こそ踊ることが出来なくなってしまった。
誰にも見ない場所を見つけて蹲っていたわたし。
それなのに、なぜかわたしに気付いて歩いて来た人が突然、
「歌は好きですか?」
と尋ねて来た。
「歌、ですか?」
少し顔をあげて尋ね返すと、彼はにっこり頷く。
舞踏会で踊りは好きですかと尋ねられた事はあっても、歌が好きですかと尋ねられた事がなかったわたしは戸惑った。
そんなこと考えたことがない。
仮面をかぶることが当然で、踊ることが当然で、それ以外を考えることは許されないことだと思い込んでいたのだから。
「歌は……好き、です」
「それはよかった」
彼も仮面をかぶっていた。仮面で人に合わせる事を覚えてしまったわたしは彼の言葉を素直に受け取る事が出来ない。その仮面の下で、言葉とはまったく違う顔をしているかもしれないと思うと身構えてしまう。
「何も出来ない事が辛いのなら、何かを見つけてみてはどうでしょう? 踊れないのなら歌ってみてはどうでしょう。出来ることがひとつでも見つかったのならば、辛くても苦しくてもやるしかないのではないですか?」
その言葉は不思議な響きを帯びていた。彼の指が、わたしの仮面をなぞる。
「自分の顔が分からなくなったのですね」
「はい」
「仮面もあなたのものですよ」
「わたしの、もの?」
「そうです。仮面もあなたの顔の一枚、あなたの顔がたくさんあると思えば素敵じゃないですか」
ものは考えようというやつです。
そう言う彼はまるで王子様のようだった。
「無から有は生まれない。有から無が生まれないというのは、ぼくは少し違うと考えています。見方をかえればいくらでも有も無も存在しているんです。ようはどれを拾うか、ということですよ」
「…少しわたしには…難しいです」
「なら単純に、悪知恵や偏見も生きていくうえで必要なこともあると思えばいいのです。踊る事が当たり前だからと言って、踊ることしかしてはいけない訳じゃない。
歌うなと、言われているわけでもない」
まるで悪戯を見つけた子どものように笑うから、うっかり彼の言葉に背中を押されて「歌ってみようかな」というと、彼は満足そうに踵を返した。
「待って、待って、あなたは王子様ですか?」
その背に問うと、首を巡らせた彼は悲しそうに肩をすくめる。
「ぼくは貴方の王子にはなれません。ときには童話の魔女のように狡猾でしたたかな生き物で在りたいけれど、魔女にもなれない」
「童話は嫌いです。幸せになるのは主人公ばかりだもの。でもあなたが王子様なら、と少し期待をしてしまいました。
「なぜ?」
「だって貴方を愛する主人公になれたなら、幸せを約束されるのでしょう?」
彼は眉尻を下げた。振り向くと、膝をつく。
「ぼくは貴方の王子にはなれません。あなたを幸せにすることもできないでしょう」
うやうやしく頭を垂れてわたしの手を取り、そっとキスを落とした。
「しかしあなたが望んだ時、ぼくは王子になれる。あなたが迷宮で迷った時は、今日のようにぼくが幸せへと導きましょう」
わたしは首を傾げる。
「王子でも魔女でもないという、貴方は一体誰ですか?」
「ぼくは幸せを呼ぶ鳥です」
あっさり認めた彼がくるりとまわると、白くて大きな鳥がわたしを見つめていた。鳥はぴゅるぴゅると、まるで口笛のような声で鳴く。
「どうしてわたしを助けて下さるの?」
「ぼくはあなたの幸せを呼ぶ鳥だから」
「じゃあどうすれば幸せになれるの?」
「ぼくを探して、追いかけてくればいいのです」
「どこを探せばいいの?」
「あなたの歌が聞こえる場所にいましょう。なぜならぼくはあなたが迷子になれば王子になり、夢を追うのなら狡猾な魔女にならなければいけないから」
彼は大きな羽根をはためかせた。
「ぼくは仮面をかぶっていたでしょう? ぼく自身も、ぼくの顔を知らないのですよ。でもぼくはそれを不幸だなんて思わない。あなたが幸せになれば自然と、ぼくの顔はできてくるから。夢を追いかけてください、でも決して自分を不幸だなんて思わないでください」
歌は好きですか?
最後にそう言って、鳥は大きく舞うとどこかへ消えていった。
わたしは幸せになりたい。
だから今日からわたしは、舞踏会で歌を歌ってみることにした。