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伯爵は犬のぬい  作者: 龍弥
第一部、ラヴェンとぬいぐるみ伯爵
12/17

Ⅴ-2

「こんばんは、アネモネ。ハンガリー様、そして…アーサ様」

恭しく頭を垂れた老執事を見て、アネモネは崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

「そんな…、どうしてギャリソン…! 貴方が、エリザを? 他の、メイドたちも皆…!?」

「ええ、ええ。わたくしは本当に良い間抜けな主人に仕えさせて頂きました。何度誘拐事件が起きようと、外の警備を強化するだけ。…みるみるうちに立派になっていく門が内側から開かれていることなど想像もしない間抜けなお方。そんなことだから、お嬢様にも見捨てられるのです」

 老執事は肩を落とすと、鼻を啜る。

 「お嬢様が行方不明になられたのは本当に残念でなりませんでした。可愛らしいお嬢様、素直で力強く、何より愛くるしくておられた。……次の夜にはお迎えに上がる予定でしたのに」

 黒い花嫁がぴくりと揺れた。その姿を愛おしそうに眺めて、まるで愛でも歌うかのように老執事は両手を広げる。

 「ああ、しかしお嬢様は戻ってこられた! 大好きなエリザ! 大好きなアネモネ! ようやく一緒に連れていって差し上げることが出来る!」

 (黒い花嫁をアーサだと思っているのね。だったらクロード、これはチャンスだわ)

 ラヴェンは花嫁の様子を伺い見た。俯いたまま動かない後ろ姿に、老執事と小男が構える銃の照準が揃って向けられる。

 「両手を挙げてこちらを向いて下さい、お嬢様。……おっと、他の人間は動かない方が得策ですよ。特に貴方はこの中でも一番値打ちが低いでしょうから、遠慮はしません」

 (アンタなんかよぼよぼシワシワのとんだ悪党じゃない! タダでもいらないわよ!)

 口を突いて飛び出そうとした言葉を飲みこんだ。老執事を睨みつけていると、黒い花嫁がゆっくりと手を挙げる。そのまま踵を返す姿にラヴェンは固唾をのんだ。

 「さあ、お顔を見せてくださいませ」

 黒いヴェールに手をかけ、剥ぎ取る。その下にある顔を見て老執事は卒倒しそうな声を上げた。

 「お、お前は…!」

 「ギャリソン、貴様あぁああああ!」

 ヴェールを叩きつけたリュウは地面を蹴ると、鉄砲玉のように駆けて行く。本物の銃を持っているというのに、驚いて咄嗟に反応できなかった老執事がワンテンポ遅れて引き金に手をかけた時、小男がもぞもぞ動いた。老執事の脇腹に銃口を突きつける。

 「…まったく、門番の一件があってからというもの、僕はブ男に入るとアレルギーが出る体質になったというのに」

 愚痴る小男に怪訝な目を向けた老執事の横っ面をリュウが殴り飛ばした。扱けた頬に食い込んで吹っ飛んでいく。拳を握りしめたまま。リュウは唇を噛むと、瞳を震わせた。

 「エリザ」

 「……エリザ」

 宙を仰いだアネモネが呆然と呟くと、どこからともなく風が吹き込んで来た。風に混じって歌が聞こえて来る。


 天使のかたちは知りもしないの 

 羽根が白か黒かも

 そこで愛を囁くのなら 何でも構わないわ


 「この、歌…アーサ様と、エリザの」

 幾度となく眠りの淵へ導いてくれた子守唄。手を引くように誘ってくれた優しい歌。リュウとアネモネが息を潜める傍らで、ラヴェンが視線を巡らせれば、エリザが歌っていた。


 天使のかたちは知りもしないの

 羽根が白か黒かも

 貴方が愛を囁くのなら それが全て


  ラヴェンと目があったエリザは、まるで夏の花が咲くよう。力いっぱい微笑んで頭を下げる。

 『ありがとう』

 その声に、アネモネはラヴェンが見つめる先に目を凝らした。けれどそこには黒く寂しい廊下が続いているだけ。

 『アネモネを助けてくれてありがとう。あたし、今とても幸せだわ』

 「わた…しもっ」

 アネモネは声を張り上げる。

 「わたしも、もう一度貴方に会えて…! 幸せよ、エリザ! ありがとう!」

 エリザはくすぐったそうな笑みを浮かべた。背中から差し込んできた光に溶けるように姿を消す。アネモネは泣き方を思い出したようにわあっと声を上げた。立ち上がると、右足を引きずっていたのが嘘のように駆けて、リュウの腰にしがみつく。

 「……騙すような真似をして申し訳ありませんでした」

 そっと息を吐いたリュウは頭を下げた。

 「アネモネさんはリュウを庇っていたのね?」

 「わ、わたし、リュウが黒い花嫁だって気が付いて、花嫁の正体を暴いて欲しいと頼んだのに、かく乱、させるような事をしてしまって…!」

 泣きじゃくったアネモネは大粒の涙を零す。

 「でも、やっぱりリュウをそのままにはしておけないと思ったんです。だから昨日の夜…!」

 「リュウを追いかけていて、そこを襲われたって訳だね。まったく小さな親切なんとやら、だよ」

 「クロード!」

 「冗談さ」

 小男はひょいと肩をすくめた。ぬいぐるみだと見慣れた振る舞いなのに、小男だとこうも違和感しかないとは。

 「あの、彼は…?」

 「え!? いや、その…!」

 「幽霊に乗り移られているんですよ、アネモネ」

 「ゆ、幽霊!?」

 「失礼だな、リュウの坊や。言うなら僕は生霊だよ」

 腕を組んで、小男はリュウを睨めつける。

 「それより僕は、どうして君がわざわざ自分から木に登ってみせたのかが気になるね。参加することで、自分が容疑者から外れるとでも思ったのかい?」

 「もうちょっと言い方っていうものがあるでしょ、クロード」

 「………いえ、構いませんラヴェン嬢。そうですね。確かにあのままにしておけば良かったのかもしれません。ですがそうすればラヴェン嬢はやりとげるまで続けた、違いますか?」

 「え? ええ、まあ」

 多分続けた、じゃない。絶対続けていた。

 小男の視線が痛くて小さくなると、リュウは苦笑を零した。

 「無鉄砲な所がアーサ様と似ていらして、放っておけなかったのです」

 それに、とリュウは唇を解いた。

 「そろそろ潮時だとも思っておりました。黒い花嫁に化けて出た所で、旦那様は知らぬ振り。ぬいぐるみ伯爵と大立ち回りを繰り広げた以上、霊ではないと気付かれるのも時間の問題かと」

 「まあ少なくともこの執事は、黒い花嫁が霊じゃないと踏んだから動きだしたんだろうしね」

 「そもそもアーサ様ははじめから旦那様のことも奥様のこともお恨みになどなっていない。…全ては、わたし一個人の感情でした」


 ――ねぇ、リュウ。何度抱かれても、彼との子は産めないの。夢だから仕方ないのよね。


 ――そりゃあ痛くて、苦しいわよ。でもこの感覚か麻痺した時、彼は本当に夢の中の人になってしまう。だから、痛くて苦しいくらいがいいの。


 ――死んで愛を証明するより、生きて愛を叫び続ける方がよっぽどすごい事だと思わない? だからわたしは、生きて神様に叫び続けるのよ。彼に会わせて、ってね。その為には生き続けて、幸せだって笑い続けてやるわ。


 「……わたしはあの時、こんなにも馬鹿正直に、真っ直ぐ想えるアーサ様を誇りに思った。だからこそ許せなかった。恋しい人がいるのだと訴えるアーサ様を叱る旦那様も、言えぬ相手だと察しながらも家柄ばかりにこだわる奥様も、アーサ様を助けに来られない男も…すべて許せなかった」

 ラヴェンはそろりとリュウを見上げる。

「あのね、リュウ。わたしもひとつ、嘘をついていたことがあるの」

「え?」

「わたし、本当は黒い花嫁を調べに来た訳じゃなくて、アーサ様に伝言を頼まれてここに来たの。そしたら黒い花嫁の事を知って…屋敷に入る理由にさせてもらったのよ。ごめんなさい」

「でん、ごんですか?」

「リュウ、アーサ様が居る場所を知っているのなら教えてくれないかしら。そしてこの伝言を、出来れば貴方にも聞いて欲しい」

 リュウの手を取ると、困惑した瞳を目があった。

 「リュウ、わたしは時々、この世界はありとあらゆる糸が絡み合って成り立っているんじゃないかしらって思うのよ。運命とか、人の想いとか、そういうものが人と人とをたくさんの糸で繋いでいるの。そしてね、それを時々神様が悪戯に弾くのよ。糸がぶつかって喧嘩をしてしまったり、時にほどけて別れてしまったりすることもあるわ。新たに結ばれて出逢って、どんどん形を変えていくのよ。喧嘩をすることは…とても辛いことだけれど、神様の耳には、弾いた糸の音がとても美しく聞こえるんじゃないかしらと思うのね。その目に糸が、どんな素敵な模様となって映っているのかと思うと、とってもドキドキするの」

 「ラヴェン嬢」

 「複雑に見えても案外単純だったりすることもあるわ。ひとつひとつ意味があって、わたしと貴方が出逢ったのもその糸のひとつ。貴方の中で絡まってしまった糸を解きに行きましょう、リュウ」

 黒曜石のような瞳が驚きに見開かれる。迷う素振りをみせたリュウはこわごわとラヴェンの手を握り返した。

 「……はい」

 「その前に屋敷に戻ってぬいぐるみを拾ってくれるかな? この身体じゃ、ラヴェンの手を消毒することも出来ないよ」

 鼻に皺を寄せた小男と目があう。

 「………クロード」

 呆れたラヴェンは心に決めた。

 (助けに現れた時かっこよかったなんて、言うのは止めよう)



 「ああ! ラヴェンの匂いがする!」

 すんすん鼻を動かすぬいぐるみに嗅覚はないはずだが、アーサが住む村へ向かう馬車の中で彼はしきりにそう言った。

 「それにしても、アネモネは本当に来なくて良かったのかしら?」

 屋敷の前で、男たちの身柄を引き受けたアネモネ。気丈に手を振る姿がよぎったラヴェンが呟くと、ぬいぐるみは穏やかに笑った。

 「会おうと思えばいつでも会えるさ」

 「そうね。…まさかの隣村だものね」

 地平線の向こうから朝日が顔を覗かせる。光が馬車の行く手を照らし、赤色の土を踏み鳴らしながら馬は一気に駆け抜けた。御者台に座るリュウは花嫁衣裳のまま、一身に鞭をならしている。三十分ほど走って、馬車は一軒家の前に停まった。

 「ここは?」

 「わたしが育った孤児院です」

 ラミパス孤児院という札がかけられた扉を了承もなく開いたリュウに、ラヴェンは身を寄せる。

 「こんなに朝早いのに、大丈夫なの?」

 「平気です。ここの朝は早いですから」

 「リュウ! 久しぶりじゃないか!」

 奥から出て来た恰幅のいい男性はリュウを抱きしめようとして、視線を上下に動かした。

 「イメージチェンジかい? とっても良く似合っている」

 「…冗談はよして下さい、園長。アーサ様は?」

 「お部屋だよ。一昨日からまた力作に挑戦しているようでね、食事以外は一切部屋から出て来ないよ。もう起きてキャンバスに向かっている頃合いじゃないか?」

 「そうですか。…お世話をお掛けしてすみません」

 「ははは。連絡一つ寄こさないで仕送りだけしてくる君に比べたら可愛いものだよ。いつもありがとうな、リュウ」

 どんと背中を叩かれてリュウはつんのめる。

 「いえ、……気をつけます」

 「もっともお嬢様は君なら大丈夫だと笑っていたがね。リュウの言うとおり強いお嬢様だ。さあ、君のニュースタイルを早く見せてさしあげるといい」

  冗談めかして見送られながら二階に上がると、子どもたちの賑やかな声が扉越しに聞こえて来た。一番奥の、プレートがかかっていない部屋をノックする。が、返事はない。肩を落としたリュウがおもむろに開くと、絵具の臭いが一気に廊下へ流れ出た。

 「アーサ様」

 部屋の真ん中で、もぞもぞと動いているお尻。

 「アーサ様!」

 ぴくりと身体を浮かして、ようやく振り返った女性――アーサはリュウを映すと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でぱちりと瞬いた。

 「イメチェンしたの? リュウ、似合っているじゃない!」


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