古海海南の事情
今、思えば、これがすべての始まりだったのかもしれない。
あの時、私が居眠りをしていなかったら、
あの時、私が好奇心を抱かなかったら、
あの時、私が彼の『目』を見ていなかったら、
自分の『能力』に気づくこともなく、平穏な日々を送れていたのかもしれない。しかし、これは今となってはどうにもならないことだ。
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ああ、眠いと、私は1限目の英語の教科書をペラペラしながら思った。
英語の鈴見先生 (純日本人) は、「おーけーえぶりぼでぃ!ふーきゃんあんさーでぃすくえすちょん?」と、いつも通り元気溌剌だ。
それに対し、私達生徒は、「のーばでぃうぇるあんさーよぁくえすちょん」と、言いたげな顔で彼女を見つめている。今日は月曜日なのだから、無理もない。
いや、普通、皆んなおネムな月曜日の1限目から異国語を話そうということ自体が間違っている。普通、月曜日の1限目はシエスタだろう!
しかし、日本にはシエスタが存在しないということを、私のスマートな頭が導き出す。その間およそ12秒。
仕方がない、ならば、シエスタを作ってしまおうと、私の眠すぎて上手く回っていない頭が導き出す。要するに、居眠りである。
目を閉じた瞬間、睡魔様(スーツを着たイケメン)がやってきて、私を夢の世界へと連れて行く。
「海南様、私と一緒に夢の世界へと参りましょう」
「はい♡睡魔様……zzzz」
目を開けると、英語の鈴見先生(純日本人)は消えていて、代わりに、数学の田辺先生(独身)が黒板に美しい数式をサラサラと書いていた。ヤベ、もう、3限目じゃん。
睡魔様と夢の世界で、あははうふふしてる間に、1限目の英語と2限目の国語は過ぎていたのだった。ノートを全くもって、取っていない。しかし、私はノートを貸してもらえるほど仲のいい友人はいない。
This is reality.
さあ、どうしようか。
私が柄でもない英文を使いながらダラダラと冷や汗を流していると、横から、ツンツンと突かれた。
見ると、隣の席の藍曽以久多がはにかみ笑顔で此方を見ていた。不意に、私の心情を読み取られたような気がして、鳥肌が立つ。
彼はそんな私に微笑むと、二冊のノートを手渡して、
「寝ちゃってたでしょ? これ、英語と国語のノート。字は汚いけど、良かったら使ってね」
と、優しい声で囁いた。
彼はクラスでもいや、学校内でも人気者で、スクールカーストの上位に位置している。私のようなボッチ女子でも気軽に話しかけてくるし、顔もそこそこイケメンで、女子生徒から愛の告白をされているのを何度か見かけたことがある。こんな私と真反対な彼だが、小学校も中学校も同じだったのだ。よって、私は彼のことをよく知っている。
彼は小6のときまでは、至って普通のモテ男だった。変わってしまったのだ、中学に入学してから。
そこから、私はコイツのことが少し苦手、いや、めっちゃくっちゃ苦手になった。ノートを貸してもらっていて何を生意気な、となるが。
「あ、有難うございます」
取って付けたような礼を小さく述べてから、田辺先生(独身)の授業に耳を傾ける。
しかしその時、私は見てしまったのだ。
私にノートを手渡し、サッと体勢を整えた拍子に、彼の長めの前髪が揺れるのを。
その長めの前髪の間から見える、--もう一つの、『目』を。
ああ、見るべきじゃなかった、と思っても、もう遅い。