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車内に戻ってきたクロウからは硝煙と血の臭いがした。
その臭いを気にしないほど、チトセも鈍感ではない。
チトセはその臭いに憤りと罪悪感を覚えた。
何も言えない自分にも腹立たしさがあった。
もし、自分がクロウに忠告していれば、相手を再起不能にする程度で済んだかもしれない。
どんなに悪人だと分かっていても、人の命は尊重しなければならない。
彼女は常にそう思っている。
そしてそれがこの世界ではどれだけ綺麗事であるかも彼女には理解できていた。
戦争が終結を迎えて五年が経過した現在においても、利己的な感情が他者の命を貪り続けている。そうしなければ生きていけないほどに世界は衰えてしまっている。
それが現実だ。
それでもなお、彼女は命を重んじるべきであると感じている。
現実はそんな彼女には優しくなかった。
窓から覗く光景はこの世界の現実を端的に表現していた。
無慈悲で残酷で当たり前の現実だった。死が直ぐ側を横切って行くのを感じる。
寒気がした。鎌を喉元にかけられたかのように、体は恐怖で縮こまることしか出来なかった。
哀れな自分。そんな自分に憤りを感じてしまうのも無理はなかった。
クロウ自身は何事もなかったかのように、輸送車のエンジンをかけ、アクセルを踏む。
すぐに車体はまた揺れ始めた。
暫しの静寂が彼らの間に訪れる。
「……大丈夫でしたか?」
ようやく絞り出したそれは、答えなど分かりきっているものであった。
それでも、沈黙と罪悪感から逃れたく問う。
そうでなければ窒息死してしまいそうだった。
「大した連中じゃなかった。少し傷が痛んだがな」腹部をさすりながら、ハンドルを握るクロウ。
「まだ治ってなかったんですか……永久の樹に行った時からですよね?」
クロウは人間とは体の構造がまるで違う。
どれだけ重症を負っても二、三日には回復する。実際、彼が自身の負傷した目をほじくり返し、その傷からまるでトカゲの尻尾のように、すぐさま再生が始まるという光景をチトセは目の当たりにしている。しかし、前回の仕事で受けた傷は既に一週間以上が経過したにもかかわらず治ってはいなかった。それは彼の受けた傷が、並みの傷ではないという証拠でもあった。
「少し急ぐぞ」
クロウはその傷について深くは語りたがらない。
話題を無理やり終わらせようとトラックのスピードを速める。
チトセは無言で頷きながら助手席の窓を開ける。
吹き抜ける風が、彼女の黒く美しい髪を揺らす。
車内の硝煙と血の臭いはすぐに風の優しい匂いに変わっていく。
次第に落ち着き、思考が正常になっていくにつれて、チトセはある違和感に気がつく。
それは、クロウが敵と相対する瞬間に感じたものと同じ違和感であった。
だが、彼女はそれを口にすることはなかった。
疲労がそれを阻害した。
たまらず目蓋を閉じる。この残酷な世界が夢であればいいのに。
彼女は心からそう願った。