第四話『お付きの者』
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眠りから覚めるように、由宇は目を開いた。気がついたら目が覚めていた、というのが由宇のいつもの朝なのだが、まさにそんな感じだ。世界は、ごくごく自然に時を戻した。
「どうしたんだ?」
三笠の声だ。いいかげん覚えてしまった。彼はどうやらルックスはいい、頭もいい、性格もいいの三拍子揃った完璧人間だと思われる。いつもの由宇ならめらめらと闘争心を燃やすところなのだが、あいにく今は興味がない。
「いや、何でもないよ」
三笠とのやりとりをさっとすませ、少女の方を見る由宇。彼女は一人で席に座っている。『さっき』はここで彼女を見失ってしまったが、今回はそうならずにすんだようだ。
しかしいずれにせよ、状況が好転したわけではない。彼女一人だけでもやっかいなのに、お付きの者まで現れたというのだから、面倒なことこの上ない。とりあえず、現状を打開する策が見つかるまでは様子見をしなければならない。
と、突然彼女が立ち上がった。教室を出ていこうとしているのだろう。それに合わせて由宇も立ち上がり、後方にある教室の出入口の方へ振り返る。そしてそのまま彼女の跡をつけようとしたのだが……。
ーーまじかよ。
思わずため息をつく由宇。というのも、由宇の視界に例のお付きの女がうつったのである。少女はお付きの女に声をかけ、二人は教室を出ていく。
お付きの女も同じクラスというわけだ。何ともまあ、残念な展開。これからの高校生活はずいぶんと波瀾万丈なものになりそうな予感だが、今はそれを気にしても仕方ない。由宇も教室を出て、二人に気づかれぬよう跡をつける。
周りの一般生徒たちは相変わらず道を譲ってくるため、正直由宇は目立ちまくりだ。これでは跡をつけるもくそもないのだが、前方にいる二人は後ろを振り返るそぶりもみせない。
ーーどこに行くつもりだ……?
そうこうしているうちに、廊下の突き当たりまで来た。二人は左右に分かれる廊下を左に曲がる。左にあるのは階段だ。そのまま階段を下りていくのだと思い込んだ由宇は、何の警戒もなく曲がり角に足を踏み出そうとした。しかし、
「それでお嬢、話とは何でしょう?」
声が下の方からきこえてこないのを察知し、ぎりぎりで踏みとどまる由宇。顔だけ出して覗いてみると、やはり二人はそこにいた。
「実はね……あ、いや、その前にちょっときいてもいい?」
何か言いづらそうに、もごもごと話す少女。それは由宇が初めて見る、彼女の意外な一面だった。
「何でしょう」
「あたしたち、親友よね?」
「ええ、もちろんです。私にとってお嬢は、一番の親友であり主であります。」
「なら、あたしがおかしなこと言っても信じてくれるかしら」
「当然です。私はいつでもお嬢の味方ですから」
「そう、よかった」
どうやら二人はただの主従関係ではなく、深い絆でも結ばれているようだ。しかし由宇は、そんな甘酸っぱい青春をききにきたのではない。引き続き、二人の監視を続ける。
「クラスに氷室由宇って男子がいるでしょ?」
唐突に自分の名前が出てきたことに少し反応してしまう由宇。果たして今のは由宇の名前が出てくる流れだったのだろうか、いささか疑問である。
「ええ、たしかに。何でも学園一の秀才だとか。しかし彼がどうかしましたか?」
「彼にはね、タイムリープができるの」
「タイムリープ……?」
困ったような、お付きの女。いきなりタイムリープがどうこうなどといわれたのだから、その反応がふつうである。しかし気前よく返事をしたばかりに信じられないとは言えないのだろう。お付きの女の声は途切れる。
少女はつづけて、最初に由宇と会ったときと同じようにそう考える根拠を並べていった。それらは何の証拠にもなっていないはずなのだが、筋が通っていて妙に説得力がある。学校の皆がこの話をきいたら、本当に信じてしまいそうだ。
「どう?やっぱり信じられないかしら……?」
話しおえて、深く息をつく少女。
「……いえ、そんなことは……」
お付きの女の方はというと、お嬢の話には納得させられたが、一方でそんなことがありえるのかと頭の中がまとまらないといったところだろう。
「無理もないわ。タイムリープだなんて、まるで漫画かなにかだもの。でもね、こればっかりは本当なの」
「え、ええ、もちろんお嬢のおっしゃることなら本当なのだと思いますが……。なにぶん頭が固いもので」
「そんなことないわ。最後まできいてくれただけでも、あたしは嬉しいわ。ただほんの少しでも信じてくれるなら、頼まれてほしいことがあるのよ」
少女がそう言ったところで、休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り出した。二人は何かを話しているが、距離が遠く、チャイムの音にかき消されて聞こえない。しかし……。
ーーなるほど。
由宇は理解した。会話をきかなくともそれができたのは、お付きの女がポケットから鎖を取り出したからである。彼女が頼まれたのは、その鎖で由宇を拘束することに違いない。どうして鎖など持ち歩いているのかわからないが、お付きの者とはそういうものなのかと勝手に納得する由宇。
ーーあいつは休み時間になるまで僕の秘密を知らなかったってことだ。なら次に僕がすべきことは……。
チャイムが鳴り終わる頃には、由宇の頭の中には次の計画が浮かんでいた。それには不安要素はある。『さっき』のように失敗してしまう可能性もある。しかしそれでもやるしかない。自分を奮い立たせて覚悟を決めたところで、由宇はゆっくりと目を閉じた。もう一度、時間を遡るのである。
◆
ーーよし……。戻ったな。
目を開けると由宇は、自分が教室にいることを確認した。『さっき』と同じ休み時間だ。最後の授業が終わったからか、周りの生徒たちはどこか開放感に満ちあふれているように見える。
「どうしたんだ?」
またしても三笠の声である。
「いや、何でもないよ」
三度目の会話をさっと済ませ、背後を振り返る由宇。お付きの女はというと、席について黙々と勉強をしていた。机の上には教科書類だけでなく、『センター対策』と書かれた分厚い問題集が置かれている。まだ二年になったばかりだというのに、ずいぶんと勉強熱心なことだ。
ふと、横目で少女の方を見たが、まだ動き出す気配はない。今のうちだ、と由宇は立ち上がり、お付きの女の方へと向かう。
「勉強中わるいけど、ちょっといいかな?」
彼女の席の前まできた由宇は、なるべく警戒されないように、いつも演じているような話し方で話しかけた。由宇が自分からクラスの女子に話しかけることは珍しいためか、女子の群れからの強い視線を感じる。きっと今この朱里とかいう女は、クラスの女子全員の嫉妬の対象となっていることだろう。
「何だ、貴様」
勉強の邪魔をされたからだろう。迷惑そうな表情を隠すことなく、顔を上げる彼女。彼女にとっては由宇は初めて話す相手であるはずなのだが、いきなり貴様などとはずいぶん失礼な女だ。お嬢といいお付きの女といい、どうしてこうなのかと由宇は少し苛立った。しかしその様子を顔に出すわけにもいかず、
「ごめんね、邪魔しちゃって」
「ああ、全くだ。それで?一体何の用だ」
「あ、ああ、実は君に話があるんだ。邪魔してわるいけど、ちょっと来てくれるかな?」
そう言って由宇は、彼女を教室の外に連れ出そうとするわけだが……。
「なぜだ、ここで話せばいいじゃないか」
ごもっともな意見である。ただ会話をするだけのことでわざわざ教室を出るというのは、時間のムダ、労力のムダである。ましてやそれが話したこともないような相手ととなるとなおさらだ。お嬢にならついていくのは、築き上げてきた信頼の違いだろう。
「い、いや、そうなんだけどね……。でもあまり人にはきかれたくないことなんだ。だから外で話をさせてほしい」
少し教室がざわつくのを感じる由宇。主に女子たちの残念そうな声だ。由宇が告白をするとでも思っているのだろう。お付きの女も周りの野次馬たちと同じことを考え空気を読んだのか、さっと立ち上がって言う。
「いいだろう。しかし、なるべく手短にな?」
「も、もちろんそんなに時間はとらせないよ」
「ああ、当然だ」
そして、由宇とお付きの女は教室を出る。去り際、教室内はますます騒がしくなったようだが、思ったほど悪い気はしない。それには、自分の人気が実感できるという理由もある。しかし一番大きいのは、このお付きの女はよくみると、けっこうな美人であるということだ。むろん人を貴様呼ばわりするような女に興味などないのだが、やはりうわさになるなら美人とがいいということだ。
しかしそんなことより、気になることが一つある。それはあの少女が何の動きも見せなかったということである。由宇がいきなりお付きの女に話しかけること自体、不自然なことである。きっとあの少女のことだから、由宇がタイムリープしてきたことには気づいたに違いない。だとしたら彼女はすぐに何か策をこうじてくるはずなのだが、今のところそういった様子はない。それはなぜか。考えれば考えるほど、不気味に感じられる。
「それで、話とは何だ?」
階段まで来たところで、お付きの女は言った。そこは『さっき』少女とこの女が会話をしていたところである。考えを巡らせていたせいか、由宇にはあっという間についたように感じた。
「あ、話っていうのは……」
「まさか、告白じゃないだろうな。だとしたら悪いが、私はそういうことには興味がないんだ」
「あ、いや、そうじゃないんだ」
ん、と首を傾げるお付きの女。少しの間のあと、自分の勘違いに気づいたようで、
「そうか、それはすまない。勝手にその気になってしまっていたようだ。忘れてくれ」
潔くてよろしい。由宇の彼女に対する評価は、ほんの少しだけ見直された。
「いいよいいよ、気にしてないから」
「しかし、だとしたら一体何の話なんだ?」
「ああそれはね、君もよくご存じの『お嬢』についてだよ」
途端に、彼女の顔色が変わった。刃のように鋭い目つきである。これから由宇が何を言おうとしているのか、何をしようとしているのか。そのだいたいを、理解したように見える。さすがはお付きの者などをやっているだけのことはある。察しがよくて助かる。
「まさか……」
「わかってくれたかい?そういうことだから……」
「まさか貴様、お嬢に告白する手助けをしろと、そう言いたいのか!?」
ーーえっ……?
思わず耳を疑う由宇。しかしどうやら聞き間違いではないようだ。お付きの女の顔は、至って真剣である。察しがいいだなんてとんでもない。この女は、何も理解していなかったのである。
お付きの女は、やはりお嬢のこととなると冷静さを欠くようで、敵意のまなざしを向けてさらに続ける。
「それだけは断じて許さんぞ!学園一の秀才だか何だか知らないが、貴様ごときがお嬢につりあうはずがないだろう!」
「いや、だからそうじゃ……」
「だいたいお嬢にはな、恋愛ごときにうつつをぬかしている暇などおありではないんだ!」
本当に人の話をきかない女だ。これでは全くと言っていいほど話が進まない。少しばかり見直されたはずの彼女に対する評価も、すでに最低にまで達してしまっている。あきれて相手をする気も起こらない。しかしかといって、このままにしておくわけにもいかず、
「あのさ、だから違うんだって」
「は?では何だと言うんだ」
まだ何か言いたそうにする彼女にはかまうことなく、由宇はようやく本題に入る。
「実は『お嬢』のことで君に、ちょっと脅迫させてもらおうと思ってね」