第三話『鎖に縛られて』
今由宇の目の前に立っているのは、まぎれもなくあの少女だ。彼女は赤みがかった髪をなびかせ、得意気に由宇の方を見ている。
手間が省けた、と由宇は思った。おそらく由宇がタイムリープしてきたことに気づき、体育館裏に現れないことを見越して玄関で待ち伏せしていたというところだろう。しかし由宇はもう覚悟を決めたのだ。今さら彼女から逃げ回るつもりもない。
「ああそうだ。僕にはタイムリープができる。だからとことん利用させてもらったさ」
堂々と認めてやった。これにはさすがの彼女も驚いたらしい。まさかこうもあっさりと認められるとは思ってもみなかったのだろう。彼女の顔から自信が消えてゆくのを感じる由宇。その顔が見たかったのだ。
「だったら」
「そんなことより」
彼女の言葉を遮った由宇は、さらに続けて言う。
「お前、髪の毛染めてるだろ?」
「……え?」
「ごまかしても無駄だ。皆は気づいてないのかもしれないが、僕の目はごまかせない」
「えっと……」
彼女の顔からは明らかに戸惑いの様子がうかがえる。これはもう、形勢逆転というやつだろう。あとはほんの少し脅迫してやるだけ。そうすれば由宇はこれまでどおりの平和な日々を送ることができるのだ。
「いいか、よくきけ。染めるのは校則で禁止されているはずだ。このことを黙っててほしかったら、僕がタイムリープできることは誰にも言うんじゃない。わかったな?」
そう言い終えると、由宇の身体に達成感のようなものが流れこむ。これでようやく安心できる。そう思っていたところ、
「ねえ、あなた何か勘違いしてない?」
「何が」
「あたし別に髪の毛染めてなんかないわよ。これは地毛」
「は?見苦しいぞ。そんなに赤いのに、染めてないはずがないだろう」
「本当よ。たしかに人よりほんの少し赤っぽいかもしれないけど、真っ赤ってほどじゃないでしょう?それに学校には地毛証明書だって提出してあるわ。何なら先生方にきいてみたらどうかしら」
そう言って彼女は自分の髪の毛を撫で下ろす。たしかに、言われてみればそこまで赤いというほどでもない。夕日がさしたときの印象が強かったために、少々補正がかかっていたのかもしれない。
ーーまさか、本当に染めてないのか……?
と、ここまできてつい先程までの自分を恥じる由宇。よくよく考えてみれば、彼女が髪の毛を染めているなら学校や周りが全く気づかないなど、ありえない。すでに注意を受け、元にもどしているはずなのだ。とすると、この脅迫には何の効果もないということ。由宇は、そんなこともわからなかった自分の愚かさを思い知る。勝手に勝ち誇っていただけであって、形成は全くといっていいほど逆転していなかったのである。
「それで?あなたのそのつまらない脅迫はもう終わりなのかしら」
呆れた表情の彼女。由宇が何も言い返せないでいると、
「あなたはタイムリープを認めたわけだから、さて。あなたがこれまでにしてきた数々の悪事。それを学校の皆に黙っていてほしければ、あたしのいうことを何でも従順にきく『犬』になりなさい。」
ーーああ、またかよ……。
『さっき』と同じセリフをきいて、全身の力が抜けていくのを感じる。由宇はまたも追いつめられてしまったのである。しかしそれもそのはず。由宇はすでにタイムリープを認めてしまったのだから、今度はそれをネタに脅迫されるのも当然のこと。
ーーこうなったら、もう一度戻るしか……。
そう思ったときだった。背後から金属音がきこえたかと思うと、鎖のようなものが由宇の上半身を縛りつけた。由宇の身体は何者かに取り押さえられる。さらに片目をぐいっと開いた状態に固定され、瞬きを封じられる。それはあっという間の出来事で、由宇には振り向く時間すら与えられなかった。
「お、おい!何なんだこれは!」
由宇は必死の抵抗をするものの、上半身と共に手が鎖で縛られているせいで、ほとんど身動きがとれない。ならば、と足を使って抵抗しようとするが、背後にいる何者かに両足ともに思いっきり踏まれてしまい、それすらもできない。
「お嬢、これでよろしかったでしょうか?」
背後にいる者の声をきき、驚ろく由宇。何と女子だったのだ。見ると、その女も星条の制服を着ている。学年章の色から、同学年であるということもわかる。自分は今同い年の女二人にあっけなく捕まっているという状況なのだ。こんな光景、死んでも人には見られたくない。
「ええ、もちろんよ。ありがとう、朱里」
「ですがお嬢、ここまでする必要があるのですか?」
二人の会話に違和感を覚える由宇。朱里と呼ばれる背後の女子は、目の前の少女に対してずいぶんとへりくだって話をしているではないか。それに……。
ーー『お嬢』って何だよ。この女まさか、どっかの令嬢だったりでもするのか……?
「ええ。あなたにもさっき話したでしょう?この男はタイムリープができるの。それも両目を閉じるだけでね。だから彼にタイムリープさせないためには片目でも閉じさせないようにするしかないの」
ーーな……。
他にも秘密を知る者が現れたと知り、面倒なことになったと感じる由宇。しかしそんなことよりも、少女の発言には驚くべき点が二つあった。第一に、タイムリープの際のモーションまで見破られていたということ。第二に、タイムリープに対する攻略法まで用意されていたということ。しかし今はそれを気にしている場合ではない。何とかしてこの状況から抜け出さねば、戻ることはできない。
「なるほど。ですがタイムリープというのはまちがいないのでしょうか?私には到底……」
「やっぱり、信じられないかしら」
「いえ、そういうわけではないのですが……。しかしそれにしてもこの男、先程から全く抵抗してきませんよ?」
ーーいやいや、こっちは必死で抵抗してるんだが。あんたの力が強すぎんだよ。
由宇の必死の抵抗に、背後の女は全く気づいていないようだ。彼女にとってはそれほどまでに、由宇の力は微弱なものらしい。女に力で敵わないとは、何たる屈辱。
「そう?あたしにはひっくり返って必死でもがくダンゴムシのように見えるのだけれど」
本当に失礼なことばかり言う女だ、とつくづく思う由宇。『初めて』会ったときには顔を見るやいなや大笑い。そして今度は人をひっくり返ったダンゴムシ呼ばわり。仮にも初めて話す相手に対して、ふつうそんな態度をとることができるものだろうか。そう思うと、怒りがこみ上げてくる。
ーー落ち着け。今さらこの女の性格に文句を言っても仕方がない。まずは現状を……。
と、状況の確認を行う由宇。目がとても痛い。瞬きすら封じられ、戻ることができない状況。そして手足は全く動かせない。背後の女の拘束から抜け出すことなど到底できない状況。はっきり言って、完全に詰んでいる。絶望しか感じられない。しかしその様子を悟られては敗けだ。
「それで?僕をどうするつもりなんだ。あんたらだって、いつまでもこうしているわけにはいかないだろ?かといって僕を解放すれば、僕はまた戻るだけだ」
出来る限りの虚勢を張る由宇。由宇にできることは、もうそのくらいしかない。
「ええそうね。もちろん今こうさせてもらってるのにはちゃんと理由があるわ。間接的にはあなたを徹底的に服従させるためってとこなんだけど、直接的には違うわ」
「だったらそれをきかせてもらおうか」
「そうね。でもそれを言ったらあなた、もっと抵抗すると思うの。だから……」
「お嬢、それに関しては心配無用です。この男は私が抑えておきますから」
背後の女が口を挟む。朱里というその女は、ずいぶんと信頼されているらしい。それを聞いた少女はそれならと決断をしたようで、やがて口を開く。
「わかったわ、教えてあげる。あなたをこうして拘束している理由はただ一つ。あなたから『能力』を奪うためよ」
ーーは……?
由宇にはそれが何のことか、全くわからなかった。彼女の言葉はただ耳から耳へと通り抜けていくだけで、何の意味も成さない。
「……何だって?奪う……?」
「ええそうよ。だってそうでもしなきゃ、あなた何度だって戻るでしょう?」
ここまで言われてやっと、彼女の言う『能力』の正体に気づく由宇。たしかに彼女がそれを奪えば由宇は過去に戻ることができなくなり、由宇を完全に服従させることができるというわけだ。ほんの少し、彼女の意図が垣間見えた。しかし残念ながら、まだ彼女の言葉の全てを理解するには到底及ばない。そもそも過去へと戻るこの『能力』は譲渡可能なものなのか。だとしたら彼女はなぜそれを知っているのか。そしてどういった方法で奪うつもりなのか。頭の中では謎が深まるばかりだ。
「いや、でも……奪うったって一体……」
「簡単なことよ」
そう言って彼女は一歩、また一歩と近づいてくる。手が届く距離になり、そして彼女は立ち止まる。しばらくの間、何ともいえない沈黙が続いた。やがて由宇の頬へ手をのばす彼女。それとほぼ同時に、由宇の身体はのけぞった。
ーー壊される……!
そう感じた。身体が恐怖を感じているのだ。彼女がどういった手段で『能力』を奪うのかはわからない。しかし手段などこの際どうでもいい。由宇のもつこの『能力』は、決して奪われるわけにはいかない。それを失うということは由宇にとって、世界が崩壊するようなものなのだ。
ーーいやだ……
ーー壊されたくない……
ーー壊されてたまるか……!
気づくと由宇は、目の前の少女に頭突きをくらわしていた。ひとまず危機から免れた。時間を稼ぐこと、それが最後の賭けだった。彼女は床にしりもちをつき、痛がるそぶりをみせる。案の定、背後の女は力を強め、そしてやはり目からは手を離してくれない。しかし……。
「貴様、お嬢になんてことを!」
後ろから、怒りに支配されたような声が由宇の鼓膜を震わした。その声は先ほどまでより一段と大きく、玄関に響きわたる。それは由宇の予想通りだった。朱里というこの女は一見してクールな女だが、お嬢のこととなると冷静さを欠くに違いない。根拠は何もないが、そう考えたのだ。
「ただ頭突きをしただけだが。何か問題でも?」
「大アリだ!この方を誰だと思ってる!」
「そんなの知るかよ。誰であろうと関係ないな」
「ふざけるな!お嬢に危害を加えるなら、容赦はしないぞ!」
「あんたらだって僕に危害を加えているだろうに。人のこと言えんのかよ」
「……」
珍しく、由宇の口から出たのは正論。背後の女は言葉に詰まる。少女も何も言わないようで、無言のまま起き上がる。やがて、廊下の方からは足音がきこえてきた。
「君たち、何をしている。騒がしいぞ」
振り返って声の主を確認した由宇は、賭けに勝った、と思った。やって来たのは、この学校の生徒会長である。
「すいません。何か彼女たちにつっかかってこられて。それで縛られてしまいました」
やはり生徒会長の視線は、まず鎖に行った。日常生活において、鎖で縛られている人間を見る機会などふつうはないのだから、当然のことだ。しかしさすがは生徒会長。こんな状況にも冷静に対応する。
「よくわからないけど、俺は生徒会長として、この状況を見過ごしておくことができない。君たち、彼を離すんだ。」
ここ、星条高校は進学校だ。放課後には生徒たちが集中して勉強できる環境づくりがなされている。生徒会もそれに力を入れており、騒がしくすれば、正義感溢れる生徒会長様がやってくるというわけだ。自分一人で何とかならないならば、遠慮なく人の力を借りればいい。第三者に目撃されるという状況になれば、彼女らは拘束を解除せざるをえないのである。
背後の女は由宇の目から手を離し、鎖をほどき始めた。後ろにいるので顔は見ていないが、その荒々しい手つきからはくやしがった顔が容易に想像できる。
ーーあとは、戻るだけだな。
ふと少女の方を見ると、その顔は酷く歪んでいた。
ーーざまあみろ。
由宇はその様子をあざ笑いながら、ゆっくりと瞼を閉じた。