第二話『あなた、タイムリープしてるでしょ?』
「あなた、タイムリープしてるでしょ?」
それは唐突だった。あまりにも的確な言葉に、やはり何も言えない由宇。どこの世界に、そんなことを言う人間がいるだろうか。そんなことを言われる日が来るなど、思ってもみなかった。
さっきまでずいぶんと時間の流れが遅いように感じていたが、今やそんなレベルの話ではない。もはや、時間は止まったも同然だ。
ーー何なんだよこの展開は。何でだ、何でバレた……?
あせりと不安が、由宇の身体にどっと押し寄せた。冷や汗が流れるのを感じる。手が震えているのも感じる。ドクドクドクという心臓の鼓動も感じる。やはり、怖いのだろう。目の前にいる、得体の知れないこの少女が。
「あら、黙ってるってことは図星なのかしら」
少女は、してやったり、というふうな顔をしている。
「ど、どういうことかな?タイムリープ?君は一体何を言っているのやら……」
やっとのことで言葉が出たものの、声がうわずってしまった。これではかえって怪しい。しかし由宇には冷静でいられる余裕などあるはずもない。
「とぼけても無駄よ。あなたがタイムリープしてることはわかってるもの」
「な、何を根拠にそんなこと……」
「あたしがそうだから、って言ったら説得力はあるかしら」
由宇は一瞬、自分の耳を疑った。しかしそれが聞き間違いではないことくらいわかっている。恐怖を通り越して絶望すら感じ、またも言葉を失う。
信じられないことだ。タイムリープしてきたなどと言われて、信じる方がおかしい。だが、よくよく考えてみればあり得ないことではない。現に由宇は、タイムリープと呼ばれるそれをすることができるのだ。由宇以外にもできる者がいてもおかしくない。いやむしろ、由宇にだけできるという方が、よっぽどおかしいのだ。
それに、由宇の秘密を知っている理由も、本当に彼女が未来から来たというくらいしか考えられない。しかし、もしそうだとしたらとここまで考えたところで一つ疑問が浮かぶ。
ーー僕は未来で、こいつに自分の秘密を話したとでもいうのか?……いやいやありえないだろ。一体何があればそんなことになるんだよ。
すでに由宇の頭の中は、それはもうぐちゃぐちゃだった。いわゆるパニック状態というやつだ。もう何もわからない。かすかにきこえる烏の鳴き声さえも由宇を混乱させるものとなりえている。
と、少女が突然口に手を当て、俯きながらくすくすと肩を震わせだしたではないか。
「あはは、あははは、冗談よ冗談。あたしがタイムリープなんてできるわけないじゃん」
そう言って彼女はまた、腹を抱えて笑い出した。しかも今度は涙まで流している。
ーーは?
何がそんなに面白いのかは理解しかねる。しかしとりあえず、由宇は相当馬鹿にされていたというわけだ。それを思い知ると、恐怖や絶望といった感情は急速に引いてゆき、代わりに怒りがこみ上げてくる。
「ふざけるなよ!何なんだよお前は!」
由宇は声を荒げた。すると彼女は真顔に戻り、
「ようやく本性をあらわしたみたいね。一体皆はこんな奴のどこがいいのやら」
「黙れ!用がないんならとっとと帰ってくれないか!」
「用?用ならあるわよ。さっき言ったでしょ?」
「タイムリープのことか?からかうのもいい加減にしろ!根拠もなしにでたらめ言いやがって!」
「根拠もなく言わないわよ。さっきのはちょっとあなたの出方をうかがってただけ。今から全部、さらしてあげるわ」
そう言って、彼女は制服の胸ポケットからメモ帳のようなものを取り出した。どうやらそこに彼女が根拠と言い張るものが載っているようだが、タイムリープに証拠など残るわけがない。何の心配もいらない。そう、たかをくくっていたのだが……。
ーーおいおい嘘だろ?
彼女の話を聞きおえ、さっき出ていったはずの恐怖と絶望が戻ってくるのを実感する由宇。彼女が根拠として提示した事例はどれも、由宇が過去へ戻ったときのものだったのだ。証拠としての効果は全く発揮していない。しかし全部見破られていたのだと思うと恐ろしい。一体どうしてそんなことに気づけるのかと不思議で仕方がないが、そんなことをきいてしまっては認めてしまうことになる。由宇が今すべきことは、最後までしらを切ることだ。
「それがどうして、僕がタイムリープしてるって発想になるんだよ!イカれてやがる!」
彼女は開き直り、
「そうね、あたしってほんとイカれてるわ。だからどうしてもそういう発想になっちゃうの」
「そ、そうかよ!だとしてもそんなのはどれも証拠にはならないだろ!」
「ええそうよ、『証拠』はないわ。でもこれらはすべて、あたしがあなたを疑う『根拠』よ。あたしはあなたに言われたとおり、『根拠』を述べただけ。間違ってるって言うのならどうぞ遠慮なく言って。ただし、あなたの潔白が証明されるような確たる『証拠』と共にね」
「な……」
そして、俯く由宇に彼女はとどめをさす。
「ないならあなたは黒ってことでいいわね。あなたがこれまでにしてきた数々の悪事。それを学校の皆に黙っていてほしければ、あたしの命令を何でも従順にきく『犬』になりなさい」
自分の顔が醜く歪むのを感じる由宇。なかば強引にねじ伏せられ、脅迫までされてしまった由宇には、もう残された選択肢はたった一つだけ。戻るしかない。
ーーこんな世界、僕は認めない!
由宇は目を閉じ、この世界との接点をたつ。今日、体育館裏へ行かなければいい。あの少女と会わなければいい。そうすれば脅迫だってされずにすむかもしれないし、ひとまず穏やかな日常を確保することができるかもしれない。
「逃げるのね」
最後にそうきこえた気がしたが問答無用だ。逃げるのではない。平和な日常を壊されないようにするだけだ。由宇はそう自分に言い聞かせ、ゆっくりと目を開けた。
◆
ーーああ、僕の世界だ。
慣れ親しんだ、教室の天井が目に入りこんでくる。由宇が戻ったのはちょうど最後の授業が終わった時点。このときの由宇は、チャイムの音とともに大きく背筋を伸ばしていた。『さっき』味わった恐怖と絶望はすぐに忘れられ、新しい世界に順応する。くすぐったいような、そんな感覚。それはまさしく、由宇の築き上げてきた平和な日常を象徴しているかのようだ。
由宇は教室を見渡し変わらない日常を噛みしめ、平和の余韻に浸る。もうあんな世界はごめんだ、こんな世界に生き続けたい。心の底からそう願うばかりだ。
と、そんなことを考えていたときのことだった。窓際の席。由宇の視界の端にはきらびやかなローズレッドが。まさかと思いそこに焦点をあてると、先程のあの少女が由宇の方を見ていた。すぐにこちらの様子にも気づいたらしく、にこりと笑う彼女。冷たい笑みだ。
ーーまさか、今僕がタイムリープしてきたことに気づいたんじゃないか……?
そう気づくのに、ほとんど時間は必要なかった。背筋が凍るのを肌に感じる由宇。新しいクラスになってからまだ日が浅いとはいえ、まさか同じクラスの生徒だとは気づきもしなかった。このままではまた平和な日常が壊されてしまうかもしれない。この日何度目かもわからないような恐怖と絶望が由宇に襲いかかる。
「どうしたんだ?」
ふいに左隣から声がきこえてくる。目を動かすと、由宇の方を見ている男子生徒の顔が見えた。ずいぶんと不思議そうな様子だ。
「……えっ?」
「何かいきなり震えだしたから。大丈夫か?」
「あ、ああ……。大丈夫だよ」
「そうか。ならいいけど」
どうやらはたからみてもわかるくらいに、恐怖の感情をにじみ出させていたようだ。五、六人の女子生徒の群れが心配そうにこちらを見つめている。それにしても、この男子生徒……。
ーー誰だっけな……。ずいぶんとイケメンじゃないか。
恐怖から気をそらすように、頭の中で彼の情報を検索する。
ーーあっ……。三笠とかいう野郎か!
しばらくしてやっと顔と名前が一致し、若干の心のもやもやが消える。だが、やはりそんなことで恐怖が紛れるはずもない。由宇が築き上げてきた平和な世界は、いつ壊れてもおかしくない状況。非常に不安定なのだ。こうしている間にも、あの少女は何か企んでいるに違いない。そう思い、あわてて彼女のいた方を見る由宇だが……。
ーーいない……?
窓際の席に、彼女はいなかった。さっきまでたしかにそこにいたはずだ。一体いつの間に、そしてどこへ消えたのだろうか。そう思ったとき背後から、
「ねえ皆、タイムリープって知ってる?」
聞き覚えのある単語に、心臓が止まったような気分になる由宇。それは例の女子の群れの会話だった。『さっき』の休み時間、由宇は眠りについていたから聞いていなかっただけで、おそらくそのときにも同じ会話が繰り広げられたのだろう。もちろん偶然だ。それはわかっている。わかっているのだが……。
「うん知ってるよー。意識が過去とかにとぶやつでしょー」
「そうそう、『トキカケ』のやつ!」
「『トキカケ』?何それー?」
「『時をかける幼女』じゃない。知らないの?」
「えー知らなーい」
たちまちのうちに例の群れの会話は広まってゆき、クラス中がタイムリープの話題に。一時は不安に思われたが、どうやら『時をかける幼女』とやらの話題につきっきりのようだ。自分の秘密はまだ皆に知られていないことを確認し、とりあえずほっと胸を撫で下ろす。
しかしながら、まだ何も解決できていないことを忘れてはならない。『今』こそこの世界の平和は保たれてはいるが、同じクラスにいるということは、彼女から逃げ続けることはもはや不可能だ。そしておそらくあの少女はまた由宇を脅迫してくるだろう。この平和な世界を維持するには、脅迫されるよりも前に彼女を黙らせるしかない。そうして思案しているうちにチャイムが鳴り、先生がやって来て、やがて終礼が始まった。
先生は次の日の時間割変更や持ち物といった、今の由宇にとってはどうでもいいような連絡事項を延々と話す。それに、それらはもうすでに一回聞いた情報だ。言われなくてももうわかっている。
ーーこっちは今、気が気でならないんだよ。
由宇は窓際の席に目をやった。理由はわからないが、彼女はいまだに教室に姿を見せない。先生も何も言わないということから、単にトイレに行っていただけというオチを期待してみたものの、どうもそんな気はしない。トイレに行くと嘘をついて由宇を陥れる準備をしているのかもしれない。そんなことばかり考えてしまい、由宇の不安はより一層高まるばかりだ。
ーーあいつは一体どこへ消えたんだ……?
終礼の間、由宇はずっと教室の出入口を見ていた。しかし結局あの少女が戻ってくることはなく、終礼は終わりを迎えた。腕時計の針は午後4時をさそうとしている。由宇は鞄に荷物をしまい、教室を出る準備をした。
ーー落ち着け、落ち着くんだ。何も恐れる必要はない。こっちが先に脅迫してやればいい。そうすれば、あるいは……
「氷室くん、もう帰るの?」
深呼吸をして息を整えていると、後ろから声がした。振り返らなくてもわかっている。また例の群れの一人だ。いつもの由宇であればしっかり相手をしてあげるところだが、今はそれどころではない。
「勉強だよね。悪いけど今日は急いでるんだ、また今度にしよう」
「う、うん……」
用件を言い当てられたこと、いつもより少し冷たい由宇の反応。それらが意外だったのだろう。彼女は口をぽかんと開けたまま突っ立っている。それを横目に鞄を担いで大急ぎで教室を出た由宇は、そのまま長い廊下を駆け抜け、階段を下る。生徒たちが相変わらず道を譲ってくれるため、玄関にはあっという間にたどり着いた。そして靴箱を開け、あのラブレター擬きを破り捨てる。あとは体育館裏へと向かうだけ。脅迫のネタは考えてある。
ーーやってやる……!
恐怖を振り払い、覚悟を決めた、まさにそのときだった。
「あなた、タイムリープしてるでしょ?」
声がきこえてからワンテンポ遅れて、ローズレッドの髪が由宇の視界の真ん中に写りこんだ。