助手だけが、帰った。
一同の沈黙の中。初老の管理人は口を開いた。
「人形を戻して……何かまずい点でもあったかな? しかし、規則ですから」
ケインは軽く首を振る。
「いいえ。ただ、ルイス君の方がまだ問題を把握していませんのでね」
「あぁ……。それは後で話そうと思ってたんだが、どうも最近ルイス君を見かけなくて」
「彼は最近、ホテルに泊まってたようです」
「そうですか」
「ありがとうございました。では失礼」
と、ケインは管理人室のドアを閉じた。
ロアリーとルイスは、まだ事情が飲み込めない。
「ちょ、ちょっと! なに? どういうことなの? 管理人さんが、人形を運んだ犯人だったの!?」
「ああ。今、彼がそう言ってただろ?」
ロアリーは、うずうずと身体を震わせる。
「なんで!? どうしてそんなことする必要があるの!?」
「別に悪意があってのことじゃない。彼は……職務に忠実だっただけさ」
「じゃあ、どうして……!」
そこでケインは皆を促した。
「ルイスの部屋に戻ろう。歩きながらでも話はできるよ」
ゆっくりと歩きながら、ケインは言う。
「ロアリー。君は人形の移動を、誰かの意図的なものだと考えたね」
「うん、まあ」
「あの人形が、一度捨てられたのだとしよう。もちろん、捨てる途中のルイスの姿を『誰か』が見たのかもしれないが……そうじゃない場合。あの人形が、もともと誰の物かを知っている人間は、ごくごく僅かしかいないんだ。それは誰かな」
「えーと、亡くなったマヘリアさんには遺族がいないのよね…。だから…?」
「ルイスが人形を形見として受け取った時にいた人物……刑事たち。あとはルイスが帰りに会った人物……管理人。彼らだけにしか、あの人形がルイスの物であるとは、知らないんだ」
「んー……」
「だから。人形の移動が意図的な物だとすると、犯人は彼らの中にいる可能性が高い。どうだい、簡単な問題だろう?」
「でも、でもさ! だから、どうして管理人さんが、わざわざ捨てられた人形を、ルイスの部屋の前に戻したの?」
そこでルイスの部屋へと帰ってきた。ケインが最初に、続いてロアリー、最後にルイスが部屋に入る。
ケインは、床に置かれている人形を手に持って、言う。
「ロアリーは、『何故、捨てたはずの人形が戻ってきたのか』と疑問に思ったね。もうちょっと詳しく、それを見つめればいい」
「『玄関前』に戻ってきたってところを?」
「いいや。ロアリーも、ルイスも忘れてるようだけど。人形と一緒に、ルイスは何かを捨てたはずだよ」
それにはルイスが即答する。
「ぬいぐるみです! マヘリアの形見として、ぬいぐるみも受け取った。それも捨てました!」
「そう。ルイスは人形とぬいぐるみを、一緒に捨てた。だけど人形が戻ってきた。……人形『だけ』が、戻ってきたんだ。どうしてだろう」
「だからぼくは、マヘリアの怨念が乗り移ったのかと……」
ケインはその言葉を、かなり強引に遮る。
「この人形に霊的なエネルギーはない」
そしてロアリーの方を向いて、問いかけた。
「ねえロアリー。どうして人形『だけ』が戻ってきたのだろう」
「え? 人形とぬいぐるみ……? そっか。何か、違うんだ」
「そうだ。その『違い』こそが、人形『だけ』が戻ってきた理由なんだ。さあ、両者はどう『違う』かな」
「形……じゃ、ないよね」
ロアリーは頭を抱えて考え込む。その彼女に、ケインは人形を差し出した。
「これを持ってみればわかるよ」
「?」
恐る恐る、ロアリーは人形を受け取った。しかし、それでも何もわからない。
「……」
「どうかな。人形やぬいぐるみなんてのは、ロアリーのほうが詳しいと思うが」
「わかんないよ…」
ケインは諦めたように、言った。
「材質の違いさ。ぬいぐるみは、基本的に布と綿でできているだろう? だがその人形は違う。服は布製だが、人形本体はプラスチックだ」
「うん……」
「まだわからない?」
「う」
「やれやれ、だ。ロアリーはもっと、地球環境を勉強すべきだな」
「地球環境!?」
するとケインが、僅かに笑って、言う。
「ゴミは、分別して出さなきゃ」
3秒後。
「あははははははは!」
ロアリーは大笑いしていた。
「わかった! ようやくわかったよ、ケイン!」
「本当に?」
「燃えるゴミと燃えないゴミね! ぬいぐるみは燃えるけど、この人形は、燃えないんだ!」
「OK」
「ルイスは全部、燃えるゴミの日に、出したのよ! だからぬいぐるみは回収されたけど、プラスチック製の人形は回収されなかった。それで、残った人形を、管理人さんが持ち主のルイスの所に戻したのね!」
「まあ、そんなところだろうね」
ようやくルイスも納得したようで、笑い始めた。
こちらは爆笑ではなく、床に座り込んで失笑といった感じだ。
何秒かして。落ちつくと、ケインが言った。
「実際はちょっと違うかもしれない。ゴミの回収業者も、面倒だからまとめて持って行くことが多いだろう。だから……回収業者が来る前に、管理人がゴミ捨て場に来た。そこで燃えないゴミの人形を発見して、ルイスの部屋の玄関前に戻した。ルイスには後で注意しておくつもりだった。……管理人は『規則』がどうのと言ってたから、おそらくこっちのほうが正しいだろう。気になるなら後で聞いておけばいい」
ルイスは軽く手を振った。
「いえ、もう充分です。ようやく安心しました」
「じゃあ今回の件は、もうこれでいいかな?」
「ええ、ありがとうございます。本当に、もう安心です。これでようやく、落ちついて眠れる」
するとケインは、ロアリーに視線を投げかけた。
「なあロアリー」
「うん?」
「これから、カフェにでも行かないか?」
「!?」
ケインからこんな申し出があるのは、初めてだ。ロアリーは、ケインの気が変わらないようにと、即答する。
「うん、もちろん!」
「いつもの、無愛想なウェイトレスがいるカフェでいいかな」
「うん。いいわよ」
「じゃあ……ちょっと頼みがあるんだが」
「ん?」
「席が埋まってると困る。先に行って、俺の席を取っておいてほしい」
「え。あんな寂れたカフェ……」
席が埋まってるはずない、と、言おうとして。
ロアリーは気がついた。
多分ケインは、この後、何かをするのだ。
要するに、人払い。
「ふぅ……。ま、いいか。わかったわ。じゃあ私は先にいつものカフェに行ってるけど……。ねえケイン。一つだけ、約束して」
「なんだい?」
「絶対にすっぽかさない、って」
ケインは苦笑した。
「ああ。俺も絶対に行くよ。多分、10分か20分程度で」
ロアリーは安堵の笑みを浮かべた。約束さえすれば、テロがあろうが市街戦が起ころうが、ケインは必ず来る。そんな人間だ。
「ん! じゃ、私行くよ」
そしてロアリーは、ルイスに軽く手を振った。
「じゃーね、ルイス。不謹慎かもしれないけど、今日は面白かったよ。マヘリアさんのことで……あまり気落ちしないでね」
「ああ、大丈夫だよ」
「バイト先で、また会おうねっ」
と、ロアリーは姿を消した。
部屋に残ったのは、ケインとルイス。数秒間の沈黙の後、ケインは言った。
「ロアリー・アンダーソンは……男たちからは人気があるだろうね」
「そうですね。まあ、女の子から嫉妬されることも多いようですけど」
「彼女の魅力の本質。それは容姿によるものじゃない……と、本人も気づけば、もっとマシになるのにな」
「え?」
「バイト先の、憔悴した知人を。自分には何のメリットもないのに、ケイン・フォーレンと会わせる。その行動や、心が、彼女の一番の魅力なんだが」
「……そうですね」
またも沈黙。再び、ケインが口を開いた。
「ルイス。ちょっと、言いにくいことがある」
「なんでしょう」
「君は……」
ルイスを見つめたまま、ケインは言葉を続けた。
「マヘリアさんの事故死と、何か関係があるんじゃないのかな?」