初めての人間
僕はわりと視力がいい。
だからこそ、ひとつ気になっているものがあった。
見渡せば海ばかりが目に入るが、その中にぽつんと海でないものが見える。
島だ。この島とは別の島。
島自体は愛嘩でも見えていると思う。
けど島の中に一つ、最も気になるものが見えているのだ。
展望タワー、かどうかはわからない。
僕であっても、なんなのかは判明しないほどに小さい。
でも色が付いていて、棒のように細長い。
人が作った建造物のように見えるのだ。
僕はスケッチブックを開き、あるものを描き始めた。
愛嘩はそれを黙って見守っている。
出来た。
「双眼鏡ですか。見るものといえば、あの島くらいしか無さそうですけど」
「その島に、ひとつ気になるものが見えるんだよ」
そう言って愛嘩に双眼鏡を渡した。
愛嘩は双眼鏡を覗いて島を探しだす。
僕はこれから必要になるであろう方位磁針を描こうと、その場に座る。
ふと上を見上げると、愛嘩のスカートの中身が見えた。
決してわざとではない。
ん? この下着、見たことがある。
キャリーケースに入っていたのと同じものだ。
同じ種類のものはなかったけど、元から着ていたものは被ってたのかな。
それとも、もしかして一度着替えたのかな。
ゴブリンにやられて僕が寝ている時?
それとも普通に僕が寝ていた時かな。
いや、用を足しに行ってる時は離れたから、その時かも。
ってそんなのはどうでもよくて。
自分だけ着替えがあるなんて、よくよく考えてみればずるいなー。
言えないけどね。
僕は描き終えると、何事もなかったかのように立ち上がって話しかけた。
「どう? 見えた? なんか人工物のようなものがあると思うんだけど」
「見えました。あそこを目指しましょう。あの島くらいなら小さな船があればいけそうです」
さっき出した方位磁針で方角を確認する。
東の方角だった。
愛嘩がタワーを先に降りていく。
指針が決まったので、あとは行動するだけだ。
「そういえば、聞いてませんでした。船、出せるんですか?」
「あ、うーん。船かー」
一度だけ大きな船を見たことあるけど、あんなもの操縦できないし。
他に知ってるのがないわけではないけど……。
あれは……。
「もしかして、筏を作るしかないですか?」
「うーん、筏の前に一個試してみるよ」
あれでも、行けなくはないだろう。多分。
方位磁針を頼りに森を歩いて20分くらい。
ようやく海岸に着いた僕たちは、シートを敷いて一度休憩を取っていた。
午後3時くらいだろうか。時計がないから本当の時間はわからない。
「お昼ご飯食べてませんでしたね。イツキもお腹が空いたらちゃんと言ってくださいよ?」
「愛嘩が食べたい時でいいよ。それより船、と言えるものを描いておくから。昼食の準備お願い」
まあ準備といってもキャリーケースから出して並べるだけだから、時間はかからないはずだ。
すぐに描いてしまおう。
あと少しで描き終わるというところで、愛嘩に呼ばれる。
先に描いてしまいたい気もするが、愛嘩を待たせたくないので絵は後にする。
「描き終わりそうですか?」
「後少しだよ。ただ、期待しないでね」
僕は念押しする。
まあ文句言われるのも慣れたけどね。
それから僕たちは次の島についての「こうだったらいいな」というものを話しながら昼食をとった。
あの島で何もなければ、今度こそ希望がなくなるかもしれない。
食料も無限ではないのだ。
僕たちは次の島に期待するしかなかった。
「できたよ」
そう言って愛嘩に見せた船は白鳥の形をしている。
スワンボートだ。
愛嘩は言葉を失っている。
きっと予想と違ったのだろう。
「言ったよ、期待しないでって。怒ってないよね?」
愛嘩はため息を付いてから口を開いた。
「私そんなに短気じゃないですよ。私なんて何もできないんですから。怒る理由がありません」
問題は、これで海を進めるかどうかだった。
見た所、波が強そうには見えない。
海特有の音というのも、あまり聞こえてこないくらいだ。
「これで行きましょう。自分たちで筏を作るより安全ですし、取り扱いも簡単。これで良かったくらいですよ」
予想外に愛嘩は喜んでくれた。
この船は共同作業だ。
一緒に頑張って漕いで進む。
正直僕も愛嘩と乗れることがとても嬉しかった。
海の上。
キャリーケースが僕たちの間を陣取っていて非常に邪魔だということ以外は特に問題はない。
僕たちは途中から会話をすることなく、ひたすらに漕いできていた。
会話がなかったのは、波があまりないとはいえ、やっぱり疲れるからだ。
「だいぶ近く、なりましたね」
愛嘩が嬉しそうに言う。
「ゴブリンとか、いたからさ。海中に怪物でもいたら、どうしようかって考えてたけど、いまの所その気配がなくて、良かったよ」
漕ぎながらなので声が途切れ途切れだ。
愛嘩はその可能性を考えていなかったようで、あっと声を出す。
「出てきたら、終わってましたね……。あなたの力は、戦闘では使えませんし」
自分の浅はかさを恥じているのか、声に力がない。
「結果オーライだよ。あと少し、頑張ろう」
僕は最後の力を振り絞って、漕ぐ力を強めた。
無事、岸にたどり着いた。
スワンボートを二人で引っ張って陸にあげた。
さすがに疲れた僕たちは、その場で座り込む。
そして、二人して何かを喋ろうと口を開けた時、僕たちではない声がそれを塞いだ。
「お前たち、何者だ。答えよ」
そんな言葉ですら、喜びを感じつつ振り返る。
10人以上が囲うように立っていた。
そのうち半数以上が子供だ。
「私たち、気が付いたら向こうの島で倒れていて。助けていただけないでしょうか」
愛嘩の言葉に、しかし一番前にいた老人は反対の意を示した。
「お前たちはあの島に現れた魔物だろう! 人の姿をとるとは、危険なやつらじゃ」
周りの子供たちも警戒したような視線を向け出す。
さすがにやばいと思ったのか、愛嘩は必死に誤解を解こうとした。
「違います! 人間です! 本当に助けてほしいだけなんです」
「お前たち、此奴らを処分しろ。油断するな、何をされるかわからん」
老人は聞く耳を持たない。
子供たちが、警戒しながら近づいてきた。
なぜ子供たちが? とも思ったが、能力を使えるのかもしれないと思い至る。
僕はスケッチブックを構えつつ、この状況を打破できるような何かがないか、必死に考えていた。
愛嘩は、まだ言葉で説得しようと頑張っている。
そんな時、一人だけ近づいてこなかった、恐らく中学生くらいの年齢である女の子が声をあげた。
「待って。その人たち魔物には、見えないよ」
女の子の声は震えていた。
老人は驚いたように彼女の顔を見る。
他の子供たちも同様だった。
女の子は少しだけ前に出ると、再び口を開いた。
「その人たち、困ってる。少しくらい、助けてあげてもいいと思う」
老人は激怒した。
「馬鹿もん! たとえ人間であったとしても、他所者を島に入れる利点などないわ!」
老人の怒鳴り声に、女の子は萎縮する。
そこで愛嘩が口を出した。
「私たちは、何も悪いことはしません。何か手伝えることがあれば、何でも手伝います。ですから、どうか島に入れてもらえませんか? 別の島へ行く方法が見つかればすぐに出て行きますので」
老人は黙って愛嘩を睨みつける。
その後ろにいる女の子も「お願い!」と懇願していた。
老人は一度目を瞑ると、女の子の方へ向き直る。
「ならばお前の家が全て責任を持てい。いいな?」
女の子は、えっ? と呟いて困った顔をしたが、決意したようにわかったと答えた。
僕たちは助けてくれた女の子の家に招かれていた。
ここに来るまでに、1階建の家が幾つも並んでおり、この家はそのひとつだ。
家の中はお風呂場とトイレらしき場所、それともう一箇所だけ仕切りがあるが、それ以外は一つの空間になっており広々としている。
助けてくれた女の子の部屋というか、スペースのような場所が決まっているらしく、そこで寛がせてもらう。
招かれて早々、彼女は両親から説教を受けていた。
ひたすらに謝って、問題は絶対起こさないからと訴えている。
僕は見るに見かねて立ち上がろうとした。
しかし、愛嘩に手を掴まれる。
「きっと火に油を注ぐだけです」
わかってはいた。わかってはいるが、彼女は別に悪いことをしたわけではないのに、と悔しく思ってしまうのだ。
それでも僕にできることはないのだろう。
もどかしいと思いつつも座った。
説教は終わったようで、女の子がやってきた。
「ごめんなさい」
彼女はいきなり謝罪する。
家についてすぐ放置したことになのか、島の人たちの態度になのか、その両方になのか。
「いや、君のおかげで助かったよ。ありがとう」
そう言うと、彼女ははっとした表情になり、嬉しいのか口角をわずかに上げた。
この島で、この子だけが僕たちの味方をしてくれた。
それってつまり、この子だけが馴染めていないということになるんじゃないだろうか。
僕は、この島のこと、そしてこの子のことが少し気になりだしていた。
あ、と彼女が気づいたように声を出す。
「シャワー浴びますか? 言い辛いんですけど、少し汚れているみたいなので」
その提案に、愛嘩が即答する。
ぜひ、と。
シャワー先にどうぞと愛嘩が言うので、一緒に入ろうと提案した。
当然のように断られたため、先を譲った。
愛嘩が入っている間に、女の子と話そうかと思っていたのだが、女の子はこの家の中で唯一仕切られている部屋に入ってしまっていて話せなかった。
思ってたよりは早く愛嘩が出てきて、どうぞと言った。
髪の濡れた愛嘩は、それはもう可愛くてずっと見ていたかったが、背中を押され無理やり連行される。
お風呂場の扉を閉められてしまったので、仕方なく服を脱いでシャワーを浴びた。
浴びながら考えてたのは、僕だけ着替えないから同じ服かーということ。
そして、シャワーを終えて出た時、そこに僕の服はなかった。
「あ、愛嘩!? 僕の服が消えてるよ!?」
少ししてノックの音が鳴る。
「リコちゃんがイツキの服も洗ってしまったようです。多分私と同じように替えがあると思ったのでしょうね」
りこちゃんって何だと一瞬思ったが、あの女の子の名前だとすぐに気がついた。
「それは……、乾くまでこのままでいろということかな」
「一応……、替えになるものは持ってきましたから、少し開けますよ?」
僕が了承すると、ゆっくりと扉が開く。
そして替えになるものを持った手が差し込まれた。
嫌な予感がしつつも受け取る。
「私のパジャマと、下着ですが……」
「だろうね」
僕はため息をつく。
いや、愛嘩のものが嫌なわけじゃないけど。
さすがにこれは、着れないような。
服に袖を通してみた。
着れてしまった。サイズもぴったりだ。
「着られますか?」
「悲しい事に上のサイズはピッタリだったよ。でも下着は、穿く勇気がちょっと。愛嘩的にも、嫌なんじゃ?」
少し間が空いて、「私は気にしませんから。どうぞ穿いてください」と言った。
本気か? と思いつつも、そこまで言われては仕方ない。
思い切って、穿いた。
下着が終われば後はズボンだけだ。
下着ほどの抵抗はないので、すぐに穿き終えた。
ズボンの穿き心地もちょうど良かった……。
そして扉を開ける。
愛嘩が立っていた。
僕の姿を見た愛嘩は、目を細めつつ「よく似合ってますね」と言った。
嬉しさは微塵も感じなかった。
「あ、イツキさん。出たんですね」
愛嘩から名前を聞いであろうリコちゃんが話しかけてきた。
「ああ、ありがとうリコちゃん。さっぱりしたよ」
こっちも名前を知ってるアピールをしておく。
彼女は唐突に動きを止めた。
ん?
もしかして、リコちゃんって呼びかたはダメだったかな。
「イツキさんって女の子だったんですか!?」
「え? いや、愛嘩の服借りたんだよ? 僕の服洗ったんだよね?」
彼女は、「え? でも……」と僕を何度も下から上へと見直す。
信じられないようだ。
僕も信じられない気持ちだ。
愛嘩にもリコちゃんにもこんな反応されたらさすがにへこむ。
僕自身からしたら、こんな服を着ているのは違和感しかなく、似合わないという確信があるのに。
周りから見たら、違和感がないなんて。
自分の認識と他人の認識の差は、自分の意識を変えることで埋めていくべきか。
いや、却下だ。それはつまり、自分の容姿の女々しさを受け入れて性格を変えるということになる。
そんなことは認められない。
と、どうでもいいことを考えているうちに、リコちゃんはシャワーを浴びにお風呂場へいったようだった。