これは夢?
「ここは?」
目を覚ましたら見たことのない場所にいた。
立ち上がって辺りを見渡してみる。
僕を中心に、半径10メートルくらいは何もない円形の空間。その周りには木が生い茂っており、先が見えない。
どこかの森の中だろうか。
空は薄明で、これから夜になるのか朝になるのかわからない。
「何が起こったんだ?」
頭が混乱していて、少し記憶も曖昧だ。最近は部屋から出てないし、遭難なんてしないはずだけど……。
歩こうとして足を動かした時、何かに躓いて盛大に転んだ。
「痛ぅ、なんなんだよ」
引っかかったものを見てみると、人の足だった。
女の子が倒れていたのだ。
顔は見えないけど小柄だしスカートだし、肩くらいまで髪あるし多分女の子で合ってる。
近くで見てみると、キャリーケースの上にうつぶせになっていた。
どうやらずっと僕の横にいたみたいだけど、周りの景色ばかり目に入って気がつかなかった。
「おい君、生きてるか?」
声をかけながら、うつぶせで寝ている彼女を恐る恐る仰向けにする。
すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
その子の顔を、まじまじと見つめる。
この可愛さ、そしてこの服。どこかで見たような。
肌は白いし、肩あたりで切りそろえられた金色の髪は薄暗い森の中でも輝いて見える。全体的に小柄で、こんな子現実にいるのかってほどの容姿。
多少の幼さは残っているものの中学生には見えないから、高校生くらいだろうか。
彼女は気持ちよさそうに寝ている。
数分眺めて、ついに思い出した。
僕と真也で描いたイラストの女の子に似すぎているのだ。
そうだ。確か、あのイラストが光りだして、それで気が付いたらこんな状況に。
いや、あんなものが現実なはずがない。
これは、夢か? 机で寝ながら妄想でもしているのだろうか。
無駄の時間だ。妄想なんて、ただの自己満足。何も得られない。早く覚めないと。
とりあえず、自分をつねったり、殴ったりしてみる。
夢は終わらない。でも痛みはあった。
痛みまで感じる夢だなんて。僕はもう終わりかもしれない。
「おい、起きろ。いくら僕の妄想だとしても、お前だけ気持ちよさそうに寝てるのは気に食わん」
何度か蹴ってみた。
夢とはいえ、真也の描いた服を汚すのは躊躇われて、僕が躓いた足を重点的に蹴る。
少女はめげずに寝続けるので、じれったくなって襟元を掴み立ち上がらせた。
声をかけながらビンタする。
するとようやくその目が開く。
「んぅ。なんなんですかぁ。人が気持ちよく寝ているというのに……」
ようやく起きたか、とつぶやき襟元の手を離した。
少女は足に力を入れてなかったのだろう。
膝を折って倒れ出す。
「ちょ、いきなり離さないでくださいよう」
「重いんだから仕方ないだろ。僕は力がないんだ」
少女は座ったまま、僕のつま先から頭まで視線を動かした。
「確かに力はなさそうですけど」
そして今度は、自分の体を観察し始める。
「でも私はそこまで重そうに見えません」
まるで他人事のように話した。
「そんなことはどうでもいい。それより、現実に帰してくれ。時間の無駄だ」
あのイラストの少女は僕がイメージしただけの少女で、モデルはない。
つまり、こいつの存在自体がありえないわけで、妄想かなんだか知らないが、現実ではないことは確かなのだ。
「言ってる意味がわかりませんよ。何がなんだかわかっていない状況なのに」
少女は、そこで初めて辺りを見渡す。
「ここはどこですか。そしてあなたは誰ですか」
表情を見る限り、本気でわかっていないようだ。
でも僕からしたら、ここがどこだとか、こいつが誰だとか関係ない。
「妄想も夢も何の意味もないんだ。僕はもう、死ねればそれで良かったのに……」
価値のない僕には、居場所なんてない。
だから現実に戻ることすら意味はないかもしれない。
それでも妄想なんてものは、誰も得しない。無意味なものだ。
こんな高度な妄想する余裕があるなら、死ぬ努力をしたほうが……。
「ちょっとちょっと。何なんですか、あなた。質問を無視したと思ったら急に落ち込んで。困りますよ、本当にもう」
少女は立ち上がって、僕の肩を掴みグラグラと揺らしてきた。
首がガクガクと振られる。
僕が何も答えないでいると、少女が肩を揺らす力を強めていった。
「いきなり知らないところで目覚めた私に、自殺志願者の相手なんてさせないでください。私が可哀想だと思わないんですか!」
勝手な言い草だ。
別に相手にしてくれだなんて頼んでいない。
ただ現実に戻してくれるだけでいいのに。
頭に血がのぼり始めた。
「とにかく、どういう状況か知りませんが、現状をどうにかする方法をかんがえましょう。死ぬのはその後でもできますよ。死体と二人きりなんて私、絶対嫌ですからね!」
少女は、これでもかというくらい強く僕の肩を揺らした。
ついに我慢の限界に達した僕は、起きて早々騒ぎ立てる少女を蹴り飛ばした。
少女は、ぐへっといって尻餅をつく。
「あー、うざい! なんなんだお前は。煩すぎる。もっと容姿に性格合わせろよ! 僕はもっとお淑やかな子をイメージしてたんだぞ!」
「な!? あ、あなたに性格をとやかく言われる筋合いなんてないじゃないですか! というか、いきなり死にたいとか言うあなたの方がうざいですよ!」
「それは君には関係ないじゃないか!」
「関係ありますよ。あなたは現状をどうにかするために働くのです! 今死ぬなんて許しません! 働きなさい!」
少女はそう言いながら再び僕に掴みかかる。
僕もそれに対応し、彼女を弾き飛ばそうと躍起になる。
なんだよ、妄想の分際で。
頭の中で悪態をつきながら、必死に彼女を往なす。
いつしか二人とも疲れ果ててその場に座り込んでいた。
「あなた、性格悪いですね。私びっくりしました」
「それはお互い様だろ。僕もがっかりだよ。こんなはずじゃなかった」
無駄な体力を使ってしまった。
本当にこれが妄想だとしたら、僕はとんだマゾってことだろうか。
あの絵を描いた時は、本当にもっと優しい少女をイメージしたのに。
「でも、さっきよりは元気になりましたね」
そう言って微笑む少女を見て、僕は一瞬ドキリとする。
僕が元気だなんて。でも確かに、さっきほど気分が落ち込んでいないことは確かだった。
「元気になんてなるかよ。君のせいで最悪な気分だよ」
「素直じゃないですねえ。まあいいでしょう。思ったより扱いやすい人のようで、安心しました」
「なに?」
僕は少女を睨んだ。
どうも上から目線でものを言われている気がする。
どう考えても僕の方が年上のはずなのに。
「それはそうと、今がどんな状況なのか、あなたもわかってないんですよね?」
「当たり前だ。こんな場所来たことも見たこともない」
昔、真也と森へ行ったことはあるが。
あそこにいく理由もないし、あの森とは違う気がした。
そもそも、現実にある森かどうかもわからないのだし。
「そうですか。では、これからどうするかは後で話し合うとして。名前を教えてください」
「西城一生。というか人の名を聞く前に自分から名乗れよな」
「確かにそうですね。これは失礼しました。私の名前は、名前はー」
少女は唸りながら首を傾げている。
「なに勿体振ってんだよ。それともまさか忘れたとか言い出すんじゃ」
その言葉に少女は頷いた。
「そのまさかです。私は誰なんでしょう」
「知らないよ!」
僕はため息をついた。
そういえば、これは僕の妄想なんだっけ。
この子は僕が描いた女の子なんだ。
絵は描いたけど名前や設定まではつけてないのだから、自分がわからないのも頷けた。
「じゃ、適当に名前だけでもつけようか。何がいい?」
少女は少し考える素振りを見せた。
しかし何も思いつかないようで僕に丸投げする。
「変な名前でなければなんでもいいので、つけてくれませんか?」
そう言うと思っていた。
なので、さっき適当に思いついたものを言う。
「んじゃあ。愛嘩」
愛らしい容姿のくせに、騒がしいやつ。
だから愛嘩。
「アイカ……。変な名前がくると身構えていましたが。予想外に可愛らしい名前できましたね。漢字はどう書くんですか?」
「漢字までは考えてないよ。とりあえずは必要ないんじゃないか。呼べればいいし」
少女は何度も名前をつぶやいていた。
お気に召したのか、嬉しそうな表情だ。
「ではイツキ。何をすればいいのかわかりませんが。とりあえず出来ることからしてみましょう」
呼び捨てかよ、と思ったものの何故だか悪い気はしなかった。
「あぁ、とりあえずお前のものらしいキャリーケースから調べるぞ」
僕は口にした後に、はっとする。
もともと何もする気のなかった僕が、いつのまにか彼女を当たり前に手伝おうとしていることに気がついた。
この感覚に、懐かしさがこみ上げてくる。
自分の意思を、自分そのものを、知らないうちに変えられていくような感覚。
焦りが消えて、ここにいてもいいんだと思えるような。
最初に真也と会った時もそうだった。
僕は嫌なはずなのに、いつのまにか受け入れてしまうのだ。
僕は、変われるかもしれない。そんな思いが頭を過ぎる。
でも、違う。
これは都合のいい妄想だ。
甘い、甘い幻だ。
気がついたら現実に戻っていたっていうのがオチだ。
失ってしまえば、夢が冷めてしまえば。
僕はまた無価値な人間になる。
失う悲しみなんて、もう感じたくない。
だから、これ以上本気になっちゃいけないんだ。
キャリーケースには鍵は付いていなかった。
僕は開けようとして手を止める。
「これ、君の荷物だよな。僕が開けてもいいのか」
キャリーケースといえば旅行だ。
中には着替えや下着が入っている可能性だって高いだろう。
「君ではなくアイカと呼んでくださいよ。私のという確証はありませんし、とりあえずは誰が開けてもいいでしょう」
許可も出たのでキャリーケースを開いた。
中には予想通り、いくつかの服が入っている。
今彼女が着ている服と全て同じものだった。
自分の妄想ながら雑すぎると呆れる。
次に、巾着袋があったため開けてみると、そこには下着が入っていた。
セットものが数種類。
服は一種類の癖して、下着だけこんなに種類があるなんて。
僕のせいではないと思いたい。
そういえば、下着を見てるというのに何も言ってこないな。
恥ずかしくないのか?
いや、所詮妄想の存在だ。多少僕にとって都合よく作られていてもおかしくない。
服や下着を退けると、その他のインナーやパジャマが出てきた。
それも退かすと、今度はごちゃごちゃと色々なものが目に入る。
その中でも、一番下に置かれている物に目が寄せられた。
スケッチブックだ。
「君、愛嘩は絵を描くのか?」
「さあ。もし昔描けたのだとしても、記憶がないので同じように出来るとは思えませんが」
「それもそうか」
もしかしたら、これは僕のために入っているのかもしれない。
所詮は僕の妄想だから、なんでもありなのかな。
スケッチブックをとりあえず退かして他の物をみた。
多めの食べ物と水。あとは筆箱に、歯磨きセット。大きめのポーチがいくつかとエコバッグとレジャーシート。それにトランプ。
ポーチを開けてみると、なかには絵の具が乱雑に入れられていた。
レジャーシートと無駄に多い食料、画材道具以外は普通に旅行らしいものばかりだ。
「食料多いな。まるでここに来ることが目的だったかのように」
「つまり、この状況が私のせいだと言いたいのですか?」
「別に」
愛嘩は不満そうに唇を曲げた。
キャリーケースの調査を終えた僕たちは、レジャーシートを敷いて座っていた。
「食料があるだけ良かったですね」
愛嘩の言葉に僕は首を縦に振って答える。
「だいぶ明るくなってきましたね。電話もなければ場所もわからないですし、運よく森を出られることを祈って適当にすすみませんか? 助けなんて期待できませんからね」
僕は首を縦に振って答えた。
まだ覚めないのか、この妄想は。
僕は妄想なんて望んでいない。
腕や足を思いっきり抓ってみても覚める気配がない。
でも、こんなものが現実であるはずがないんだから。いつか覚めるはずなんだ。
早く覚めてくれよ。
「イツキさーん? どうかしましたか? さっきからボーッとして。……てりゃ」
「あぁ??」
愛嘩が僕の頬をつまんでいた。
「あぁ?? じゃありませんよ。無視しないでください。行くんですか? 行かないんですか?」
「行くって、どこに?」
「全く聞いてなかったんですね。最低です。森を進むかってことですよ。助けなんて期待できないでしょう?」
森、ねえ。
進んでも進まなくても、いつか現実に戻るんだからどっちでもいいんだけど。
「任せるよ。好きなようにしてくれ」
「無責任な人ですね。危険な生き物がいるかもしれないですし、いなくても危険なんですよ? 何が起きても文句はなしですからね?」
僕は適当に返事をして、愛嘩の後ろをついていった。