5
目覚めると、そこは真夜中の終着駅―知らない町の外れだった。恐る恐る見渡しながら、招き入れるプラットホームに降り立つ。幻想的な照明器具が幾つも吊り下げられている中、淡い橙の光を通り抜ける。改札の前、急に白けた空間と鉢合わせ、迷いし心へ、灯籠は誘い掛ける。
〈…!〉
回収箱へ入れた切符。しばらくして振り返れば、植樹された駅舎の姿に、ぽつぽつ、さりげない明かりが、残存している。
〈…阿、死んでるんだっけ。俺。〉
駅前通りは蝋燭で透過させた円柱が数えきれない程、林立し、遠くに聳える黒い山麓へと続く。ひとつの路を形成していた。
一寸先に、ひときわ耀ク光アリ。
空中を揺らめいて、悠々自適な瑠璃色―強い、鮮やかなブルー。濡れた感じの青い表面は微細な星屑に似て、美しさを散りばめながら発色している。その形態と対照的に、辺りは深く沈んこんだブラック。冷たい闇に明るく光ることで、瑠璃色は、その輪郭をぼかしている。観るものすべてに何か言いたげな揺めきは、まるで微笑しているかのよう。誘われる形で、あの一匹の光が待つ、果てしない夜をみた。
染まる、にびいろの空をひきちぎり、現れた漆黒の山々。前をただひたすら進み、延々と歩かされた後、深みに入った。光の粉を輝かせながら、繁みへと消えていく。やがて湾曲になる、蠱惑な先導を、さざめく麓は呑み込んでいった。辿り着いたとき、不動たる、妖しい月が照らす先。
大木が聳える、暗黙の空。足元で何かに気付き、立ち止まった。極めて小さな鳥居が、列をなしている。それぞれ異なる姿のまま、歪曲しながら、斜面を登る。その一角には、役目を全うするため、虫たちが鳴く。鳥居の進む先を路だと信じて、又、歩いた。
鬱蒼と取り巻いている霊気に包まれ、山の寝息が怪しく共鳴する。鳥居が途切れたとたん、大木の側へ身を投げる。斜面の途中で光を探すのをやめた。見当たらない。先で待つのは道なき道、どこを目指しているのか、それさえ不明だった。経験など問わず、それは精神の底に語りかけてくる。終わるのか、進むのか。交錯する落葉を踏みしめると、色違いであることに気づく。這い上がるようにして、登りきれば、現れた平坦な道。今まで溜め込んできたものが、喉を通して出てゆく。
探し当てた道をゆっくり歩く男の前に、差し掛かる分岐点。二股になる径は、それぞれ異なる色彩をもって、迷いびとへ案内する。幅を同じくする、赤銅と青銅の、二つの径。落葉を手にして、色彩の原因であることを知った。墜ちてもなお、輝きつづけることで二つの未来を示す足元。戸惑った。徐けず、たじろいでいると、嘲笑う風の疾さ。
偶然で作られた険しい道は静まりかえっていて、こころなしか淋しげだった。闇の全てが融和するのを特徴とする径に、積もる光。「青い」というのが、鴨居の足元をひたひたと浸からせ、岬の洞窟に似た錯覚で、輝く。見える、半没した闇の切り口が、鮮やかに眩しい。その先に淡い期待を込め、一歩前へ出すと、光は、べったり、まとわりつく。蹴るように駆け抜けた背中。光はゼリー状に飛び散る。孔に向かっていけば、いくほど、全身を覆う強い刺激。切り口から射し込む青白い閃きが体を爪先まで侵し掠める。動けずに、目を閉じた。元の視界に帰れないまま、繁みの鬱陶しさだけは指先を通して感じられる。もう、引き返せない。細くて険しい、闇。
見つめる先、
蝶だろうか。大群になって虹を象り、夜空と共演している。オーロラのように揺らめきながら。仰向けのまま、倒れていることに気づく。蝶たちは谷を下り、尾根さえ昇ろうとしていた。物音に気づいて振り返れば、青銅の径は自らを消滅させ、出口ごと封印した。小さな穴に成り下がり、蒼い獣道と化してゆく。風だけを受け入れる様を見届け、鴨居は絶景に抱かれながら、ようやく歩き出した。
湿った額から嘗めるように落ちていく汗。手は泥塗れだった。満天の鱗粉を頼りに歩き、夜の渓谷で挟み込まれながら、鋭く連なる地肌は一層続き、遥か彼方で競りたつ山々へと向かって墜ちる光たち。高さの異なる峰を何度も登り降りするたび、浸ってくる何か、ついに、歩みが止まる。頼り無い芝生の斜面で砂利が転がっていく。ぱらぱらと無が沈む谷底へ落下する音。荒野を見渡し、浸る何かの正体がわかりつつある。
結局―男は失望した。大群を追っても果てのない尾根が続き、儚い。一匹の蝶がひらりひらり、向かってきた。大きな群れは何処か。腰の高さを浮いたり沈んだりまとわりつきながら、甘美に羽ばたいている。何の返答もしてくれない。こころもとない低空飛行を、尾行した。
来た道を戻り、長い時間は帯となって流れる。風のない道をさらに険しくする蝶の背中。優雅に舞う羽を通して、ちらつく、ふしだらな肢体。美しき女をストーキングするかのよう。月ノ光ノ下、それは更に、ぬくぬくと、育っていく。握りしめた手は、振り出しへと戻ってきた。傷ついた足は、蒼い獣道の前に、至る。影と躍りし草木の乱れは囁き、瞳孔が開いた。密集した藪の向こうに、白銀の扉が突っ立っている。蔦に縛られた姿は痛々しく、「危」という赤いステッカーが目をひく。誘う引力に立ち止まり、ノブを引こうとしたが、びくともしない。ドアを背に座り込んでしまった。変化の薄さを思い知る。自然界の漠然とした様が流れ、無気力に広がった。飽和した緑が独りよがりな臭いを漂わせ、鼻につく。
「―」扉が勢いよく開き、荒々しく一台の自転車は駆け抜けてゆく。郵便局員の格好をした男は、扉に僅かな空間が出来ていることも気づかず、立ち去っていく。叩きつけられた痛みも忘れ、猛然と突進し手を滑り込ませる。密着する一歩手前、ほっとしたのも束の間、ドアには蔦が這い上がり、締め付けようとしている。
扉を開ければ、陰湿な光。非常階段を彷彿とさせた。命の終わりのように。薄暗い。何もかも。手がかりを喪う。すこし動こうとした。階段を昇るか否か。決める覚悟はあるのか。されど飛び込んでくる、根拠のない誘惑。直感を信じて、ただ駆け上がり、ドアへと目指す。それは出口ではなく、新たな物語の始まりだった。ドアノブから離れ、一歩下がり、ドアを閉め、振り返る。次の階を目指し、手当たり次第、走り続ける。気づけば、どこに向かってるのか。解らない。息を切らして。座り込んでいた。
ふと、見失った。
椿に似た花がまるで首を討たれたかの如く、踊り場の隅で転げ落ちている。ある一点だけ濡れた染みはよくよく見れば、その先にある扉へと続く。開く手はじっと、汗ばんでいた
雨
突然の光に目眩がして、戸惑う。幾千だろうか大なり小なりの鳥居が異なる色で濡れた荒野の上、どこまでも続いている。中肉中背の身体で、やっと通れる程度の路は、鴨居を一つ一つ案内する。潜っていく。星のない空は深みを増し、苦い夜の濃厚さが包み込む。
ワケモワカラズ、断続的に歩いた。地平線の向こうから寂寥感を跳ね返す眩しさ。光輝く箱形の建物が現れる。柵に囲まれ、たどり着く者を立ち止まらせる。同時に、鳥居の連続も終結した。怪訝な顔で、一回りしようとしたら、荒野は、途中、陸路がなく、切り裂かれたように絶壁だった。崖は夜の海の如く広がり、底の見えない不安げな闇に足元がすくむ。腰が抜けた。
柵の中心部に存在する明るい廃墟の世界。番をする者さえいない草臥れた門の前、ようやく入場する。鴨居の遅々たる行進に、二頭身の不気味なキャラクターたちが、迎え入れた。七体の像は、右から孔雀を彷彿とさせる五色絢爛な鳥。よく見れば嘴は鶏、蛇の頚、たおやかな人間の手脚を持ち、女性の服装に包まれている。次に、青を基調とした羽根で魅了する大鳥。姿かたちは雉をより豪勢にした、男の装い。三体目に、黄色い毛が覆う顔、龍の如く、角を持つ。見た目は鹿に近く、背広姿のノーネクタイだ。四体目はトカゲを真似ているのか、細身の外見に、ネクタイが襟元から垂れている。その隣、スーツ姿に不相応な大きな甲羅を背負っている。年老いた顔には、水色の皺が刻みこまれていた。黒い体毛が覆い、頭の真ん中において長い角を示したるは、次なる者。羊に似て非なる姿かたちは、蝶ネクタイが印象的なファッションを纏う。最後に、複数の尻尾をもつ白い狐。丸眼鏡をかけ、頭の山なり帽が様になっている。
園内は、あらゆる光で青ざめて、闇と優雅に融け合っている。
入場口からほどなくして、誰もいない広場があった。中央に案内板が佇み、吸い寄せられる。そこには、7つの建物が存在していることを表していた。
濡れた案内板から離れ、しばらく目の前の大通りを歩く。一枚岩に異次元が生え、腐り果てた枝の先から実る、たわわな卵黄。今度は、少し浮き彫りにされている階段で柔らかい紋章のようなものが垂れ下がっている。取り巻く風景は表情を変えた。
円形の物体から盛り上がった水が四方八方に絶え間なく溢れている。その傍で鴨居は、立ち止まった。一つの建物を前にする。
その居場所に固執しているのか、個性もなく特徴すら感じさせない。窓のないコンクリート。入口は一ヶ所しか見当たらず、目立つように何かのマークが刻まれてある。細かすぎてよくわからない。鳥だろうか。派手な模様が刻まれている
どうしても解せない―。
ドアは自動的に開いた。建物の入り口から階段を使って、下っていく。打ち寄せる闇に足が浸かる。段々と身を預け、肩まで染まる。そのまま沈みゆくとき、喪失感が胸を襲う。溺れた光と目があった。てをさしのばすと、力なく指先が絡まる。耳をすまし、深い闇へ近づくにつれ、陽気な音楽が聞こえてくる。優しく包みこまれた。
瞬きするたび。
断続的な速さで、ぶくぶくと切り替わる。闇に、光へ。ゆっくり、瞼を開くと、その先に、見いってしまった。
出来る。息を吸うことが―天井に向かって海が漂い、階段の途中で立ち尽くしたまま、光は奏でる、輝かしい世界への案内を受けた。天井に在る扉から顔を出す。メリーゴーランドが中心部でただひたすら躍り続けている世界。だけの空間。誰も寄せ付けずに。
〈……〉
豪華絢爛たる金色の飾り付けは回転する。音楽にあわせて床は上下する。座席は鳥に似せて、作られていた。
回る。廻る。巡る頭の中―モヤモヤが―イッキに消え去る。目が覚めるほど、爽快な気分にさせる。そのあと、ゆっくり、ほろ酔い状態になり、旋回する鳥たちの群れが輝きを引き連れ、段々、段々、近づいてくる。目と鼻の先まで迫り、独り、動きマワル光景。
何の特徴もない大鳥が現れ、通り過ぎようとした。座り心地の良さそうな座席に、あっと飛び付く。股がったら世界はがらり変わった。波打ちながら速度をますます変え、体に力がみなぎるような感覚で、とろける。とてつもない集中力を発する。永続的に満たされていく。
自然な、ゆがみのない笑みが口元に浮かび上がる。額から転げ落ちて、滑るように若さを取り戻す。遊び疲れるまで、遊び、高鳴る胸の奥へ、茜が差しこむ。気分が暮れ泥んでいくと自分の幸福なさまや無邪気なさまも受け入れてくれる。寄り添いながら回る、メリーゴーランドから、訪れる陽気な音楽は、子守唄のように遠のいていった。
気がついたら眠っていて鳥たちも停止していた。世界から音楽が消え、取り残される。現実という渇きが頭を襲い、不意に涙は溢れた。
一滴こぼすたび、あらゆる力を吸いとられ、体がぐにゃぐにゃに伸びきってしまう。涙が蒸発してゆくのをただ座席に凭れながら眺める。背骨まで浸透する冷たい発想、神なのか鼓膜を震わし、悪魔か視界をめくっては現れる。枯れ逝く心臓は、崖っぷちに向かって転がる―転がる。
影が頬に住み着き、目は、虚ろだった
二頭身の不気味なマスコットキャラクターがいる。空間を同じくして、対となる顔。座席に股がりながら、もう一度、顔だけを向かわせた。早くなる瞼の動きにあわせて何度も点滅する空間。相変わらず、そこにいる。孔雀を彷彿とさせる五色絢爛な鳥。よく見れば嘴は鶏、蛇の頚、たおやかな人間の手脚を持ち、女性の服装に包まれている。鴨居が座席から降りたのは滑り落ちるのと変わらない。ちょうど背の高さが、並んだ。
無機質な声が聴こえる。
-乗り心地は如何ですか-
〈…?〉
-童心にかえることはできましたか-
〈…〉
口内に湧き出るものを飲み込んだ筈が、残る異物感。違和感。
-もっと自分をさらけ出してもいいんですよ。貴方だけしか、ホラ、いないじゃないですか-
喉に引っ掛かる何かが逆流して、もうそこまで来てる。歯の隙間からでも。もう止められない、滲み出るのを
-もっとリラックスしてください-
孔雀に似たマスコットの名はトリバネといった。角度が異なるたびに、目はいくつもの表情を現わす。ギョロっとしていて、ただそこに瞼はなく真っ黒な2個の瞳が見つめ返すとき、一点を捉えたまま、離さない。
-気が楽になりますよ-
長く続けていた沈黙が、突き破られる。トリバネを構成する、あらゆるもの全てが一瞬にして崩れ散った。舞い上がる無数の蝶となり、降り注ぐ。その漆黒はべたべたと身体中にくっついてきて、離れない。肌から何かをすいとられ、貪りつくす。蠢き回る、キモチ悪さに瞼が閉鎖する
感覚は消え失せていく。虚ろな七色の変貌に抱かれ。




