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イーカル国 王都日記  作者: 井波
出会いは砂嵐
9/29

襲来

 世界が黄色に染まった。



 目が開けられない。

 息ができない。

 口からも鼻からも、異物が進入してくる。


 蹲ってやり過ごそうとすると、隠し切れない襟足や耳に容赦なく礫があたる。


 痛い痛い痛い痛い痛い――!


 


「……ティト?」

 肩を叩かれた。

「お前、こんな所で何やってんだ?」

 おそるおそる顔を上げ、細く目を開けた。

 自分を覗き込んでいる人影がある。フードとマスクで頭部の殆どを覆い、そこから特徴的な目だけが覗いている。

 それが毎日見ている顔だと気がついた途端、泣きそうになる。

「助けてくれぇ!」

 普段は糸のように細い友人の目が、まん丸になった。

「な、何なんだよ、おい」

「帰れなくなった……」

「情けねえ」

 溜息をついてカイはティトの肩に手を置いた。

 深い溜息のあと、しばらくそうしていたが、ようやく顔を上げるとひきつったままのティトの顔を覗き込んだ。

「砂嵐は初めてか?」

 ティトは必死で頷いた。


「カイ、知ってる奴?」

 その声で初めて声をかけてきたのが一人でなかった事に気がついた。友人と同じフード付きのマントに身を包んだ大きな影。

 友人は振り返ってその連れを見上げた。

「彼は宿舎で同室の友人です」

「ああ、最近入ってきたって奴か。第二連隊だっけ?」

 マントですっぽりと体を覆っているため所属を示すものを確認する事ができないが、言葉遣いからしてカイの先輩だろう。

 ティトは慌てて立ち上がると、敬礼して所属と姓名を名乗った。

「で、なんでこんな所にいるんだ?」 

「今日非番だから、この先にある武器屋に、相談があって出かけてたんです」

「砂嵐の予報は聞いていただろ?」

 勿論知っていた。

 朝の伝達で午後には砂嵐になるだろうと聞いた。

 しかし出かけた時には綺麗な青空だったし、まさか遠くの空が黄色く見えたその直後に視界が砂で覆われるとは思っていなかったのだ。

 強風の中に砂粒が舞い、目を開くどころか呼吸もままならないような状態で、すぐ近くにあった建物の壁に張り付くようにして凌いでいた。

「こんなに酷いものだとは知らなくて……」

「そうか。第二連隊ってことはお前も辺境の出身だな。

 この地域は春の終わりに何度かこんな砂嵐に襲われるんだ。予報が出た時は出歩かない方が良い」

「骨身に染みました」

 しゃべる度に口に入り込んでくる砂を袖口で拭きながらティトは友人に聞いた。

「所で、カイはこんな時になんでここに?」

「俺達、第七連隊は第二連隊に協力して非難に遅れた人を救助して回ってる。

 まさか真っ先に同じ軍人を救助する羽目になるとは思わなかったけどな」

「……悪い……」

「とりあえず近くの避難所まで案内するから――」

「いや、それには及ばない」

 カイの言葉を遮ったのは聞きなれた声。

 友人達の背後から現れたのは、軍支給のものとは違うデザインだったがやはり全身をフード付きマントに身を包んだ男。

 外に出ているのは目だけでも、もう声だけで誰だかわかる。

「レオナさん!」

 やや垂れ気味の茶色い目が細くなった。マスクで見えないがきっとあの口の端だけを歪めた笑顔を浮かべている。

 ほっとしたティトとは対照的に残りの二人は顔を見合わせた。

「レオナって――れ、レオナ・ファル・テート連隊長!?」

 敬礼をするカイ達を手で制し、レオナが頭を下げた。

「ウチのティトがご迷惑をおかけしました」

「い、いえ、迷惑だなんてそんな!」

 頭を下げられた方の二人が慌てだす。

 階級も上で、騎士であり貴族でもあるレオナがこういう態度を取る事は相応しくない。下の者からすればどうして良いのか分らなくなる事態である。

 しかし、この人はこういう人なのだ……と、ティトにもうっすらわかってきた。さっぱり上官らしくない上官。荒事では頼りになるが腹芸のできない人。

「それじゃあ、こいつはオレが拾っていきます。

 二人は任務中でしょうから先に行って結構です。非難誘導、頑張って下さい」

 おそらく今まで一度も掛けられた事のないであろう砕けた激励の言葉を受け、友人とその先輩はわたわたと敬礼をして逃げ出すように去っていった。


 レオナはマントの中から別のマントを取り出してティトにかけた。さっき友人達が着ていたのと同じ軍支給のものだ。

 フードをかぶって付属のマスクを鼻まであげて、それでようやくまともに呼吸ができるようになった。

「武器屋に行ってたんだって?」

 レオナが聞いた。

「ええ、その、欲しいものがあって」

 欲しかったのは滑り止めを巻いた棒。それも両端に金属の石突きをつけたものだ。市外警備の時など、一般人の居る場所で槍を振り回すのは危険すぎる。かといって自分が剣を扱えない事はこの間の件で痛感した。だったら、棒術で使う棒を改良すれば槍頭の無い槍として使えるだろうと思ったのだ。

 そこで武器庫を確認してもらった所、「剣や槍なら大抵の物をそろえているが、そんな殺傷能力の低いものは置いていない」と無碍にあしらわれてしまった。

「だから特注してきたんです。一月くらいかかるそうですけど」

「なるほどねー」

 レオナは考え込むように言った。

「まあ、いいや。

 そうそう。後でウチの連中に謝るんだよ。ティトがいないって大騒ぎしてたから」

「はい――レオナさんも、すいませんでした」

「オレは帰宅ついでだからさ。気にしないで」

 レオナはひらひらと手を振って見せた。

「ペールに武器屋への道を聞いてたって聞いたからきっとこの道を使うだろうって思ったんだ。

 ここをまっすぐ行くとオレの家なんだよね。近くだから嵐が収まるまでおいでよ」

 帰宅のついでとは言うが、レオナの指差す先は軍の施設のある方。レオナの纏っているマントが軍支給のものでない事を鑑みても、一度帰宅してから探しに来てくれたものらしい。

「レオナさん。――本当にありがとうございました」

 頭を目いっぱい下げて礼をした。それは拙い言葉ではあったが、ティトの少ない語彙の中で、最上級の謝辞だった。

 


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