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イーカル国 王都日記  作者: 井波
涙の雨と
23/29

二つの再会

中盤に少し傷跡に関する描写があります。

苦手な方はご注意ください。

 時々ある。

 予想外にお客さんが来たり、仕入れの量を間違えてしまったりで食材が足りなくなる事が。

 今日もそうだった。最初はニナがラナの書いたメモの「小麦粉5袋」を「3袋」と読み間違えてしまったのだ。とりあえずの在庫があるから今日の所はなんとかなるだろうと高を括っていたら、そんな日に限ってお客さんが多い。しかも小麦粉を使う料理ばかりを注文する。あっという間に小麦粉は減っていき、夜だというのにニナが市場へ走る事になったのだ。

 幸いな事に、馴染みの業者は閉店後でも我侭を聞いてくれて必要な分を手に入れる事が出来た。

 だからその時、ニナは一抱えもある小麦粉をよろよろしながら運んでいた。

 食堂の方も閉店まであまり時間が無いので、手が足りないほど混んでいるという事はないだろう。それでもニナは出来る限りの早足で夜道を進んだ。早くこれを父に届けなければ、明日のパン生地の仕込みが間に合わなくなってしまうから。

 早足の理由はそれだけではない。

 もう辺りは真っ暗だ。家々の灯りすら数が減ってきている。

 ここは夜でも人通りが多く比較的治安の良い場所と言われてはいるけれど、最近は良くない噂も聞く。絶対に安全、とは言えないのだ。


 ようやく父の店の赤い屋根が見えてきた時、ニナは足を止めた。

 店の前――道を挟んだ向かい側に軍服を着た男が立っていた。

 じっと扉を見つめているが、店に入る気配はない。

 ニナは眼を凝らした。

 いつもより制帽を目深に被っていて、よく顔は見えないけれど……

「――ティトさん?」

 恐る恐る声をかけると、男ははっとこちらを振り返った。

「え!?」

 驚いて声を上げたのは、ニナの方だった。

 大きな小麦粉の袋を取り落とし、ドサ!と大きな音が響いた。

 それでも二人はそれすら気付かぬ様にお互いを見つめていた。

 ニナはぷるぷると震える腕を持ち上げて、ティトさんの顔を指差した。

「そ、それ!どうしたんですか!?」

 ティトさんの顔の右半分を覆っていたのは、宵闇にも浮かび上がる真っ白な包帯。

 指差されたティトさんは右手でそれを隠すように触れ、眼を泳がせながら答えた。

「任務中に……少し怪我をしたんだ」

「す、少しじゃないですよね、それ!」

 よく見ると、軍服の袖から覗く右腕にも包帯が巻かれている。

 顔だけではなく体にも傷があるのだろうか。

 想像しただけで、ニナの顔から血の気が引いた。

「治ってから来ようと思っていたんだけど、カイに――いつも一緒に来る友人に行って来いって言われて。

 その……心配してくれていたとか」

 ティトさんは左目にニナを映して、申し訳なさそうに言った。

 顔や腕の怪我も心配だけど、一番心配なのは――

「あの、目は……?」

「見えてるよ。両方とも」

「良かった……」

 ほっとしたら涙がでてきた。

 ぽろぽろぽろぽろ止まらなくて、まともにティトさんの顔も見れない。

 急に泣き出したから傍まで来てくれたのだろう。頭のすぐ上から、ティトさんがおろおろしている声がする。

「ごめんね。ごめんね。驚かせて」

 必死で首を振った。

 ティトさんのせいじゃない。 

 ひとしきり泣いてようやく顔を上げるとティトさんの顔は予想よりずっと近いところにあった。

「成長期だから回復も早いと褒められたんだ。きっとすぐ治るよ」

 なんとか落ち着かせようと言ってくれているらしい。

 でも、包帯の下のガーゼの端から生々しく盛り上がった跡が覗いていて余計に不安になる。

 これで回復が早いとは、いったいどれだけの怪我をしていたのだろう。

 ニナがおそるおそる、怪我の程度を問おうとした時――

「ニナ!」

 鋭い声で姉が呼んだ。

「戻ってきたなら早く小麦粉を届けて! パパが待ってるのよ?」

「あ、はい!」

 小麦粉の袋を地面に落としたままだと気がついて、慌ててそれを持ち上げた。よろめくニナを見て、ティトさんが咄嗟に左腕で支えてくれた。

 

 ――よかった。そっちの腕には包帯はなさそう。


 単に袖口から見えない部分を怪我しているだけなのかもしれないけれど、少なくとも痛みを堪える様子が無かった事に安堵した。

 ニナはお礼を言って、再びティトさんを見上げる。

「ええと、あの……今日はお食事……」

「これが邪魔であまり食べれないんだ。お茶すらストローで飲んでいるくらいだから」

 ティトさんは額から顎まで――口も半分まで覆った包帯を指差し、包帯が取れたらまた来ると約束した。

「ニナ!」

 姉が早くしなさいと急かす。

 後ろ髪をひかれつつ、別れを告げてニナは店に戻った。


 

 * * *



 ニナが去った後の食堂前。

 ラナが、無言でティトを睨みつけている。

「あの」

 たまらずティトが口を開いた時、ラナがそれを遮るように言い放った。

「もう来ないで」

 ティトが怯んだのを見て、ラナは一歩踏み込んだ。

「ニナに近づかないで」

「……なんで」

「軍人と一緒に居たらあの子が不幸になるわ」

 その言葉を聞いて、ティトは最初の日から聞きたかった事をようやく口にした。

「軍人と何かあったんですか?」

 今まで二人きりで話す機会も無かったし、あからさまに避けられていたから聞けなかったのだ。

 ラナは一度口を閉じた。その後、ティトを睨む目を緩める事無く、吐き捨てた。

「どうでもいいでしょ」

 しかし、せっかくのチャンス。ティトだって引くわけには行かなかった。

「それは、あなたにこの腕章の読み方を教えた人ですか?」

「そんな事誰にも教えられてないわよ」

「じゃあどうして」

「うるさい! とにかく妹には近づかないでって言ってるの!」

 声を荒げたので、周囲の人が振り返った。

 話はそれきりだとラナは踵を返した。


 その手を引いて止めたのは、ティトではなかった。


「待ってくれ、ラナ」

 ラナは目を瞠った。

「……見てたの」

「ああ」

 男は、ラナの手を離すことなく、目を逸らす事も無く。

 いつもより少し強張った声で続けた。

「部下が思いつめた顔して歩いてたんでな」

「そう」

 ラナはしばらく瞑目した。そしてまっすぐに顔を上げ、男の目を見て告げる。

「謝らないわよ」

「謝るのは俺だ」

 即座に返し、シグマはゆっくりと口を開いた。

「……あの時は、悪かった」

「あなたは何もしなかったでしょ」

「何もしなかったから謝っている」

 ずっと苛立った様子だったラナの眼に、わずかだが困惑の色が混じった。

「あの時甲斐性があればお前に辛い思いをさせることは無かった。お前を追い詰めたのは俺だ」

「だから何? よりを戻そうって言うの?」

「――それは、無理だ。

 でも、俺達の事はお前の妹や俺の部下には関係ない」

「関係あるわよ! あなたも――軍人はすぐ戦場に行って帰ってこないじゃない!

 この人だっていきなりいなくなるからニナが泣いていたわ!」

 ラナは再びティトを睨んだ。

 その強気な目に、今度は涙が浮いていた。

「あなたのその傷! 随分酷い怪我よね! 死んでもおかしくないんじゃない!?

 そんなの、今回は運よく生きて帰ってこれたってだけでしょ!」

「ラナ!」

 シグマが握ったままだったラナの手を引いて引き寄せた。

「それだって、俺の采配が――」

「そうやってなんでも自分のせいにする気!? 自分が悪いって言っていれば許してもらえるとでも思っているの!?」

 ヒステリックな声が夜道に響いた。

「あなたは、私達の気持ちなんて全然わかってないじゃない!」

 そう叫ぶと、ラナはシグマの手を振りほどき、店に駆け込んで勢いよく扉を閉めた。




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