婚礼の噂
雨の季節が終わり過ごしやすくなった王都は、国王陛下が結婚するという話で沸いていた。
来月には隣国から新しいお后様がいらっしゃるらしい。
雲の上の人たちの事は良くわからないが、そんな話が出てくれば当然
「ラナちゃんは良い人いないのー?」
常連客達は結婚適齢期ど真ん中の姉にそう言って絡みだす。ニナは思わず片付けの手を止めて姉の様子を窺った。
「えー、いないですよお」
……今はまだセーフ。
お客さんに何を言われようといつも姉は笑顔のままだが、実はこういう話題の時は内心物凄くイライラしている。お客さんがしつこかったり余計な事を言ったりした日には、閉店後にニナが自室で愚痴を聞かされる羽目になるほど。
なんでも、国王陛下はラナより1つ年下で、お后様になる人は2つも下らしい。だからお節介なおばさん達にとってラナは格好の『獲物』なのだ。
ニナとしては、人それぞれ事情があるのだから放って置いてあげれば良いのにと思う。ただでさえ姉は王家の婚礼にあやかろうという友人達が次々に婚約して神経質になっているのだから。
そんなこんなで姉の様子をちらちらと見ていたのが悪かったのだろう。
「ねえ、ニナちゃんは恋人とかどうなの?」
お節介おばちゃんと目があってしまい、初めて矛先が自分に向いた。
「わたしはまだまだ」
そう正直に答えても、おばちゃんはなかなか信じてくれない。
「本当~? 実はいい人いるんじゃないの? 彼氏じゃなくても気になる人とか」
気になる人――
脳裏に、イーカル茶を渋いと言って笑った人の顔がよぎった。
「と、とんでもないです。いませんいません」
手を振って否定する。
あの人はただの恩人。常連さん。味の好みが近いだけ。
そう。好きなんてありえない。
だってあの人には……
「でももう15歳でしょ? 私がそれくらいの時なんてねえ」
昔は美人でモテたというおばちゃんの自慢話が始まった。
もうニナの事は見ていない。常連仲間でやいのやいの盛り上がっている。
ニナはほっとして、空いたテーブルを片付けながら、物語のような恋愛譚を拝聴することにした。実はもう何度目かになる話なのでこの先は知っているのだけれど。
その時、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ――」
メニューを持って出迎えに行くと、あの軍人さん達が今日は3人揃ってやってきた。
「日替わり定食3つね」
席に着くと同時に、年嵩のレザーさんがいつものオーダーを口にする。
「それにしても、今日はどうしたの? 随分盛り上がってるね」
反対側の窓際の席を指して聞く。
あちらではおばちゃんの昔話が、貴族の庶子との駆け落ち未遂の下りに入ったようだ。すぐに二人は連れ戻されてしまうのだけど、今の旦那様である幼馴染の大工さんが傷心の彼女を優しく慰めて真実の愛に気づくのだそう。他の常連さん達も知っている話なのににこにこと合いの手を入れながら聞いている所が皆さん人が良い。
「あちらは国王陛下が御結婚なさるって言うので色々と盛り上がっているみたいですよ」
そう答えると、レザーさんはぽんと手を叩いた。
「そっか。愛の女神の神殿の前が賑やかだったのもそれだな」
「陛下があそこで結婚式を挙げられるんだそうですね。だから結婚間際の人たちが同じ所で挙げるために下見をしたりしてるとか……」
「神殿広場のアクセサリーショップもすごい人だかりだった」
「あ、その辺りに恋のお守り屋さんがあるって姉から聞きました。ペンダントとか指輪の形をしてて大人気なんだそうです」
ご利益の程はおいておいても可愛らしいデザインはちょっと素敵で次の休みに行ってみようかと思うほどだ。
店には行った事が無いニナが何故デザインを知っているかというと、実は昨晩姉がこっそり買って来たのを見せてもらったから。ちなみに姉が持っているのはハートの形をした白い石のついたペンダントだった。同じデザインでピンク色の物もあったというので、ニナはそっちが欲しいなと思っている。
「――陛下の婚礼っていえば、ティトはいいよね」
不意に今まで黙っていたカイさんが呟く。
突然名前を呼ばれたティトさんが驚いたように顔を上げた。
「え、なんで?」
「お前の所の連隊が輿入れ行列の警備をするんだろ? 一番にお姫様を拝めるじゃないか」
「ああー」
「絶世の美女なんだろ?」
「そういう噂だね」
さらりと流すティトさんの言葉に、カイさんはあきれたように溜息をついた。
「冷めてるなあ。俺なんて警備に加われなくて悔し涙を飲んだのに」
「見たかったの?」
「そりゃもう」
カイさんが本当に悔しそうな顔をする。
レザーさんは慰めるようにカイさんの頭をかき回し、苦笑している。
確かに、噂のお姫様を一番最初に、それも間近で見ることができるなんてうらやましい。
男の人だったら――カイさんの言うように絶世の美女なら尚更楽しいお仕事なんじゃないだろうか。
なのにティトさんは悔しがるカイさんを不思議そうに見ていた。
――ティトさんにはあの人がいるから、お姫様なんて眼中に無いんだろうな。
そんな言葉が喉元まで上がってきた。
――私は何を考えているの?
ちくりとした胸の奥を隠すように、ニナは一礼して厨房へ駆け込んだ。




