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イーカル国 王都日記  作者: 井波
出会いは砂嵐
15/29

小雨降る中

 いつもの席に、あの軍人さんが一人で座っている。

 注文を取りに行ったら、いつも一緒にいらっしゃる人達とここで待ち合わせをしているからちょっと待って欲しいと言われてしまった。

「あ、あの、お連れ様がいらっしゃるまで、お茶をいかがですか?」

 開店直後でお客さんも少なく手が空いている。

 ゆっくり用意する時間があったので、店のメニューには無いお茶を用意した。

「お待たせしました」

 軍人さんはニナが差し出したカップを嬉しそうに受け取った。

 そして、いつも店で食後に出しているお茶とは違う、金に近い淡い茶色の液体を見て首を傾げる。赤っぽい色のイーカル茶に見慣れた人からすると、ニナがいつも飲んでいるお茶は茶葉の量を間違えたか出涸らしのように見えるらしい。

 この人も、恐る恐るという風に鼻を近づけた。

「……あれ? フェンフェル?」

 軍人さんの言葉にニナの方が驚いた。

「はい。キュンメルとミンツェも入っています」

 香りを嗅いだだけでメインの薬草の名前を当てられるなんて。

 店が暇な時間に来る常連さんたちには時々このお茶を出すが、ひとつでもその名前を言えた人はいなかった。

 思わずまじまじと観察してしまうニナの視線に気付かぬようで、軍人さんはふーふーと冷ましながら一口啜る。そして感慨深げに呟いた。

「イーカル人はイーカル茶しか飲まないのかと思ってたよ」

「……お口に合いませんでしたか?」

「いや……ほっとする味だね。キュンメルは入ってなかったけど、フェンフェルとミンツェのお茶は小さい頃によくおばあちゃんが飲ませてくれたんだ。懐かしい」

 またふーふーとカップを吹き始めた軍人さんに気になったことを聞いてみた。

「あの、イーカル族じゃないんですか?」

 ニナと同じ黒い色の髪や目。

 初めて会った日に一緒に居た人は髪の色ですぐに他民族か混血だとわかったけど、この人は特に変わらないように見える。

「辺境の生まれなんだ。イーカル茶は春に王都に来て初めて飲んだよ。少し渋いね。あれ」

 ニナは思わず吹き出した。

「皆そこが良いんだって言うんです。

 ……でも実は、私もちょっと苦手です」

 こんな所に同じ嗜好の人がいただなんて――ちょっと嬉しくなった。

「それじゃあ、今度から食後のお茶はイーカル茶じゃないものをご用意しますね」

「ニナちゃんが大変でしょ」

「手間はあまり変わらな――あれ?名前言いましたっけ」

「お父さんにそう呼ばれてたから。

 俺はティトっていうんだ」

「ティトさん」

 この辺りでは聞かない外国風の名前だった。

「かっこいいです」

「そう?」

「お姉ちゃ――姉はラナっていうんですけど、その名前も外国風でしょう? ずっと羨ましくて。

 あの、うちって先祖が南の方なんです。父方も母方も。だから姉の時はそっちの名前をつけたらしいんです……けど……」

 思わず言いよどむ。

 ちらりと姉の方を伺うと、新しく入ってきたお客様を席へ案内する所だった。メニューを手に取り体の向きを変えると、姉の頭の上でポニーテールが跳ねる。

「あの通り……姉は背が低いでしょ?」

「うん?」

 この言い方ではティトさんはぴんと来なかったようだ。

「ええと、南の方の人の特徴って、背が高くてがっちりしてる事なんです」

「ニナちゃんのお父さんやレザーさんみたいな?」

 ニナは頷き、厨房へ目をやる。注文が途絶えて手の空いたらしい父は、ちょうどカウンター横の出入り口から顔を出していた。ドア枠の上の部分に手をかけて、少し肩が懲りそうな姿勢だ。だって仕方ない。この店はイーカル族のサイズに合わせて作られているから。体の大きな父は扉をくぐる時などに頭をさげないといけないのだ。

 同じ様にさっきティトさんが名前を出したレザーさん――よくティトさんと一緒に来る軍人さんも曽祖父と同じ中央山脈の出身で、やっぱりとても背が高く、店の入り口でよく頭をぶつけている。

「その南方の血を引いているのに、姉は母方の祖父――ウチの家系で唯一の生粋のイーカル族なんですけど、その人に似てあまり南方の特徴が見られなかったんです。それで名前をからかわれたりしたらしくて……

 だから、私が生まれた時には『この子は名前負けしないように』ってイーカル族風の名前をつけたんだそうです。お陰でいじめられませんでしたけど、やっぱり、いいなって」

 無いものねだりと分ってはいる。でも家族の中で自分だけがイーカル風の名前なのは仲間はずれのようで寂しくなる事がある。 

 そんな事を話していたら、また店の扉が開いた。

「おー、ティト。待たせたな」

 入り口の方から賑やかな声。お連れさまがいらしたようだ。


 ニナが「いらっしゃいませ」と頭を下げると体の大きい方の軍人さんはいつものように「こんにちは」と返してくれる。この人は、ニナがこの店を手伝いを始める以前から週に何度かは来てくれている常連さんだ。父や他の常連さんとも進んで世間話をする人懐っこい人。軍服を着た人に対する怖いイメージはこの人のお陰ですっかり無くなった。

 本名はジアードさんらしいんだけど、父は「レザーさん」と呼んでいる。ジアードという名前は大昔の英雄の名前。この町では同じ名前の人がとにかくたくさんいるからだ。

 普通なら――イーカル族なら、その多すぎる名前をつけるときには通称になるミドルネームをつけるけど、辺境出身の彼にはミドルネームが無いらしい。その代わりに苗字が二つもある。レザーはそのうちの一つ。同じ民族のはずなのに王都生まれの私とはそこがちょっと違う。不思議。

 そのレザーさんの後ろを小走りについて来る、目が細くていつも笑ったような顔をしている人は半年前くらいから来てくれている。

 にこにこ楽しそうにはしているのだけど、他の常連さんとも父ともあまり話さないので大人しい人なのかと思っていた。

 でも実はそうでもないみたい。ティトさんとは仲が良いようで、下らない冗談を言ったり大笑いしている姿を見る。

 ニナと一緒で打ち解けるまでに時間がかかるタイプなんだろう。

 遅れてきた二人はテーブルにつくと、ニナがティトさんに出したお茶に興味を示した。

「何飲んでるんだ?」

 レザーさんがカップに顔を近づけて匂いを嗅いだ。

「あ、お客様の分も淹れてきますね」


 厨房にいる父に注文を通すついでに新しいお茶を持って戻る。

 淡い色のお茶を前に、二人は揃って首を捻った。

「……なんだろう。これ。なんか知ってる味なんだけど」

 やっぱり簡単に分る人は珍しい。

「フェンフェルとキュンメルとミンツェのお茶だそうです」

 まだ熱いのかカップを吹きながらティトさんが答えてくれた。

 それでもやっぱり二人はピンとこないらしい。

「えーと、それなんだっけ。スパイス?」

「スパイスがお茶になるのか?」

「なるでしょう。ほら、風邪引いた時の薬湯とか」

「あー。わかった、これ胃腸薬の味だ」

 その味を『ほっとする』と言ってくれた人は苦笑しながらニナを見た。

「随分な言い方だなあ」

「苦手な方も多いんですよ。特にイーカル茶に慣れた人には」

 ニナが言いたい事は伝わったらしい。ティトさんはにやりとする。

「ああ、イーカル茶に慣れた人は、ね」

 二人は顔を見合わせて笑った。



 今日の日替わり定食は茹でた鶏肉にスパイスを効かせたソースをかけた物。ぴりっとした刺激と香草のバランスがとても良いとティトさんが絶賛していた。そして食後に出した薬草茶も、口に残った脂を流してくれるようなすっきりした味で美味しいと褒めてもらえた。

 お会計をして、さてテーブルの上でも片付けようかと思ったところで、

「あ、雨だ」

 開け放したままだった扉の向こうでティトさんの声がした。

 窓の外を見るとちょうど、ポツリポツリと雨粒が落ちてきたところだった。

 小さな水滴は地面に落ちると、乾いて赤茶けた道路に吸い込まれるように消えていく。

「王都に来てから初めて見たな」

 懐かしそうに話している声がする。

 ニナは慌てて出入り口の側の戸棚から布の塊をいくつか引っ張り出し、軒先で空を見上げる三人に声をかけた。

「あの――雨除けのマント、使いますか?」

 ニナが差し出したのは撥水塗料を塗った布で作ったマントだ。急な雨の日にお客様に貸し出すために用意されている物。王都の雨は降り始めたと思ったらすぐ本降りになる。ぽつぽつ来た時点でマントが無ければ、ずぶ濡れになる事必至だ。

 しかしレザーは手を振ってそれを断った。

「これくらいなら大丈夫。腹ごなしに走って帰るよ」

 そう言うが早いか、後輩二人の背中を叩いて走り出した。慌てて後追いかける後輩たちは、体格が違うせいかなかなか追いつくことができないでいるようだ。「待って下さい」と懇願する声と、楽しげな笑い声が通りに響いた。

 しばらくの間その背を見送っていると、ラナがそっと近づいてきた。

「雨の季節ね」

 気のせいかいつもと声が違う。少し強張っているような気がする。

 その理由を問う前に、すっかり小さくなった軍人たちを一瞥してラナはすぐに店内へ入っていった。

「雨は売り上げが減るわ。仕入れを調整しないと」

「……そうね」

 姉の声色の変化がよくわからなかったが、とりあえずニナは頷いた。






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